ローマへの道
プラハ・ルズィニェ空港のターミナルは、全館ライトブルーの色調で統一された大変モダンな建物でした。館内には免税店も多く、世界各国のブランド品が勢揃いして、少なくとも隣国オーストリアの、ウィーン国際空港よりずっと近代的でした。今世紀初頭にヨーロッパ先進国の仲間入りを目指す、また中欧随一の観光立国を目指す新生チェコ国家の意気込みを感じさせる建物、といえましょう。
我々がここから旅立つ、行き先はイタリアの首都・ローマです。我々が乗る小型のエアバス機はアリタリア航空とチェコ航空の共同運行便で、見たところ乗客のほとんどはイタリア人観光客でした。イタリア人とチェコ人を区別するもの・・・それは何といっても「声」です。おそらくヨーロッパで一番寡黙な国民・チェコ人と、一番騒々しい国民・イタリア人、その対比はすさまじいものがあります。おおよそイタリア人が2人集まれば、「ガッハッハ」の笑い声がとめどなく溢れ出る、男性も女性も実によく通る声(食べてるものが違うんだろうか??)で、「マンジャーレ」、「カンターレ」など、実にアクの強い言葉で談笑する、そんな声が何百人分も重なりあうと、狭い機内に「やまびこ」現象が起こり、ぐわーんという振動が耳元を襲う。「この飛行機、ひょっとすると機内の騒音で墜落しちゃうんじゃなかろうか」と一瞬心配してしまうほどの騒々しさ。でも、それがイタリア行きの旅情を、いやが上にも盛り上げてくれます。
4月17日、12時20分にプラハを無事離陸した飛行機。我々の眼下に広がるのは、控えめな陽光と薄青色の空の下、緑色にうねるチェコの丘陵地帯です(秋には黄金色に染まるのでしょう)。伸びやかな、北海道的な風景です。当機はチェコを出発し、オーストリアとクロアチア領内を横切り、アドリア海を越え、イタリア半島を横断し、ローマまで行きます。このように書くと大層な長旅のように感じますが、その距離はわずか1100km、札幌〜大阪間に相当するに過ぎません。わずか1時間半の空の旅です。
気がつくと、我々はすでにイタリア上空を飛んでいました。飛行機は徐々に高度を下げ、空港近くの農村風景を見せてくれました。まばゆい陽光、濃い緑、オレンジの果樹園・・・それは明らかに南国のものでした。イタリア・・・とてつもない国です。2000年以上前からローマの古代文明がこの地に栄え、ルネサンスもこの地に花開き、一国だけで全世界の文化遺産の約40%を保有し、世界史上の偉人を他のどの国よりも多く輩出し、今日でもローマ・カトリック総本山として、建築・ファッションの中心地として、またグルメやサッカ−の国として、全世界を魅了し続けるイタリア。ヨーロッパを旅するなら、その訪問地として絶対にはずせない国・イタリアに、我々は間もなく最初の一歩をしるします。
ローマ・フィウミチーノ空港は、大観光地イタリアの玄関口にふさわしい、巨大な近代空港でした。Stazione、Uscita、Vietato Fumare・・・イタリア語の表示が、旅情を盛りたてます。でも、それよりもイタリアを感じさせてくれたのが、観光案内所のスタッフでした。そこには、イタリア全土に数百万人いるとされるガッハッハ系のおじさん1名と、彫刻のモデルみたいな顔をしたお姉さん2名がいて、頼まれもしないのに皆よくしゃべるよくしゃべる。例えば私が名前を聞かれて、「スズキ、S-U-Z-U-K-I」とスペルを答えようとしたら、「大丈夫、スズキは有名な名前、皆スペル知ってるよガッハッハ」。私がパスタの美味しいレストランを聞くと、「大丈夫、イタリアはどこでもパスタが美味い。パスタならイタリアに任せとけガッハッハ」・・・万事こんな感じで、ガッハッハおやじのペースにすっかりはまってしまった我々は、ローマの宿もシャトルバスも、全ていいように手配されてしまいました(結果的にはそれでよかったんですけどね)。
ここは第三世界?
