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彷徨える首都圏人 (2004/1/10) |
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「柏自慢」のコンテンツを更新するのは、もうかれこれ3年半ぶりになりますねえ・・・3年半もの間、私が何やってたかというと、外国に住んでました。もちろん、今でも住んでます。現住所はオーストラリアはシドニーの郊外にある、パラマタ(Parramatta)という街です。 面白いことに、このパラマタというのは何から何まで、我が故郷・柏とそっくりなのです。シドニーの中心から距離にして23キロ、快速電車で23分という距離感といい、大きな駅があってその周りに巨大商業施設が並んでるところといい、沿線のイメージがいまいちパッとせず、そのなかでひとり気を吐いて栄えているところといい、郊外のロードサイドに大型・激安の量販店が並んでいるところといい、すべてが柏とそっくり!あと、柏の駅から2kmくらい行くと手賀沼がありますが、パラマタの駅から約2km行くと似たようなサイズのパラマタ湖がありますし、柏駅から20分ほど歩くと日立台のレイソル・グラウンドがありますが、パラマタでも駅から徒歩20分行ったところにスタジアムがあり、パラマタ・イールス(ラグビーリーグ)とパラマタ・パワーズ(サッカー)のホームグラウンドになっています。しかもイールスのユニフォームはレイソルのそれとそっくり・・・ここまで瓜二つな両都市、もうこうなったら姉妹都市提携するしかない?? 柏と同様、パラマタには周辺地域からたくさんの買い物客が集まってくるため、たいへん活気ある街になっています。私の会社の同僚で、Edensor Parkという、シドニー郊外でも西南のはずれにある住宅地に住んでる女の子がいるんですが、休日になると彼女は必ずパラマタに出てきて、ショッピングや食事、デートを楽しみます。パラマタには、「南半球最大規模」の巨大ショッピングセンターがありますが、その駐車場は土日になるといつも周辺地域からのクルマで満杯になり、駐車に30分かかることもザラです。その様子は、休日、柏のステーションモール駐車場の前で500メートル以上の列を作る土浦ナンバーや野田ナンバーのクルマと重なって見えます。 我が家は、私と妻(オーストラリア人)の2人暮らし、2002年7月、ここパラマタに土地付きの家を購入しました。この場所を選んだのは妻ではなく私です。妻は、「あなたオーストラリアくんだりまで来て、自分のホームタウンみたいな場所に住むこともないんじゃないの?」と半ば呆れ顔ですが、いくら文句を言われようと、「歩いていける範囲に大きな駅と百貨店、いろんな店がある」、「ちょっとクルマを飛ばせば、激安の量販店がたくさんある」、「街に若さと活気があふれている」という環境は、私にとってこの上なく心地が良いものなのです。幸い妻も、このパラマタ暮らしにも慣れ、「いい街だ」と言ってくれるようになりました。 さて話は変わりますが、オーストラリア暮らしのなかで、私はよく、「日本のどこから来たの?」と聞かれることがあります。そんな時、相手がオーストラリア人なら、たいてい「トーキョーから来た」と答えます。「チバ」とか「カシワ」とか言っても、ほとんどの場合、分かってもらえませんから。逆に相手が日本人の場合、もう少し正確に、「千葉県です」、「千葉の柏です」と答えることもあれば、「東京(の郊外)です」と答えることもあります。そんな時ふと、自分は「東京人のようでいて東京人ではない」、「千葉人のようでいて完璧に千葉人とは言い切れない」という、自分の地域アイデンティティの曖昧さを痛感することがあります。今回はそれについて書いてみようと思います。 読者のなかには、首都圏以外や海外にお住まいの方もきっと多いでしょうから、私の地元・柏の大体の位置関係について、概略を示しておきます。
