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富栄養な街−柏の表情 70's〜90's

目次
1.富栄養な街 2.70年代の柏−怒涛の開発ラッシュ
3.80年代の柏−バブルの宴 4.90年代の柏−New Kashiwaの胎動
5.21世紀の柏−音楽とスポーツの一大発信基地

二番街の休日
柏の街はいつも元気一杯
1.富栄養な街 文頭に戻る

 私は物心ついた1970年代初頭から現在までの30年近くもの間、柏の街を見守り続けてきましたが、時にふと「もう少し早く生まれていたらなあ」と思うことがあります。私が物心ついた当時、柏はすでに「できあがった」街でした。柏駅前の三大百貨店(そごう、丸井、高島屋)もダブルデッキもすでにあったし、国道6号線、16号線といった幹線道路もあったし、常磐線快速に乗ればわずか30分で東京・上野でした。だから私は、近代都市になる以前の柏を知らないし、近代都市に変貌していく過程も目の当たりにすることができませんでした。

 私が知っているのは、いつも人が大勢いてにぎやかで、大型百貨店に囲まれてピカピカに磨き上げられた商都・柏だけです。この街のイメージは、一言で言えば「富栄養な街」といったところでしょうか。富栄養といえば水質全国ワースト1を誇る(?)手賀沼のように、川や湖の汚染が進んでいるようなマイナスのイメージがありますが、「富栄養」を一文字ずつばらしていくと、どれもおめでたい意味の字になります。

富(Rich):何だかんだ言っても柏の住民は結構お金持ちだと思います。特に「小金持ち」が多い。大抵の人は不動産を持っているし、ローンの負担も他の沿線に比べて少ないからキャッシュもある。所得水準も県内トップクラスだそうです。柏周辺の小金持ちが日々お金を使ってくれるからこそ、摩天楼のような駅前の巨大商店街が商売を続けられるわけだし、超豪華結婚式で有名な柏玉姫殿のようなビジネスも成立するのでしょう。

栄(Prosperous):「栄えている」という言葉は柏のためにあるのかと思うほど、この街は繁栄しつづけています。柏駅前の百貨店群は言うまでもありませんが、近年はロードサイドの大型量販店の台頭も著しく、商都・柏は質量ともに充実の極にあります。柏駅から徒歩5分の距離にある私のマンションの窓を開けると、駅前方面から街の活気が入り込んでくるのがよく分かります。

養(Reproducing):柏市の年齢構成は全体として若く(平均35歳前後)、特に団塊の世代とその子供のベビーブーム世代の層が厚いことで知られています。つまり柏という街は、次の世代を力強く再生産し続ける街なのです。柏で生まれ育った若い世代の多くはいろいろ不満はあっても、結局仕事が沢山あって生活も便利な柏に住み続け、ゆくゆくは柏の近辺で所帯を持ち、次の世代を育んでいくのです。

 この富栄養な街・柏も70年代、80年代、90年代と時代を経ていくにつれ、街の表情も常に変化しつづけてきました。柏とともに歩んできた自分の人生と重ねあわせて、この街の表情を10年毎に描き出していきたいと思います。

2.70年代の柏−怒涛の開発ラッシュ 文頭に戻る

 この時代の柏は、市内どこへ行っても建設工事の槌音が響き、見る見るうちに街が変形していく怒涛の住宅開発ラッシュの時代でした。増え続ける人口に都市基盤の整備が追いつかず、開発は虫食い状態。街の姿はかなりいびつでした。

 1970年当時、柏の人口は15万人以下で、現在の半分にも満たない数でした。両親はたまに幼い私を連れて柏そごう最上階のレストラン(一時間に一回転するあれです)で食事することがありましたが、そこから眺める柏の街は駅前周辺以外は濃い緑の森と淡い緑の水田に囲まれていました。子供心に「緑が多い街なんだな」と思っていました。道路も今ほど整備されておらず、駅を少し離れれば砂利道と泥道が多くを占めていました。現在は家がビッシリと建て込み、半ばコンクリートジャングルと化した東上町、桜台のあたりも当時は開けておらず、私は森の中のアジサイの花咲く泥濘の道を女の子と一緒に保育園に通った記憶があります。

 しかし、当時の柏は東京のベッドタウンとしてものすごい勢いで住宅開発が進み、一年間に一万人以上のペースで人口が増えていく時期でしたので、柏の緑も急速に食いつぶされ、また道路という道路がアスファルトで塗り固められていきました。小中学校の整備も急ピッチで進められてきましたが、急激な人口増加には到底追いつくことができず、一学年下る毎に一クラスずつ増えていくという有様でした。例えば、70年代後半の柏中などは一学年15クラス、1クラス45人だったそうです

