Free Web Hosting | free host | Free Web Space | Web Hosting
ヨーロッパ5国7都物語 第1回
 ウィーン〜皇帝の都〜(2002/5/11)
    
 ウィーン・・・この情趣あふれる中欧の華麗な都を最初に訪れたのは今から6年半前、社会人1年目の冬のことです。訪れた、といってもそれはドイツ旅行の帰りに飛行機のストップオーバーで立ち寄って、4時間ほど街歩きしただけですが、実に風格ある、素晴らしい街だと思いました。

 旧市街は中世そのままとも思える石畳の道、重厚な砂岩造りの建物と、時折現れるショーウィンドウが織り成す、統一感あるシックな街のたたずまい、遠い教会の鐘の響き、分厚い毛皮を羽織って、白い息を吐きながらソーセージの屋台に集まる街の人々・・・そして極めつけは、ウィーンのランドマークともいえる、シュテファン大聖堂。私は、いま自分の目の前に、数百年の時空を超えて聳え立つこの建築物の存在を、どう表現してよいか分かりませんでした。言葉を失い、ただただ、絶句するのみでした。いつまでも見ていたい・・・その思いは、氷点下の寒空と空港へ戻るシャトルバスの時間のために叶わず、未練を残しながら成田へ向かう機上の人となったのです。いつかまた来たい・・・その願いが叶うまでには6年半の歳月を要し、いつの間にか世紀が変わっていました。


ウィーンの顔〜シュテファン大聖堂

ウィーンまでの遠い道

 私が住んでいるオーストラリアのシドニーから、オーストリアの首都・ウィーンまで、国名こそ一字違いですが距離は1万7千キロもあります。地球半周、つまり南極点から北極点までの距離が2万キロですから、それに匹敵する距離の移動になります。本当に、気が遠くなるくらい遠かったです。シドニー〜成田が9時間、成田〜ウィーンが12時間という「距離の暴虐」もさることながら、それ以上に辛かったのが、飛行機の空席待ちでした。私たちが持っているチケットは、値段が安い代わりに空席があって初めて乗れるものです。シドニー〜成田間の移動は、空席が一つもなくて結局乗れず、まる一日ムダにしました(こちらも参照)。そんな痛い目は二度とごめんだということで、日本に着いた後、早速成田〜ウィーン間の空席状況を航空会社に問い合わせたところ、何とシドニー〜成田間以上に空席状況が厳しく、下手したら一週間ほど成田で足止めを食らう可能性もあるとのこと!念願のヨーロッパ行きに、にわかに暗雲が立ちこめました。

 「こんなことなら、日本を経由せずに、シンガポールか香港経由でヨーロッパに行けば良かった」と、歯ぎしりするも後の祭り。そうこうしてるうちに出発日がやって来ました。4月13日の土曜日、千葉県柏市の我が家から成田空港まで1時間の道のりを、車で送ってくれたのは私の父でした。その日、父はちょうど3日間の休暇がとれ、一人気ままな東北方面へのドライブ旅行を企画していたので、朝からとても嬉しそうでした。運転しながら、「マナブ、どうせ空席なさそうなんだろ。もし今日乗れなかったら、その足で東北行こうぜ。気仙沼か釜石で刺身食おうよ。」

 カマイシ、ケセンヌマ・・・何と甘美な響きでしょう(森進一か?)。父の申し出に、私と妻の心は動きかけました。何しろ最悪一週間の空席待ち覚悟、毎日毎日、「岸壁の母」みたいに成田行って虚しく時間をつぶすよりは、いま春爛漫、魚が美味しくて人情厚い東北を旅するのも悪くない。もしこの日空席がなかったなら、私と妻は確実に東北へ旅立っていたことでしょう。