私が生まれた場所は、柏市あけぼの4丁目、そこから2分も歩けば国道6号線に出ますが、ちょうどそこに、「日本橋まで29km」という距離表示があります。私思うに、「お江戸日本橋から29km」という中途半端な距離が、自分は東京人みたいなものだけど東京人ではないという、中途半端な地域アイデンティティをつくっていると思うのです。 都市規模と地域アイデンティティとの関係を考えた場合、29kmという距離はたいへん象徴的です。人類は古代より都市をつくってきましたが、現代になるまでは、いかなる世界的大都市であろうと、その中心地から29kmも離れた地点まで都市化しませんでした。古代ローマ、唐代の長安、元禄時代の江戸・・・いずれも、それぞれの時代における世界最大級都市ですが、それでも都市化されたのはその中心からせいぜい半径5kmくらいなもので、29kmも離れてしまうと、そこはもう後背地(ヒンターランド)、せいぜい近郊農村でしかありません。 1960年代以前、東京のベッドタウン化される以前の柏もそうでした。何といっても、ここは戦争中、空襲で東京を焼け出されてきた人々が疎開してきた土地なのですから・・・当時の柏周辺は、「小金牧」という広大な馬の放牧場と、大堀川・大津川沿いの谷津田ばかりが広がる所だったそうです。もちろんその住民も、「自分は東京人だ」という意識など持たずに暮らしてきたはずです。 戦後、過去に類例を見ない速度と規模で大東京の拡大が始まり、29km離れた柏も、瞬く間に東京の通勤圏に組み込まれました。1954年、市制施行時の柏市の人口は約4万人でしたが、現在は33万人もいます。雑木林と田んぼが造成されて分譲住宅に変わり、そこに日本全国から移り住んできた人々が住まい、その数は先祖代々柏で暮らしてきた旧住民をはるかに凌駕しています。年々爆増する人口、その用に供するため、柏の駅前には大規模百貨店が林立し、まるで摩天楼のよう。モータリゼーションが進むと国道6号、16号沿いにロードサイド店と呼ばれる大型店舗が次々と建つ、気がつけば家から徒歩1分以内にコンビニが3つもある・・・そんな環境で、私は育ちました。 ここで注目すべきポイントは・・・
1と2に関して・・・柏が東京と共有した歴史の短さ(約40年)、これが私をして、「自分は東京人だ」と言うことをためらわせてしまうのです。自分と東京との間に横たわる、29kmという微妙な距離も、私の深層心理のどこかに影響を与えているのかもしれません。 3と4に関して・・・歴史と伝統の欠如、土の匂いのしないベッドタウンという土地柄・・・それらが私たちをして、自分の肉体と「故郷」との結びつきを、意識のうえで希薄なものにしています。自分たちの生活実感とかけ離れた「千葉県」という行政区画が、それに拍車をかけています。 一体、私の地域アイデンティティは何なのでしょう?もちろん、「柏人」なんですが、残念ながら柏という地名は、関東以外ではほとんど知られていませんから、もう少し名の通った広域名称で言うとすると、「東京人」ではないし、「千葉(県)人」といってもあまりピンとこない。「関東人」というと、。確かに言葉や食文化の面ではそうなのかもしれないれど、でも同じ関東でも東京の郊外住宅都市である柏と、北関東の農山村とではライフスタイルや価値観があまりにも違いすぎるため、何かピンとこないものがあります。 その点、一番ぴったりくるのが「首都圏人」という言葉です。実際、柏で育った私が最も親近感を覚え、自分たちと生活実感が似通っていると感じる土地は、東京から約30kmの地点にある郊外住宅都市群です。具体的に言えば、千葉県の船橋市とか、埼玉県の大宮市(現さいたま市)や川越市や所沢市、東京都の立川市や町田市、神奈川県の相模原市や藤沢市などです。これらの都市は、柏と面積も人口規模も似通い、東京からの時間距離もほぼ同じ、都内に通勤するサラリーマンとその家族が多く、都市の風景も生活実感も似ているからです。もし私が「東京文化」を背負った「東京人」ではないのだとすれば、東京の外延部である「首都圏」を舞台にして、東京文化の非常に強い影響を受けて育った「首都圏人」なのだと思います。その意味でいえば、船橋市や所沢市などで育った人も、柏で育った私と同様、おそらく「首都圏人」の仲間なのだと思います。 