 70年代当時、柏駅前の商店街はかなり開けており、三大百貨店とイトーヨーカドー、長崎屋、二番街などはすでに存在していましたが、駅から徒歩10分以上離れるとそこはパパママストアと駄菓子屋の世界でした。駅からちょっと離れた住宅地には10軒あまりのミニ商店街が必ずと言っていいほどあり、その大部分は家族経営の小さな雑貨店、食料品店、衣料品店でした。地元の住民にとっては、日常の買い物の場はミニ商店街で、柏の駅前はちょっと「よそ行き」の世界というイメージがありました。また駄菓子屋は市内いたるところにあり、幼い私は10円位で買える「よっちゃんいか」や「チロルチョコレート」などを買い込んでいました。

 今から振り返ると、70年代の柏はものすごい勢いで変化していく途上にあったように思えますが、60年代の変化のすごさは70年代の比ではなかったそうです。なにしろ、貧しい農村が一気に近代都市に生まれ変わったそうですから。できればあと15年早く生まれて、その現場を目撃したかったと思います。

3.80年代の柏−バブルの宴

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 この時代の柏は急速に「商都・柏」としてのしあがっていく時期で、街全体が明るい上昇気運に包まれていました。その繁栄と爛熟は80年代後半のバブル到来で頂点に達しました。人々は豊かさを実感するとともに、豊かさが生み出す閉塞感、矛盾も表面化してきました。その雰囲気を敏感に感じ取って表現したのが、この時代の柏が生んだ「爆風スランプ」でしょう。

 商都・柏の発展は駅前の巨大百貨店群が住宅地のミニ商店街を食いつぶしていく形ですすめられました。柏の主婦たちは駅前商店街を「よそ行き」ではなく、「日常の買い物の場」として活用するようになりました。当時の私には、なぜ豊四季や名戸ヶ谷あたりの主婦がバスや自転車で毎日柏の駅前にやって来るのかが不思議でしたが、自炊を始めるようになってようやくその理由が分かりました。駅前には沢山のスーパーがあって、磨き上げられた品々が並んでいる、限られた予算の中で最高の買い物をするために、折り込みチラシなどで情報収集を怠らず、割引セールは絶対に逃さない。その地道な活動の末に、ついに「買う」と決断したときのスリル。ヨーカドーが高ければ長崎屋、それがだめなら伊勢角と、スーパーを次々とハシゴできる充実感。主婦たちがそれに酔いしれるとともに、地元のミニ商店街は衰退の一途をたどっていきました。ついには、「ミニ商店街の雄(?)」銀座通り商店街さえもがさびれてきて、柏のショッピング戦争は駅前への一極集中で決着が着きました。駅前商店街にとっての新たなライバル「ロードサイド量販店」が浮上するのは、この後のことです。

 モータリゼーションも急速に進みました。利根川、江戸川には何本もの橋が架けられ、柏近辺から東京、茨城方面へのアクセスは一気に充実しました。常磐高速の柏−谷田部間が開通したのが80年代前半で、私たちは開通当日に車を飛ばして谷田部まで行きましたが、料金所のおじさんの茨城弁が理解できませんでした。「こんな言葉が通じない所にも高速で一本で行けるようになったんだなあ」と感慨無量でした。

 上昇気運の柏の街に、ついにバブルがやってきました。坪60万といわれていた我が家の地価は2〜3年で坪300万を超え(今は坪150万弱)、大多数の人々は「大金持ちになる千載一遇のチャンス」とばかりに、不動産投資、ゴルフ会員権、株式に一斉に走り出しました。柏の葉公園あたりには、1億円を超える「ビバリーヒルズ柏」なる瀟洒な住宅群も誕生し(土地が高すぎて50〜60坪くらいしかないところがちょっと悲しい)、駅前の百貨店の売り場にはどう考えても原価の10倍以上はするDCブランド等で埋め尽くされました。飲み屋街には客単価の高いキャバクラや韓国パブ、フィリピンパブの類が軒を並べ、夜の街に彩りを添えました。

 お金の面では確かに豊かになった。でもその豊かさを生活や文化の質を本当に高くする方向へ活かす術を知らなかったこの時代の日本人。80年代の柏の街はそんな日本の縮図のようでした。