 成田の出発ロビーへ着くと、シドニーの空港では想像すらできないような人、人、人の群れ。ところどころに、300メートルを超える長さの蛇腹状の行列ができていました。それにしても、この賑わいは一体何なんでしょう??去年のテロで海外旅行を手控えていた人たちが一斉に出国しているのか、それとも日本の景気が徐々に回復してきたのか、よく分かりませんが、この超ラッシュ状態を見て、私は「こりゃ無理だ、十中八九、東北行きだなこりゃ」と思いました。今回ウィーン行きの便はANAとJALの両方、空席待ちを申し込んだんですが、まずJAL便はあえなく敗退、最後の頼みの綱・ANA便にすべてを賭けて、長い行列に並びました。10分過ぎ、20分過ぎ、出発時刻が迫ってくる。こりゃダメだ、と思った瞬間、妻が顔を高潮させて駆け寄ってきました。「ちょうど2つ空席が取れたよ。早くチェックインして!」・・・まさに奇跡です。神が我々をヨーロッパへ導いた、としか思えません。かくして、間一髪で我々のヨーロッパ旅行が実現したのです。

 「ヨーロッパ行くよ」・・・父に短い挨拶をしたあと、我々2人は半ば駆け足でウィーン行きのANA便に乗り込みました。この便はオーストリア航空との共同運航便で、機体はANAではなくオーストリア航空のものでした。ヨーロッパの航空会社ですから、ボーイング機じゃなくてエアバス機です。座席はゆったりしていて、リクライニングの角度も大きく、快適。でも、それ以上に感動ものだったのは、全座席に液晶テレビがついてたことです。乗客全員にコントローラーが配られ、これを使って映画、音楽はもちろん、到着地ウィーンの観光情報やフライトインフォメーション、ニュースまである!私も妻も、感動で身体が震えました。その上、機内食も美味しい♪さすがに観光立国オーストリアだけのことはあります。BGMはヨハン・シュトラウスとモーツァルト・・・というご当地自慢ももちろん忘れません。これは絶対にお薦めです。

 しかし、いくら最新鋭設備を誇っていても、12時間の道のりはやっぱり長かった。なんと、そのうち約10時間はロシアという国の上を飛ぶのです。信じ難い大きさです。この巨大な国土が尽き、ベラルーシ・リトアニアに入る頃、ようやくヨーロッパに来た、という気分になります。我々を乗せた飛行機が、ウィーン・シュヴェヒャット空港に着いたのは午後4時15分。でも日本時間では夜11時過ぎなので、すでに眠くなっていました。

いきなり、格安四つ星ホテルをゲット

 ウィーンの空港は、ヨーロッパの首都空港にしては規模が小さく、ターミナルビルは古く、免税店の類いは数えるほどしかありません。荷物を載せるカートは有料で、1ユーロ(115円)とります。こう言っちゃ失礼だけどちょっと貧乏臭い空港に、両替所だけはいっぱい並んでいて、"Exchange"(英語)、"Wechsel"(ドイツ語)などの他、しっかり日本語で「両替」と書いてありました。いまオーストリアで使われている通貨は、もちろんユーロ。我々はすでにオーストラリアでユーロを入手しているので、両替所はパスしてさっそく観光案内所へ直行。

 案内所では、金髪(当たり前だけど)のお姉さんが、流暢な英語で応対しててくれました。我々が、「ウィーンで2泊するんですが、市の中心部で、ダブルベッド(ヨーロッパではこれも当たり前)で一泊80ユーロくらいで泊まれるところはありませんか?」と聞いたら、「いま四つ星ホテルが90ユーロで泊まれるんですけど、それでもいい?」と聞いてきました、私たちはまだ、ヨーロッパのホテルの相場がどのくらいなのか知りませんから、90ユーロ(10,350円)というのが安いのか高いのか、判断がつきかねましたが、地図を見てみると便利が良さそうだし、パンフレットの写真写りも良かったので(当たり前か)、ここに決めました。案内のお姉さんはその後、「90ユーロというのは手数料の10ユーロが込みになった価格ですから、1泊目は90ユーロだけど、2泊目は80ユーロ(9,200円)でいいですよ」と言ってきました。「ふーん、そんなもんなのか」と思いながら、快諾。