東京人が東京文化を背負っているのだとすれば、首都圏人は東京文化とは少し異質な「首都圏文化」を背負っているのではないか?だとすれば、首都圏文化とは一体何なのか?これについて、考えてみたいと思います。 まずその前に、東京人と、東京文化についてひとこと語っておかなければなりません。現実問題として、首都圏は東京なくしては存在できず、首都圏文化は東京文化なくしては存在できないものだからです。 誰もが知っているように、東京は明治維新以降、ヨーロッパをモデルとした中央集権国家を目指す新生日本国の首都として、官主導で建設された近代都市です。もちろん、それ以前は江戸という中世都市として栄えていましたが、明治以降の東京は江戸の伝統を全否定することから出発しました。こんにちの東京が、京都や奈良、あるいはパリやウィーンといった都市と比べて、過去(江戸時代)の面影を残していないのは、江戸を全否定したところに、欧風の現代都市を建設しようという国家の強い意思があったからです。 新生日本国の要請によって、首都・東京は大変な重責を負ってきました。それを一言でいえば、東京は日本における「欧米の先進技術や学問、思想を導入する窓口」であり、かつ「それを日本国全体に浸透させる配電盤」としての機能を果たしてきました。そのために、中央官庁、軍の総司令部、大学、新聞社、公営放送局などは全て東京中心に立地し、放送網、交通網も東京を中心に整備され、標準日本語も東京山の手地域の言葉をもとにつくられ、かくして東京が日本全国に号令することになりました。 時が経つと、政治・文化のみならず、経済の面でも東京が日本国の中心になっていきます。もっとも、これは大阪の助力なしには成し遂げられなかったことでしょう。大阪は東京と違って、明治維新以前にも商業都市としての伝統を持ち、資本主義的な文化が花開いていた土地でした。明治以降も、大阪の資本主義パワーがいかんなく発揮され、例えばスーパーマーケットとか駅ビルとか郊外鉄道のような発想の多くは大阪発で、東京の資本主義はその発想を利用して成長していきました。日本が明治以降、超スピードで近代化を成し遂げられたのも、東京と大阪という「クルマの両輪」がうまく機能したからだと思います。ですが今日では、日本を代表する大企業の多くは東京に本社を置き、株式市場も為替市場も東京が中心となるなど、東京一極集中が進んでいます。 日本の政治・経済・文化の中心地である東京に、富を求めて、夢を求めて、全国から人が集まってくるのは自明の理。東京は拡大に拡大を続け、現在では東京23区だけで800万人、通勤圏を含めると2600〜2700万の人口を擁する、世界最大級の超巨大都市になりました。 こんにちの東京は、全国各地からの移住者が人口の大多数を占める、超過密都市です。ここは年々、いや日々、外から移住者が流入してくる土地なのですから、どこの出身者でも受け入れる懐の広さがあります。その代わり、気心の知れない人たちと過密都市空間を共有して暮らしているわけですから、東京人は自分自身を守るために、ホッと息のつけるパーソナルスペースを守るために、対人関係でも距離を置く傾向があります。マンションのお隣さんの顔を知らない人が多いのも、満員電車で隣人に無関心な人が多いのも、過密空間のなかで自分を守りたいという本能が強いからなのでしょう。また大企業の多い東京は一人一人に個人プレーでなく、組織プレーを求める土地ですから、東京人は良き組織人として、周りとのバランスを常に配慮しながら物腰柔らかに振舞うことに長けています。その代わり個人プレーや強い自己主張は苦手です・・・ 東京はもはや、生粋の江戸っ子や、古くから東京に住んでいる地元民の世界ではありません。全国や海外からの移住者とその子孫が、東京の暗黙のルールに従いながらつくりあげた巨大都市社会なのです。彼らが東京を舞台に日々繰り広げている生きざまや暮らし方、それがすなわち東京の文化であり、ライフスタイルなのです。 世界におけるアメリカがそうであるように、現代日本において東京ほど愛され、また憎まれる存在は他にありません。なぜ東京が憎まれるのか?