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台湾で日本人に見られる方法-


 1997年9月、私は六度目の台湾旅行に一人で出かけました。さすがに六度目ともなると単なる物見遊山では満足できなくなるのが人情らしく、いつもと違う何か面白いことをしようと思っていました。その時私の脳裏に浮かんだテーマは、「台湾では誰が見ても日本人に見られるような、完璧な日本人ルックで旅をしよう」でした。

 台湾という所はおそらく世界で一番、現地人と日本人観光客との区別がつきにくいところだと思います。台湾人から見れば日本人の大半は「どう見ても地元民」にしか見えないほど外見が似ている上に、台湾のファッションは日本の影響を非常に強く受けていて、服装、髪型とも年を追うごとに日本の若者に似てきました。当地の若いお兄さんお姉さんたちは、東京から約三日遅れで入荷されてくる「メンズノンノ」、「アンアン」などの雑誌を大枚をはたいて買い込み、「台北ウォーカー」で日本人の髪型を日々研究しているのです。こんな「強敵」がひしめく国で、「どう見ても日本人に見られる完璧な日本人ルック」はそうそう簡単なことではありません。

 出発の何日か前、私は家族と作戦会議をしました。テーマはもちろん、「日本人だと思ってもらえる服装とは何か」についてです。妻は「白いTシャツ、青いジーンズという格好ならまず間違いなく日本人」と指摘しました。鋭い!さすがに各国の人間を日々観察している国際線スチュワーデスだけあります。次に弟は、「読売ジャイアンツの帽子をかぶって、地球の歩き方を持ってオドオドしながら歩けば日本人に見える」、「とどめに忍者ハットリ君のふりかけをTシャツの胸ポケットに挿していれば絶対大丈夫」と言いました。私は彼らの意見を全面的に受け入れ、押し入れから白地のプリントTシャツとLeeのジーンズを取り出し、近くのイトーヨーカドーで忍者ハットリ君ふりかけ「のりたま」を買いました。そして数日後、満を持して成田空港発台北行きの機上の人となったのです。

 四時間後、私は排気ガスと焦げた油の匂いが立ち込める台北駅前の歩道橋にいました。私はディパックから黄色い装丁の「地球の歩き方・台湾97〜98」を取り出し、胸ポケットにはふりかけを、ハットリ君の顔が見えるようにしっかりと装填し、「どうだ、これで完璧だろう」と、オドオドしながら東の方向に歩きはじめました。

 歩き始めてからわずか1分後、新光百貨(そごう)の前で、私は一人のお姉さんに呼び止められました。「さすがは日本人ルック、効果抜群か」と思いきや、彼女が発した言葉は、「ニイハオ、スーチャンディアオツァー(すみません、市場調査です【北京語】)」でした。彼女は、街を歩いている若者を対象とした、台湾のTV番組に関する市場調査をやっていたのです。私はその番組を見たことがなかったので、市場調査は一瞬で終わりました。会話は最初から最後まで全部北京語でした。お姉さんは可愛かったのですが、私は落胆の色を隠せませんでした。「俺はそんなにも台北の街の風景に溶け込んでいたのか・・・」。汗と涙の日本人ルック研究成果の一角が、ガラガラと崩れていく気分でした。

 私は気を取り直して、今度は北の方角に歩いて行きました。3分ほど歩くと冷房の効いた、超モダンな台北駅の駅舎の中にいました。すると、一人の老人が歩み寄ってきて、ど下手くそな北京語で道を聞いてきました(台湾の60歳以上の人は日本語で教育を受けたため、たいてい北京語は苦手なのです)。よく聞くと、この老人は東海岸方面に行く列車のプラットホームを探しているらしいのです。老人の北京語があまりにもたどたどしかったので、私は彼に「日本語話せますか?」と聞きました。すると、北京語と同じくらいたどたどしい日本語が返ってきました。私は結局プラットホームが見える改札口の前まで老人を連れていってあげました。最後の一言は「謝謝」。私は人助けができて嬉しかったのですが、ちょっと複雑な気分でした。老人の眼には、私は恐らく台北の地元民に映ったに違いないのです。

 それから私は日本人ルックに身を包みながら台湾各地を旅したのですが、毎日色々な人たちに話しかけられました。しかし、そのほとんどは北京語、時には台湾語で道を聞かれるというものでした。太魯閣という観光地では、「地球の歩き方」を持って道端に腰を下ろしているのにもかかわらず、台湾人の観光客グループから道を聞かれました。日本人ルック恐るべし。この格好は、日本人だと思われるためには何の役にも立ちませんでしたが、その代わり「こいつは地元民で、道を知っているに違いない」と、フェロモンのように人をひきつけていたのです。

 結局、6泊7日の旅行で、台湾の人々から声をかけられたのは計14回、うち日本人だと分かってもらえたのはわずか3回。勝率は2割1分4厘でした。清原の打率よりも低いこの結果を前にして、私は「無理してジャパニーズとして生きていくのはやめよう。これからはアジアンとして生きていこう」と思いました。

p.s)後で分かったことですが、台湾では「地球の歩き方」の中国語版があり、装丁もサイズも日本のものと瓜二つでした。また、ジャイアンツ帽子に似たものは台湾ではいたる所で売っています。つまり、日本人ルック自体が台湾ではごくありふれた格好だったのです。

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