 その時は気づきませんでしたが、我々は後になって次の事実を思い知ることになります。それは、「今の時期、ヨーロッパの四つ星ホテルで一泊80ユーロというのは破格に安い」ということと、「ウィーンで泊まったこのホテルこそ、我々がヨーロッパで泊まったホテルの中で一番質が良かった」ということです。つまり、ヨーロッパ旅行全体を通して、ホテル運はウィーンが一番良くて、その後は下降線をたどることになるのです(最後に泊まったパリのホテルが最悪!)。要は、我々は最初に一番いい思いをしてしまったのです・・・

 そんなことはつゆ知らず、我々2人は重い荷物を運びながら、シャトルバスと電車を乗り継いで、シュテファン大聖堂から北へ歩いて10分の距離にある、四つ星ホテル"Starlight Suiten"(住所:Renngasse 13, A-1010 Wien、Tel +43(1)5339989)にチェックインしました。受付のお姉さんはとても感じの良い人で、親切。ウィーン観光についていろいろ教えてくれました。その後、ちょっとワクワクしながら部屋に入ると、なんと、信じ難い広さ!コンドミニアムみたいに台所・リビングと寝室が分かれていて、特にリビングは20畳以上ありそうな広さ。明るくてとても清潔だし、ミニバー・給湯はもちろん、TVの衛星放送もあり、データポートを使ってインターネットも可能。デザインはシンプルで、居住性抜群。「これで80ユーロは安いなあ」と思いつつ、入り口のドアのところに貼ってある料金表をみると、なんと、今の時期のダブル通常料金が155ユーロとなっていました!つまり、我々はほぼ半額で泊まってしまったことになります。なんてラッキーな・・・キャンペーン料金恐るべし。

 部屋の外に出て、階段を下りるとおしゃれな食堂がありました。我々は毎朝ここで、バイキング形式のコンチネンタル・ブレックファストをいただくことになります。その下の階にはジムがあり、サウナまでついていました。もちろん、我々はいつでも使うことができます。感動した妻は、「これから、ヨーロッパ旅行でこれ以上いいホテルにはもう泊まれないかも知れない」と言ってました。この予言は、見事的中することになります。

 時計を見ると午後6時。外は7時過ぎまで明るいので、我々は街に繰り出しました。シュテファン大聖堂の近くには食堂がたくさん集まっているのですが、その多くは何と「パスタ屋」・・・一瞬、ここはイタリアかと思いましたが、去年ヨーロッパを旅した友人の、「パスタはイタリア以外では絶対に食べてはいけない(まずい・・・)」という言葉を思い出し、結局、「折角だからウィーンらしい料理を食べよう」ということになりました。歩き回って、見つけたのが、Gutenbergというドイツ料理(?)の店。我々はここで、ビーフ、サワークラウト(酢キャベツ)、ガーリックスープなどをいただきました。味はまあまあでした。たっぷり食べた後は、人間の自然な摂理として、睡魔が襲ってきます。特に私は時差ぼけがひどく、半端じゃないくらい眠かったので、すぐホテルに戻り、爆睡しました。

皇帝の都の街歩き

 今振り返ると、今回のウィーンの旅はちょっと心残りでした。この美しい街を思う存分歩くことができなかったからです。その理由は、@時差ぼけと疲労で日中寝てしまった、A一日中、冷たい雨が降っていた、Bホテルの居心地が良すぎて、あまり外に出る気にならなかったからです。次回行く時は4泊くらいして、時間に余裕を持ってじっくり街歩きしたいです(何年後になるか分かりませんが)。

         
   
ウィーンの中心部はこんな感じ   
  今日は日曜日、天気も小雨まじりの曇天ということもあって、ウィーンの街は人通りが少なく、観光スポットの周辺だけ賑わってました。街を歩く人々の9割方は観光客という感じでした。道を聞いても答える側も観光客ですから、お互いに地図を見ながら「うーん」と悩んでしまうことも何度かありました。   
      
 ウィーンの見どころといってもいろいろありますが、中でもシュテファン大聖堂からグラーベン、コールマルクト通りを経て、国会議事堂などのあるヘルデンプラッツに抜ける道が、わずか1km足らずですが一番ウィーンらしさがあると思います。時差ぼけのため、真夜中の2時に目が覚めてしまい体調がすぐれなかった我々も、さすがにこの区間だけは歩きました。