それは日本で唯一、他のどの地域に対しても文化的コンプレックスを持たず、北海道から沖縄まで広がり、それぞれが長い歴史伝統を持つ国内各地域を、一言「地方」と切り捨て御免にできる傲慢な都市だからです。逆になぜ東京が愛されるのか、それは東京文化がいま日本で一番パワーがあり、トレンドやファッション、音楽、映画、アートなど各領域において最も「人をひきつける」存在だからです。 東京文化のパワーは、すでに国境を超えてアジア、世界規模に広まっています。私は10数年前、台湾に住んでいましたが、その当時、台湾人の学生たちが、日本に一度行ったことがないのに、東京の裏町のことまで詳しく知っていることに驚きました。彼らは新宿、渋谷、原宿、六本木だけでなく、吉祥寺や国立という地名まで知っているのです!あと、日本の歌謡曲にも詳しい。例えばチェッカーズの「俺たちのロカビリーナイト」という歌、あれは台湾人から教えてもらいました。韓国でも、日本文化を開放するか否という政府の意向とは別に、民間ではかなりの勢いで日本のTVドラマやファッション、音楽が浸透しているようです。またここ10年、日本発のゲームやマンガ、アニメの世界的普及が進み、全世界の子供たちの間で日本文化の受容が大いに進みました。西洋文化圏に属するここオーストラリアでも、今や「マンガ」という言葉を知らない大人や、ゲームボーイで遊んだことのない子供は少なくなりました。世界に広がる日本ポップカルチャー、その発信地になっているのも、多くの場合東京です。 東京には華がある。むろん、住環境とか快適さという意味では決して誉められた都市ではないのでしょうが、でも多くの人を魅了する、パワー溢れる、スタイリッシュで華やかな消費文化の創造能力がある。これは、まぎれもない事実です。だから、「東京」で育った者は、「花の都・東京」の文化を背負った「東京人」であるというアイデンティティを持つことができる。仮に本人がそれを認めていなくても、他の地方の出身者がそのように解釈してくれる・・・ 一方、東京のすぐ近くで育ちながらも、100%東京人とは言い切れないと感じている我々「首都圏人」の場合はどうなのか?これが、なかなか複雑なのです。いま首都圏には、横浜を別格としても、千葉、柏、大宮、八王子、町田、川崎・・・地方大都市と比べても遜色ないサイズの商業都市がたくさんあります。ですが、誤解を恐れず言えば、これらの首都圏都市では便利なショッピングはできても、東京と違って文化の発信源になっているわけではありません。「新宿で流行った店が町田に進出する」、「渋谷の人気店が柏に進出する」ことに象徴されるように、首都圏は東京の文化創出機能に大きく依存しています。言い換えれば、東京に華はあっても、首都圏には残念ながら、華がありません。 ここまで言うと、「いまや首都圏だけでなく、日本全体が東京文化に依存しているのではないか?」という声が聞こえてきそうです。それは、ある意味事実だと思います。例えば、東京発のファッションがそのまま全国に広まることはあっても、札幌発のファッションがそのまま広まることは稀で、その前に東京のメディアに採り上げられて、そこを通して全国に普及するパターンの方が多いと思います。 ですが、首都圏以外の地方の場合、「東京はこうで、うちの地元はこうだ」というふうに、東京と地元を一対一で比較することができます。言い換えれば、東京を踏み台にして、自己の地域アイデンティティを確立することができます。例えば、私は「大阪学」、「名古屋学」、「博多学」などといった、日本全国の都市文化やアイデンティティを題材にした本を読むのが好きですが、それらに共通するパターンとして、「東京と対比することにより、自分が何者であるかを確認する」傾向があります。 ところが首都圏の場合、それができない。首都圏と東京を一対一で対比するのがナンセンスに思えるほど、自己が東京と一体化しすぎているのです。首都圏からみて、東京はあまりにも近すぎて、あまりにも大きすぎて、もはや比較にならない。天体の世界でいえば、恒星と衛星を比較するようなものです。そう、我々は「東京の衛星都市」の住人なのです。だから、「埼玉と千葉はどっちが都会か?」