空港からシャトルバスに乗り込み、いよいよローマ市内に入る。ローマという都市は狭い地域に人家がぎゅーっと密集している上に、都心部のかなりの面積が遺跡として保存されているため、その住宅事情はお世辞にも恵まれているとは言えません。ウサギ小屋と揶揄される国で育った私の目にも、ローマ庶民の住宅は貧弱に映ります。建物は概して古く、屋上にはアンテナが無秩序に建てられ(すごいタコ足配線!)、バルコニーもない家が目立つ・・・東京の下町、北千住や竹ノ塚あたりによくある昭和30年代に建てられた安普請の低層マンションと言えば、当たらずとも遠からずでしょう。もっとも、大金持ちはすごい邸宅に住んでいるんでしょうけどね。
住宅事情以上に、我々を驚かせたのが交通事情です。特にローマ中心部の交通はすさまじい「混沌の極致」。ただでさえ狭い車道は路上駐車の嵐(いいのか?)、残ったスペースにクルマと巨大なバスがびっしり充満し、オートバイがその間を縫って駆けめぐる。ドライバーがまたすごい。運転はめちゃくちゃ荒っぽいし、市内だというのにスピードはガンガン出さないと気が済まないし、そのうえ事あるごとに(事がなくても)クラクションを鳴らしまくる。その騒音と排気ガスたるや、ひどいの一言。もちろん東京・大阪の比ではありません。
ローマの交通事情のひどさを一番痛感するのは歩行者になった時です。ここは天下の大観光地、全世界から毎日何万人もの旅行者が訪れて歩く町のはずなのに、都市計画自体が歩行者の便宜をほとんど考えてないのでは、と思わざるを得ません(遺跡だらけの町だから都市計画のつくりようがない、という話もある)。だいたい、交通量の割に信号が圧倒的に少ない。そこで歩行者は車道を渡らざるを得ないわけですが、これがはっきり言って命がけなんです。ドライバーは歩行者を見ても減速してくれるわけじゃないし、クルマの物陰からいつオートバイが出てくるか分からない。もう半端じゃなくおっかないです。私は憤慨のあまり、思わず、「これまで何人もの旅行者が、交通事故で死んでるはずだ」と言ったほどです(でも、イタリア人ドライバーの素晴らしいテクニックのおかげで、死者は出てないのかもね)。
我々が今回の旅で訪れたのはウィーンとプラハ、どちらも散策の楽しい町です。対してローマは、散策に適した町とはお世辞にもいえません。交通地獄の車道のすぐそばに狭い歩道があって、そこを旅行者がすずなりになって歩かなきゃならない。加えて、犬の糞害もすごい。排気ガスのもやの中、前後の歩行者とフンに気を付けながら歩くのが、楽しいわけはありません。ローマには市内を貫いてテベレ川が流れているのですが、その川べりも歩けたものじゃありませんでした。立小便がすごく、それが南国の陽光で発酵してすさまじい臭気を発していたからです(だから、こんな所だれも歩いていません)。これに比べると、パリのセーヌ川、プラハのヴルタヴァ川沿いの散歩の、なんと楽しいことか。
ローマに着いて一日目の夕方、ミラノで航空機が高層ビルに突っ込んで、「すわ、無差別テロか」と騒がれた、あの事件が起こりました。私はその時ホテルでTVを見ていて、9・11を思わせるショッキングな画像を、イタリア語の解説(何言ってるか全然分からない)をBGMにしながら凝視していましたが、事件以上に私の目をひいたのは、アメリカやオーストラリアの都市と見まがうような、ミラノの堂々とした近代都市のたたずまいでした。私はいまローマの第三世界チックな風景の中にいるだけに、「同じ国なのにえらい違いだよなあ」と溜息が出ました。実際、ここローマからさらに南方のナポリに行けば、風景がさらに第三世界的、アフリカ的になるのです。私は、こんな所からも、イタリアの底知れない奥深さを感じました。
廃墟の町
このすさまじい交通事情ですから、私はホテルに着いた後、正直言って歩いて観光するのが億劫になりました。でも折角ここまで来たんだし、目と鼻の先にコロッセオやトレヴィの泉があるわけですから、見ないわけにはいかない。それに腹も減ってきたから、イタリアの誇るパスタやピザを食わない手はない・・・というわけで、重い腰をあげました。 私たちの泊まったホテル・プリシラ(Via Calabria, 17 - 00187 Roma, TEL: 06 4817180。一泊92ユーロ、正直言って可もなく不可もなく、でした)は、テルミニ駅から北へ歩いて15分ほど、大使館や超高級ホテルが集まる、閑静な一角にあります(注.ローマにしては閑静、ということです)。そこからテルミニ駅を経て、コロッセオやフォロ・ロマーノがある、遺跡集中地域までの歩いて30分余の道のりは、慣れない旅行者にとっては確かにハードででした。排気ガスを吸わないようにハンカチを口にあてながら、何度もジェラートを食べて休んだものです(さすがに美味♪)。でも、いざ遺跡の前に立ってみると、疲れなど一気に吹き飛びました。一言、「やっぱりローマには来てみるものだ」。
