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ニンビンのぶっとびスープ
Nimbin, New South Wales
2480, Australia
           

 

 オーストラリア随一のリゾートシティ・ゴールドコーストから車で二時間ほど行った人里離れた山あいに、「ニンビン」(Nimbin)という小さな村があるそうな。ここは、知る人ぞ知る「ヒッピーの聖地」。ガイドブックによれば35ものヒッピー・コミュニティがあり、皆野菜をつくったり電気を使わなかったりLSDを打ったり、それはそれは浮世離れした生活をしているらしい。

 1993年の夏、私はブリスベンのグリフィス大学で学んでいた妻(当時はガールフレンド)と二人で、一泊二日のドライブ旅行を計画しました。行き先は風光明媚な海岸の町・バイロンベイ(Byron Bay)。我が家(下宿先)のあるブリスベンから車でわずか3時間の距離なので、朝はゆっくり休み、昼前にのんびり出発しました。

 我が家から高速道路で1時間南下するとリゾートマンションやホテルの立ち並ぶゴールドコーストに到着。これまで何度も来たことがある所なのでここは素通り、しばらく走るとクイーンズランド州から州境を越えてニュー・サウス・ウェールズ州へ。それからは海外山脈の森の中を2時間ほどの快適なドライブ、ようやく海が見えたところが目的地のバイロンベイ。早速キャラバンパークに車を泊めると近くのスーパーに買出しに行き二人で夕食の仕度をし、その晩はマッシュルームや魚のホイル焼きを肴にワインを飲んで早々と眠りにつきました。

 

 

 次の日の朝、天気は快晴。私たちはまず早朝の散歩を楽しんだ後、今日一日の予定を決めるためにキャラバンパークの管理人をしているおばさんと相談しました。おばさんによると、この辺りではニンビンというヒッピーの村が面白いとのこと。私たちが行きたいと言うと、おばさんは地図を渡してくれました。地図といっても便所紙のようなボロいわら半紙に、2,3本の道が落書きのように書かれているだけの代物で、私などは「本当にこんなもんで着けるんだろうか」と不安になってしまいました。でも、この辺りの道路網は日本の感覚からするとものすごくシンプルなので、この程度の地図でも十分でした。

 朝9時過ぎ、いよいよニンビンへ向けて出発。私たちのブルーのカローラは内陸に向けて快走する。北海道の美瑛や富良野をより緑濃くしたような雄大な景色の中を、Bangalow, Lismore, Clunesといった愛らしい街をいくつも通り抜けながら走る。牛や羊が草を食むなだらかな緑の丘陵地帯がどこまでも続く。BGMは妻のお気に入りの安全地帯。玉置浩二のハスキーなしゃがれ声がなぜかオーストラリアの大自然とマッチする。

 途中、ザ・シャノン(The Channon)という村ではフリーマーケットが開かれていました。当地のフリマは日本のとは随分違い、村人の手作りの品々がずらりと並んでいました。手編みのセーター、刺繍が施されたコースター、木彫りのキツツキやカンガルー、自家製のハチミツ等、いかにも素人が作った本当に温かみのあるものばかりでした。私はハチミツを一瓶4ドル位で買った(安い!)のですが、これが信じられない程濃厚な味で、これを超えるハチミツは後にも先にもお目にかかったことはありません。また、ちょうど学園祭のようなノリでソーセージやフレッシュジュースの屋台もたくさん並んでいましたが、これらはほとんどアジア人がやっていて、そのうちの一人が日本人の女の子だったのにはびっくりしました。

 ザ・シャノンから一山越えるといよいよニンビンです。ここは丘陵地帯の一角にある本当に小さな村で、メインストリートが一本あるだけなのですが、車を停めると一種異様な雰囲気が漂っていました。村で大きな酒場の壁にはアボリジニのシンボル(トカゲ)の巨大な絵が描かれており、道ゆく人はほとんどヨレヨレのTシャツをまとい髪はボサボサというヤマンバのような風体の白人のお兄ちゃんばかりだった。真昼間だというのに彼らは酔っ払っているのか、歩みはよろよろと頼りない。そして、メインストリートの約300メートルを通りぬける間に、4人もの人に声をかけられた。「マリファナやらないか」と。

 私たちはマリファナのような軽いドラッグには別に驚きませんが、彼らのあまりに変わり果てた風体(自分たちが都市文明に染まりすぎているからそう見えるだけなのかも知れないが)に圧倒されてしまい、逃げるようにしてその場を立ち去り、近くのレストランに駆け込みました。何か自分たちがここにいることがひどく場違いなように感じました。

 レストランはこぎれいなログハウスになっていて、木製の座席から見下ろす庭園にはいろいろな野菜や植物が植えられていました。私たちは野菜スープとマッシュルームスープを頼みました。店主によれば、庭からとってきた新鮮な野菜を使っているとのこと、値段も3ドル50セントと安い。期待に胸を膨らませる私たちの前にスープが出されてきました口に含んでみると、素晴らしく美味しい!どんな材料を使っているのか全く見当がつかないような複雑な味わいでしたが、今まで出会ったことのない新しい味覚に、私たち二人は夢心地の世界へといざなわれていきました。もちろん、完食したことは言うまでもありません。

 レストランを出て、少し散歩した後、私たちは北のマーウィルンバ(Murwillumbah)方面に車を走らせました。その十数分後です、私の身体に異変が起こったのは・・・なんと、身体中が突然火照ってきて、動悸が激しくなってきたのです。ほぼ同時に、妻にも同じような症状があらわれました。もちろん、危ないので車を停めました。辺りは人っ子ひとりいない大草原地帯。マラソン大会で長距離を走りきった直後のような動悸と全身の火照りに、私たちは一体どうなってしまうのだろう、どこへトリップしてしまうのだろうと途方に暮れました。それでも、3分くらい休むと動悸が少しおさまってきたので、とにかくだましだまし車を走らせてマーウィルンバまで行こうということになりました。

 その後動悸と火照りは断続的に襲ってきつつもだんだん治まってきて、マーウィルンバに着くころには症状は全く消えていました。でも、一体あれはなんだったのだろう。原因はあのスープに違いない、ということは分かっているのですが、一体あのスープのどんな成分が例の症状を引き起こしたのだろう。私たちは釈然としない思いを残しながら、ブリスベンまでの家路につきました.

 後日、私はあのスープを「ニンビンのぶっとびスープ」と名づけました。ちなみにこの名は、インドを旅するバックパッカーの間で悪名高い、あの「ぶっとびラッシー」にちなんだものです。「ぶっとびラッシー」とはインドの怪しげなレストランで時々出される、特別な成分の入ったラッシー(ヨーグルトドリンク)で、これを飲んだ者はいつの間にか別の世界にトリップしてしまい、数時間後気が付くと身ぐるみはがされ、パスポートも現金も全部消えている、という恐ろしい飲み物です。

 幸い、私たちはニンビンで身ぐるみはがれることなく、無事元気で帰ってきたわけですし、またあのスープは絶対に身体に良い、血行を促進して新陳代謝を高める、というのが私たち二人の共通の見解ですから、皆さまも一度試されてみてはいかがでしょうか?

 


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