、「柏と船橋はどっちが上か?」みたいな、ちっぽけな衛星同士を比較するような話はあっても、大東京との対比のなかから、首都圏という地域を語る発想は出てこないのです。 私は時々、「自分は、何てワケ分からない所に生まれてしまったんだ?」と思うことがあります。ただただ東京に依存し、サラリーマンが寝に帰るだけの街。ワケ分からないうちに人口が急増し、無秩序な住宅開発が進み、風景が醜くなってしまった街。独自の文化伝統などなく、仮にあっても、東京の通勤圏住宅都市という現実にかき消されてしまった街。気心の知れない隣人たちと共に暮らし、互いが無関心で思いやりの感じられない街。おおよそ郷土愛なんて生まれようのない土地・・・私は、いくら東京にコンプレックスを持っていても、「東京がなんだ!」という一言とともに自己の地域アイデンティティを確認できる地方出身者が羨ましいです。彼らの場合、地元と東京が明らかに離れていて異質だから、それができる。でも、東京から29kmしか離れていない千葉県柏市の住人の場合、「東京がなんだ!」と叫んだところで意味がない。それどころか、大阪や名古屋の人の前でそれを言ったら、自己否定していることになる。彼らからみれば、私も東京人の一種なんでしょうから・・・ それでは、柏を含めて首都圏の各都市は、これからも独自性のない、東京の衛星都市という現実に甘えなければならないのか?というと、100%そうとも言い切れないと思います。それは、首都圏に横浜という都市があるからです。 横浜、ヨコハマ、Yokohama・・・漢字でもカタカナでもアルファベットでも、何で書いてもサマになるこの都市は、いま首都圏で唯一、東京に対して文化面で独自性を主張できる存在だと思います。都市ヨコハマの歴史は新しく、幕末期、ペリーの黒船来航とそれに続く日米修交通商条約によって、1859年に開港し、明治維新以降は日本における西洋文化摂取の窓口として、そして国際都市として、常に栄えてきました。ここ横浜の地で、日本初の馬車、ガス灯、近代街路樹、アイスクリーム、写真館など、西洋起源のさまざまな文化が花開きました。横浜人たちはそれらを時間をかけて、自分たちの好みにアレンジして、独自の文化につくり変えてていきました。 港町という地の利を活かして、100年以上にわたって文化を創出し続けた都市ヨコハマ、そのパワーは今でも健在です。横浜発のファッションやトレンドは、東京の力を借りなくとも、そのまま全国区や近隣アジア諸国までに広まるパワーを持っています。横浜は(東京以外の)首都圏で唯一、自分の都市名を冠したブランド品が付加価値を持つ土地です。これは、どの都市にも真似できるものではありません。例えば、「千葉発」や「さいたま発」のブランドが付加価値を持つには、これから相当時間を経なければならないでしょう。 また、横浜は歌が生まれ、詩が生まれる街でもあります。実際、横浜は歌謡曲に出てくる回数が全国ナンバーワンの都市だそうです。ヨコハマ・ファンタジーのように、横浜を歌った曲だけでCDができてしまうのも、この都市ならではのことです。これだけ多くの流行曲が生まれるということ自体、横浜の底知れぬ文化創出能力を物語っています。 これだけ書くと、「いやいや鈴木さん、それは誉めすぎですよ。現実の横浜は、そんなもんじゃありません」と、謙遜する横浜人が現れるのかもしれません。横浜はとても広くて、例えば同じ横浜市でも緑区や青葉区のように、横浜の中心街に出るより渋谷に出た方が早いような地域では、「ハマっ子」ではなく「横浜都民」いう意識で過ごしておられる方々が多いことでしょう。あまりガラの良くない工業地帯や、タヌキやイタチの出そうな田園地帯もあるのでしょう。ですが、「千葉県の柏?何じゃそりゃ?」と言われ続けて悔しい思いをしてきた私からみれば、実質はどうあれ、知名度抜群、日本中の人が憧れる市名を冠した土地に住めるのは、十分幸せなことじゃないですか?と言いたくなります。 いま首都圏の、ちょっと大きな都市に住む人々は、みんな横浜に憧れています。自分の街を、いつかは横浜のようにしたいと思っています。