フォロ・ロマーノは、まさに古代都市そのものでした。ここは今から2000年も前、古代ローマの政治の中心だったところで、元老院や神殿、凱旋門の遺構が残っています。しかも、ゆっくり歩くと半日はかかりそうな大きさです。このあたりは、フォロ・ロマーノ、コロッセオ、パラティーノの丘、カラカラ浴場、チルコ・マッシモ(戦車競技場)など、古代ローマ遺跡が目白押し・・・なんて生易しいものではなく、遺跡群が町の中心に堂々と居座って、現代人はその周辺部に小さくかたまって住んでいる、といった感じなのです。
これらは、全部見てまわりました。といっても、基本的に全て「廃墟」なので、残っているのは石やレンガでできた壁ばかりです。普通、壁を見るだけでは観光になりませんから、観光客はみんなガイドブックを持って、予備知識を仕入れて、壁にいろいろなイメージをふくらませながら歩く・・・例えば、「この中で古代ローマ人がフロ入ってたんだよね」とか、「この壁の前でシーザーが、"ブルータス、お前もか!"と叫んで殺されたんだよね」みたいに、各々が頭の中でストーリーをつくりながら歩く、これがローマ遺跡観光の基本なのでしょう。
| ローマ遺跡観光(クリックで拡大できます) |
 |
 |
 |
 |
 |
| コロッセオ外観 |
コロッセオ内部 |
フォロ・ロマーノ |
カラカラ浴場 |
トレヴィの泉(これは遺跡じゃありませんね) |
ローマ人の自信
私はこの遺跡(廃墟)だらけの町を歩きながら、ふと思いました。「もし自分がこの町で育っていたなら、人生観がずいぶん変わっていただろうなあ」と。ほんの40年前までただの草深い農漁村だった、東京郊外の町に育った私にとって、2500年前に栄えた古代文明を剥き出しのまま保存して今日に至っている、そして将来まで伝えていくであろう、ローマという町は想像を絶する存在でした。
実際歩いてみてよく分かりましたが、ローマという都市は中心部をはじめ至るところに古代遺跡がどかーんと居座っているため、近代都市としての機能性の向上は望むべくもないのです。実際、人口400万もいる大都市なのに地下鉄の路線は2つしかないし、都心と郊外を結ぶ近郊鉄道もあまりない(似たような人口規模の都市、例えば名古屋では地下鉄と近郊鉄道がどれだけ充実していることか・・・)、そこで市民の足はバスと自家用車、オートバイになるわけですが、それらが狭い車道に溢れに溢れて地上交通は慢性マヒに近い状態、見たところバスはいつも超満員です。正直言って、私はこの町に住みたいとは思いません。でも、どれだけ利便性を犠牲にしても、それでも壁ばっかりの古代遺跡を後生大事に保存しようとする、ローマ市民の心意気は鬼気迫るものがあります。
おそらく、現代のローマ市民にとって、これらの遺跡を少しでも取り壊すことは、都市ローマのアイデンティティの喪失、ひいては自分自身の存在意義の喪失にもつながると考えられているのでしょう。2500年という途方もない時間にわたって、このローマの地に繰り広げられた、奇跡としか言いようのない、絢爛豪華な人間ドラマの数々。それと共に現代を生きていこうというローマ人の決意が、この地をして他のどこにも真似できない、永遠の都たらしめているのでしょう。
実際、私が接したローマの人々は、ヨーロッパのどの土地の人間よりも都会人、もとい、「みやこの人」という感じがしました。日本でいえば京都人の、伝統・格式を重んじ、近代権力(東京)をどことなく冷めた目で見る、みやこ気質を何倍にも凝縮して、それを陽気なイタリア風に表現したのがローマ人気質、と言ってもいいかもしれません。例えばローマの男性は概してとてもフレンドリーで、口数がやたら多い。でも、何か押しつけられている感じは不思議としません。一方ローマの女性は、異国から来た、片言のイタリア語をしゃべる旅行者をジロッと一瞥して、軽く品定め(?)する人が目立ちます。でも、パリあたりの人間とちがって、尊大な感じは不思議としません。とある統計によれば(?)、イタリア人男性は一日に平均8回、女性のおしりを触ると言われていますが、それでも、埼京線の通勤列車で、サラリーマンの中年男がOLのおしりを触るのと違って、いやらしい感じはあまりしません。同じことをしても、他の土地の人間がやると嫌味だけど、ローマ人の場合それを感じさせない。私はこのあたりに、みやこ人としての洗練を感じます。
おおよそローマ人に一番似合わない言葉は、「卑屈」でしょう。誰に対しても、たとえお金持ちのアメリカ人旅行客に対しても、決して卑屈にならない。観光客に来ていただくのではなく、これだけの舞台装置を擁する天下の都なのだから、全世界の人間が観に来て当然・・・という悠然とした態度を彼らはとります。ローマの悠久の歴史と、それが無言で物語る圧倒的なパワー。その伝統を引き継ぐ我々こそが、正統派のローマ人であり、正真正銘のヨーロッパ人なのだ、という文句なしの自信が、古都ローマにより一層の輝きを与えているような気がします。