4.90年代の柏−New Kashiwaの胎動 文頭に戻る

  バブルが弾け、日本経済は未曾有の不景気の時代を迎えました。柏でもバブル崩壊で大損した人は非常に多く、一時街は火の消えたように静かになりました。しかし、新たに浮上した若者、女性の消費パワーが沈滞ムードを吹き飛ばし、柏の街は瞬く間に輝きを取り戻しました。バブル崩壊と世界の激動を目の当たりにし、人々は「自分とは何者か」というアイデンティティや生き方を模索するようになり、それは柏という街自体のアイデンティティを模索する動きになりました。こんな時代背景が柏レイソルを、そしてサムシングエルスに代表されるストリート・ミュージシャン達を生み出しました。

 バブル崩壊後、柏の各地に点在する飲み屋街は一時期死んだように静かになりました。キャバクラ、韓国バーなどは壊滅状態になり、私の父などの御用達になっている安い居酒屋も次々と姿を消していきました。

 しかし、おじさん世代や企業にお金がなくなったちょうどその時期に、ベビーブーム世代が就職してお金を稼ぐ年齢になったことが柏にとって幸いでした。柏は年齢構成上ベビーブーム世代の層が非常に厚いので、若い彼らがバブル崩壊の穴を一気に埋めてしまいました。また、柏には購買力の高い女性も多いことも幸いしました。そうした新しい消費ウェーブ"New Kashiwa"の胎動が、高島屋ステーションモール(ステモ)、丸井ファッション館という形で結実しました。前者が若い女の子の館、後者がキャリアウーマンとカップルの館に変貌し、二番街にはクレープ屋とファストフードの店が乱立しました。

 夜、柏の駅前にたむろする人々の姿も時代とともに変貌し続けています。90年代初頭、バブルの余波が残っていた時代には、一見して中近東出身と分かる男達の天国でしたが、不景気になると彼らはすっかり姿を消し、今度はスケボー野郎、ローラーブレード野郎の巣窟になりました。そして、95〜96年頃からは、柏はなぜかストリートミュージシャンの聖地の一つになり、毎日午後5時頃から12時過ぎまでタダの生演奏(叫び声?)が聞けるスポットになっています。また、東武線の駅舎は雨露をしのげることもあって、近年はホームレスおじさんが15人ほど住み着いくようになり、ごく最近ではその中に交じってストリートミュージシャン風の若者や外国人バックパッカーの姿も確認できるようになりました。

 極めつけは、何といっても柏レイソルの誕生でしょう。レイソル出現によって柏の名が一気に全国に広まり、駅からレイソルグラウンドまでの通学路は「レイソル通り」と改称され、各地から駆けつけたサポーターで埋め尽くされるようになりました。これまでおじさん達を相手にしていた居酒屋も次々と「レイソル酒場」に宗旨替えを果たし、サポーターのお兄さんお姉さんたちが夜遅くまで黄色い声をあげています。

5.21世紀の柏−音楽とスポーツの一大発信基地 文頭に戻る

  柏の街をずっと見続けていると、商業都市というものの変化の速さ、柔軟性、融通無碍のたくましさをまざまざと感じます。この街は一見一直線の繁栄を続けているようでも、中身を見ると常に変化し続けている。時代の少し先を読み、より儲かる客をターゲットとし、その客によりアピールするように商品のラインアップや業態まで変えてしまう。驚くべき柔軟性で変化し続けるからこそ、繁栄を続けられるのだと思います。

 また、繁栄する柏を舞台に様々な人が集まり、各自思い思いの活動をするうちに、近年「味のある街になってきた」と思います。これまでは単なる東京のベッドタウンだったのが、90年代頃からははっきりと「音楽」と「スポーツ」を中心とする個性ある街になってきた、しかもそれがパワーのある若い人たちによってしっかり支えられているのが大変心強いと思います。

 柏はこれからも繁栄し続け、「富」、「栄」、「養」な街でありつづけるでしょう。その繁栄の上に、人々が次々と新しい文化を創り上げていくでしょう。それがどんなものになるのかは私には想像もつきませんが、多分「音楽」と「スポーツ」が軸になるのではないでしょうか。おそらく、柏は麒麟児、矢沢、爆風スランプ、サムエルに続く、数多くの人材を全国へ、世界へと輩出し続けるでしょう。そして多分、あと20年くらいのうちに、柏は音楽やスポーツの情報の一大発信基地になると思います。情報革命によって個人がテレビ局やラジオ局を持てるようになる時代が数年後に来ますが、それは柏にとって追い風になることは間違いないでしょう。あと20年もすれば私もいい年になっていますが、若い世代とともに何らかのかたちで柏の文化を担っていたいと思います。


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