 この界隈は、「古典」という言葉が一番ふさわしい。古典とは、古くさいものという意味ではなく、時代を超えて受け継がれてきた文物という意味です。古典になるためには同時代のみならず後世の人々にその価値を認めてもらわねばなりません。仮に、いま東京や大阪、あるいはシドニーにある建築物や、書店に出回っている本の中で、200年後、300年後の人々にもその価値を認めてもらえるものがどれだけあるかを考えると、古典がいかに価値あるものかということが分かります。ところがこの界隈にはなんと、古典の名にふさわしい建築物が勢揃いしているのです。「価値あるもの」、というのは建築の専門家でない、私のような一般人にも分かるものですし、おそらく世界中の誰が見ても、鑑賞に堪えうるものですから、この界隈の街歩きは誰にとっても楽しいはずです。

 道幅の狭い街路や教会の通路を抜けると、パーッと視界が開ける大きな広場に出ます。そこがヘルデンプラッツです。この近辺には国会議事堂、最高裁(?)のほか、国家級の博物館が3つもある、まさにオーストリアの中枢、とも言える場所です。でも、この一帯はホーフブルク王宮といって、16世紀から19世紀前半までヨーロッパの大部分を支配したオーストリア帝国(ハプスブルク家)の冬の宮殿だったのです。この歴史的時間が幾重にも折り重なった荘厳な空間に立つと、ここは近代国家オーストリアの中心というより、むしろハプスブルク家の歴代皇帝が支配した、かつての巨大帝国の中心、という方がぴったりきます。そう、ここウィーンは近代都市というより、「皇帝の都」なのです。

 オーストリア帝国は、かつて中央ヨーロッパからバルカン半島の大半を支配した、文字通りヨーロッパの覇者でした。その中心がウィーンです。この街で話される言葉は、今も昔もドイツ語。今日の「ドイツ国」の領域が勃興したのは19世紀後半のことですから、それ以前はウィーンこそが中欧の中心、そしてドイツ語地帯の中心でした。巨大帝国の栄華を背景に、この地に絢爛豪華な文化が花開きました。かのモーツァルトもヨハン・シュトラウスも、ここウィーンを舞台に活躍しました。今日ウィーンには世界的に有名なオペラ座が2つ、世界的に有名なコンサートホールが2つ、世界的に有名な音楽家の養成機関が2つ、世界的に有名なオーケストラが2つ、そして世界最高の合唱団が2つある、まさに音楽の都ですが、これはオーストリア帝国の巨大な遺産の一つと言ってよいでしょう。

 ところが、19世紀の後半から、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ユーゴスラビア、ブルガリア等、領域内の各民族が次々と独立したことによって、オーストリア帝国の版図は徐々に狭まり、国力も衰えていきました。おまけに第二次世界大戦ではナチスドイツに侵略され、その後いろいろな経緯があって、今日のオーストリアは国土小さく人口少なく、そして特に経済力があるわけでもない、ヨーロッパの目立たない小国の一つになってしまいました。なにしろ国名が大洋州にある「オーストラリア」と間違えられやすいため、ウィーンの街角には、「オーストリアにはカンガルーはいないよ(No Kangaroos in Austria!)」というTシャツが観光客向けに売られていたりします。これも、インパクトの弱い小国を逆手にとったユーモア、ととれないこともありません。

 しかし、今日のヨーロッパは政治的にも経済的にも互いの結びつきが強まり、一つの地域として統合されつつあります。ベルリンの壁崩壊によって、かつて「東側」だった地域がどんどんヨーロッパに編入され、以前は厳しいビザ審査なしには旅できなかったハンガリー、チェコなどへの旅行がごく簡単にできるようになってきました。この姿は、かつてのオーストリア帝国にどことなく似ています。ある意味「先祖帰り」した、古くて新しいヨーロッパで、古都ウィーンがかつての栄華を取り戻す日も、近いうちやってくるのかもしれません。