例えば、東京湾の対岸にある千葉市や、最近政令指定都市になった「さいたま市」などは、かなり横浜を意識して街づくりを行っているようです。ですが、いくら横浜に匹敵するハコモノをつくっても、そこに洗練された感性の人々がたくさん集まって、自由な発想で活動をしてくれないことには、いつまで経っても魅力ある都市文化は生まれません。その点、千葉市もさいたま市も、ハード面はともかくソフト面で横浜に大きく水をあけられ、いつ追いつけるか分からない、というのが実情です。首都圏を代表するこの二都市でさえそうなのですから、他の都市は推して知るべし・・・ それでは、横浜以外の首都圏都市は、古都・鎌倉のようなごく少数の例外を除いて、文化の面では没個性な東京衛星都市であり続けるしかないのか?今後、少子高齢化が進めば瞬く間に活力を失い、巨大団地にお年寄りばかりが住むような寂しい風景に甘んじるしかないのか??いやちょっと待った!柏がある!! 柏は将来、横浜のような都市になれるのか??これは、荒唐無稽に聞こえるかもしれません。「おめーら柏の分際で、何ぬかしてんだ?100年早えんだよ!」という声が聞こえてくるかもしれません。 確かに、現時点で比較すれば、柏と横浜では人口、経済規模、都市機能、すべてが余りにも違い過ぎて、最初から勝負になりません。人口は柏の33万人に対し横浜は349万人!「名所」にしても、柏は駅前繁華街とレイソルグラウンドくらいしかないけど、横浜にはみなとみらい21、世界最大級の中華街、山下公園、横浜ベイブリッジ、山手・本牧あたりの異国情緒あふれる町並み、新横浜ラーメン博物館、W杯の決勝が行われた横浜国際総合競技場・・・「歌謡曲」にしても、横浜を歌った歌はCDが出せるほどあるのに、柏はパッパラー河合の「柏マイラブ」くらいしかない。これだけ考えると、柏が横浜に追いつくには、100年どころかチンパンジーが進化して人間になる位の歴史的時間がかかるのかもしれません。 ですが実際の柏は、33万人という見かけの人口規模よりもずっと大きな商業都市です。そのうえ、柏は商業都市として成功するための魅力的な戦略を持ち、それを見事成功させてきた、首都圏では珍しい都市でもあります。さらに千葉県北部と茨城県南部という大きな後背地を抱え、ポテンシャルも十分、最近ではちょっとした流行発信基地という性格も身につけつつあります。それらを考えると、柏が将来、横浜のような都市になるのは、或いは横浜に次ぐ首都圏第二の「東京から自立した都市文化発信地」になるのは、難しいけれど可能性ゼロというわけではないと思います。以下、柏の秘める大きな魅力について語っていきたいと思います。
私は柏で生まれ育ち、30年以上、柏の発展を見続けてきましたが、今日ほど柏が脚光を浴び、「トレンディタウン」として、シンクタンクやマーケティング会社にも注目されることは、過去に例を見なかったと思います。参考までに三菱総研研究員・小野由理さんのレポートをどうぞ。
仮に、柏が「さいたま市」あたりに位置していたらどうだったか?さいたま市は、埼京線があるため渋谷、新宿、池袋へのアクセスが非常に便利です。しかしそれは、地元商業の発展にとっては却ってマイナスかもしれません。実際、さいたま市住民は埼京線に乗ってどんどん都内に遊びに行ってしまいますし、またそれ以北の住民が、さいたま市を素通りして都内で遊ぶ、という現象さえ見受けられます。つまり交通が便利すぎるがゆえに、却って都内に人とお金を吸い取られてしまうのです。もっとも現在は、「さいたまスーパーアリーナ」ができて少しは改善されたのかもしれませんが。 逆に柏の場合、新宿や渋谷へのアクセスは不便です。柏と都心を直結する鉄道は常磐線と千代田線の二つありますが、常磐線は上野止まりですから、山手線に乗り換えなくてはなりません。一方、千代田線なら表参道や原宿までノンストップで行けますが、北千住で乗換でもしない限り、各駅停車のため約60分かかってしまいます。柏でさえそうなのですから、柏以遠の茨城方面や東武野田線、成田線方面から来るとなると、それ以上に時間と交通費がかかってしまいます。これでは、自然に都心から足が遠のいてしまうのも無理はありません。 