ヴァティカン市国
「世界最小の国はヴァティカン市国」・・・小学校の頃、母に買ってもらったギネスブックにそう書いてありました。なにしろ、面積が後楽園球場(当時、東京ドームはなかった)数十個分にすぎず、人口は1000人に満たない・・・そんな国がこの世に存在すること自体、幼い私にとって不思議きわまりないことでした。それから20年余、私は地球を半周して、その不思議の国に立っています。
ローマ市内に点在する7つの丘、そのうちの一つがヴァティカン市国です。その「国土」は、カトリックの総本山、ローマ法王を擁するサンピエトロ寺院、ニ千年の歴史を持つカトリック美術の粋を集めたヴァティカン美術館、サンタンジェロ城の3つによって構成されています。「国民」の多くはローマ法王以下、カトリックの聖職者と、美術館の職員によって占められています。天下のローマ・カトリック総本山・・・今はセックススキャンダルで揺れていますが、腐っても鯛、ここは何と言っても全世界20億人を数えるキリスト教徒の聖地なのです。クリスチャンじゃなくても人類の一員として、観にいかない手はありません。
ヴァティカン市国に入国するのに、パスポートもビザも要りません。ローマの地下鉄A線、チプロ(Cipro)駅から、小高い丘を上っていけば10分もせずにヴァティカン美術館に着きます(歩く時間より、美術館の入場時間待ちの方がはるかに長いです)。地元イタリアはもちろん、アメリカ、ドイツ、日本、韓国などから来たツアー客が列をつくって歩いてますので、道に迷う心配はまずありません。
ヴァティカン美術館の目玉は、何といってもミケランジェロの「最後の審判」のある、「システィーナ礼拝堂」と、ルネサンスの天才画家の名作コレクション、「ラファエッロの間」でしょう。我々は美術館前で30分ほど時間待ちをして、世界各国語で説明が聞けるオーディオ・ガイドを借りて、いよいよ場内へ進みました。
この美術館は、想像をはるかに絶する場でした。贅をつくした大理石の宮殿、両側の壁にも屋上にも、びっしりと名画が並び、それが何百メートル、いや何キロにわたって続くのです。これらを全部堪能しながら回ったら、それこそ1週間あっても観きれないでしょう。どんなに急いで回っても、システィーナ礼拝堂まで2時間は優にかかるし、それまで名画、名画の洪水で、とてつもなく密度の高い時間を過ごすこと、うけあいです。ローマ・カトリックの、2000年以上にわたる営みのすごさ、途方もない宗教的情熱を、ここほど実感できる所はないでしょう。
とにかく、ものすごい美術館です。私も妻も、名画を堪能するというよりただただ圧倒されて、2時間ほど見学しただけなのにどっと疲れが出てきてしまいました。絵画で表現されている宗教的情熱がすごすぎるし、モチーフとなっているのが、例えば天使(女性)が異教徒の男性の血にまみれた首をとって微笑んでいるみたいな、我々の感覚からすればおどろおどろしいものが多いのです。だから、「確かにすごいのはよく分かった。でも、もっとほのぼのとした、明るい現代的な絵を見たい」という気持ちになるのです。これは、血のしたたる分厚いステーキを食べた後、さっぱりした和食が食べたくなる感覚に似ているのかな???でも、一度は絶対に見にいくべきだと思います。
| ヴァティカン美術館(クリックで拡大できます) |
 |
 |
 |
 |
 |
| 屋根の幾何学模様 |
世界中から来た観光客 |
名画の回廊 |
エンジェルと農夫? |
何だこりゃ? |
ヘビーな名画攻撃(?)でどっと疲れた後は、ローマ法王のいるサンピエトロ寺院に直行しました。寺院前のサンピエトロ広場は、中央に天を刺すようなオベリスクが立ち、広場を囲む回廊の上から140体の聖人像が見守り、何万人集まれそうな大きさでした。この大空間もいろいろな肌の色をした観光客の大群で埋まっていました。我々は腹が減っていたので寺院内部には入らず、パスタがうまいと評判の、トラステヴェレ地区にあるレストランに直行しました。
食べ物ならイタリアにお任せ・・・次回のお楽しみ
ヨーロッパを代表する食い倒れの国として名高いイタリア。この国で食べた物は、素晴らしい!もう最高でした。私はイタリアでこんなに美味いものを食べて、かえって不幸になりました(??)。今後、オーストラリアや日本でどんなイタリア料理を食べても、今回イタリアで食べたものには、到底かなわないだろうからです。
でも食べ物の話は、次回の「ナポリ・ソレント編」に回します。ローマで食べたパスタやリゾットは確かに素晴らしかったのですが、新鮮な山海の幸に恵まれたナポリやソレントのイカ墨スパゲッティやモッツァレラチーズはさらにその上を行くからです。食いしん坊の読者の方は。次回に乞うご期待。
|