鉄道駅に要注意

 ウィーンの「古典通り」を歩き終わる頃、雨脚がかなり強くなってきました。気温は9℃、風も強い。この寒空の中、我々は電車を乗り継いで、ウィーン南駅に行きました。翌朝、チェコのプラハに行く電車の指定席切符を買うためです。

 ウィーンに限らず、ヨーロッパの大きな鉄道駅というのは、お世辞にも治安が良いとはいえません。いわゆる、「ドロボウ」の類がやたら多いし、クスリやってる人とか、根拠はないけど、何となく人に危害を加えそうな人がなぜか集まってくるのです。そういえば、6年半前に行った、ドイツのフランクフルト中央駅の夜は恐かったです。そこで私が見たのは、まさしくドラッグの巣窟でした。

 ウィーン南駅は、さすが古都(地方都市?)だけあってフランクフルトほどの恐さは感じませんでした。が、駅前のスーパーで買い物をすると、平均的なヨーロッパ人と比べてちょっと肌の浅黒い、身なりの貧しそうな母と子が、買い物カゴを持った私の妻の後をつけ回していました。それに気づいた妻は、急いでレジに駆け込み勘定を済ませ、一瞬「事なき」を得たように思ったのですが、それから数時間後、妻の電子手帳がなくなっていることに気づきました。一体あのスーパーで盗られたのか、それとも別の場所で紛失したのか、今でも分かりませんが、この一件以来、我々はどの国に行っても、鉄道駅では「ドロボウ」に過剰なほど警戒するようになってしまいました。これからヨーロッパを旅される方はご注意を。

本場のワルツ・コンサート

 駅で切符を買った後、我々は冷たい雨、強風、時差ぼけから来る眠気に耐えかね、観光はせず直接ホテルへ戻り、ベッドにもぐりこんでしまいました。目が覚めると、すでに午後3時過ぎ、外はまだ雨。仕方なく(?)、ジムやサウナ等、ホテル内の設備を使って時間を過ごしました。が、我々はそれでも良かったのです。今晩夜8時から、かの有名なヨハン・シュトラウスのウィーン・ワルツ・コンサートがあるからです。本場のワルツさえ聴ければ、ウィーン観光の目的は半ば達せられたも同然だからです。   

         
 そして、いよいよ開演の時間が来ました。コンサート会場はクルサロン(Kursalon)という、ハプスブルク皇帝の昔から受け継がれてきた由緒正しい「宮殿の演舞場」。ライトアップされたクルサロンは息を飲むほど華麗、そこでは専属オーケストラが、かつて歴代皇帝が楽しんだ演奏と舞台装置を、できるだけ忠実に再現してくれます。それが40ユーロ(4,600円)で聴けるんですから、実に有難いものです。       
コンサート会場   
      
 いよいよコンサートが始まりました。演奏は全部で15曲、休憩をはさんで2時間に及びました。オーケストラの演奏だけでなく、歌あり踊りあり、ピエロみたいな芸人が出てきて笑わせてくれたりと、パフォーマンスも充実。おまけに「美しき青きドナウ」、「南国のバラ」、「メリー・ウィドウのワルツ」など、日本人にも馴染みの深い曲が多く、たいへん楽しませていただきました。また聴きに行きたいです。「私も聴きたい」という方は、是非ウィーンに行って、本場のワルツを堪能されることを、強くおすすめします。もちろん音楽だけなら、日本でもオーストラリアでもそれなりのものが聴けるんでしょうが、でもウィーンという、ワルツを宮廷芸術に磨き上げた土地は、やっぱり格が違います。ワルツならウィーンで決まりでしょう。

ウィーンを後に

 その次の朝はいよいよウィーンを後にして、次の目的地、プラハへ向かいました。今回ウィーンでの滞在は2泊、楽しかったけれどあっという間でした。日数が足りなくてあまり見てまわれず、正直言って未練を残したまま、ウィーン南駅から北へ向かう車中の人となりました。ウィーンから鉄道で4時間半、プラハで我々を待っていたものは???そのお話は、ヨーロッパ旅行記第2回・プラハ編で近日中に公開いたします。お楽しみに。

文頭に戻る
第2回・プラハに進む
旅行記トップに戻る