そこに、柏のもつ抜群の地の利があります。1973年、柏駅前の再開発によって都内と遜色ないような百貨店群ができて以来、茨城南部、千葉北部の人々は、都内まで行かずに柏で買い物するようになりました。彼らにとって、用事を柏で済ませられれば、都内に行くのと比べて2時間以上、交通費にして1人1000円以上の節約になるのです。90年代後半になると、駅前の百貨店群のリニューアルが相次ぎ、渋谷などで人気の店舗を次々と導入したほか、柏全体で各種専門店や気のきいたレストランなども充実してきて、単にショッピングだけでなく都会の雰囲気が味わえる舞台装置が揃ってきました。すると今度は、「柏で買い物する」客だけでなく、「柏で遊ぶ」客も集めることに成功しました。 折りしも、柏にレイソルとストリートミュージシャンという追い風が吹きました。Jリーグ・柏レイソルのホームゲームが開催される日には多くのサポーターが詰め掛け、また首都圏各地から押し寄せたストリートミュージシャンの大群が柏駅前を巨大な野外ステージに変えました。柏商業は、そうした新しい若者の流れを見逃しませんでした。1998年、地元商店会、大型店、金融機関、商工会議所がメンバーとなり、柏駅周辺イメージアップ推進協議会が設立され、パワーあふれる若者文化を街づくりに活かすべく、数々のユニークな試みを行ってきました(詳しくはこちら)。それが、柏の雰囲気をますます華やかで、エネルギッシュなものにしてきました。 若者文化を街づくりに活かし、華やかな都会・柏を演出しようという戦略は、今のところ成功しているようです。だからこそ、いま柏が各メディアにこれだけ採り上げられ、注目されているのです。それにはもちろん、マイナス面もあります。最近、よく聞かれる声としては、「柏がガキばっかりの街になって、大人の居場所がなくなった」というのがあります。若者、それも10代後半から20代前半をターゲットとした街づくりを行うと、30代以上の大人の居場所がなくなるのはある意味当然かもしれません。でも実際柏の街を歩いてみれば、大人(特に奥様方)がくつろげるような雰囲気の店やレストランは結構あるんですよ。それでも、今は若者向けの店があまりにも発展しすぎて、カゲが薄くなっている印象は否めません。 いまの横浜がそうであるように、柏も若者向けだけではなく、成熟した大人も十分楽しめるような街になって欲しいです。しかしながら、柏が常磐沿線唯一の「都会」であることに、魅力を感じている大人も少なくないようです。例えば最近、柏の居酒屋でこんな話を耳にしました・・・柏には、つくば研究学園都市に勤める研究者とその家族がたくさん住んでいる。東京とつくばのちょうど中間にあって、東京よりずっと地価が安く、つくばよりずっと都会な柏に家を買い、子供を育てる人が多いのだと・・・ 私はこういうところに、都市・柏の無限の可能性を感じずにはいられません。この街は、単なる若者向けの一過性のトレンディな街で終わりはしない。むしろ、これからは大人がこの街の都会的な雰囲気を好んで住みつき、暮らすようになる。そして柏は今後長い時間をかけて、若者のアナーキーな活気に成熟した大人のテイストを加味した、奥深い味わいのある都会になっていくのだと・・・ そんな動きのなかから、徐々に都市文化というものが生まれてくるのだと思います。今の柏はもちろん、渋谷や新宿を超える何かを生み出しているわけではありません。ですが今後、柏に集まる何万、何十万の人々が、東京発のファッションを完全にマスターして、それにも飽き足らずに独自の「柏発のファッション」を生み出し、それが渋谷や新宿にも一目おかれて、全国区に広まるパワーを持つことができれば、或いは、柏のストリートミュージシャンのレベルが池袋や吉祥寺、横浜伊勢佐木町などを完全に超えて、例えば「池袋でデビューした人が、最終的に柏を目指す」ようになれば、その時点で柏は東京依存ではない、独自の都市文化の発信地となることができます。「第二の横浜」になることができるのです。
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