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ワーカホリック考
−人はなぜ過労死するまで働くのか?−

目次
1.働き過ぎの日々

2.人はどんな時に働き中毒になるのか?

3.働き蜂が死んだら  

1.働き過ぎの日々

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 一日平均労働時間15時間、土日も半分以上は出社、帰りは良くて終電下手すればタクシー、一日平均睡眠時間4時間以下、それでも翌朝は寝不足の青い顔で満員電車に揺られて出勤、一日二食はコンビニ弁当、いくら疲れても休むと仕事の進捗に差し支える風邪薬を飲んでごまかす毎日・・・こんな猛烈な働き蜂の生活がついに私の身にもふりかかってきた。

 この状態は9月末あたりから1ヶ月以上も続いている。長い勤務時間も全然ダラダラできず緊張の連続、車で言えばギアは常に5速に入りっぱなし、アクセル踏みっぱなしの状態。なけなしの休日は泥のように寝るだけで体調を維持するだけで精いっぱい、大好きなホームページの更新など夢のまた夢。母も父も私の健康状態が心配で常に眉をしかめて言う、「マナブ、お前もう30なんだからあんまり無理するなよ」・・・でも私はこう言うしかない。「俺だってゆっくり休みたいよ。でも納期も迫ってるし、周りにも迷惑がかかるから、休めないんだよ。」

 下の図は10月のある週の勤務時間表を転記したものである。出勤、退勤時間、労働時間ともこの一ヶ月間では平均的な数字と思われる(平日なのに13時間で済んだ(?)日が二日あり、土曜日も半日しか出勤していない分、いい方かもしれない)。

  合計
出勤時間 08:00 08:15 08:00 08:20 08:30 08:05  
退勤時間 23:20 21:25 23:30 01:20(翌) 21:30 12:40  
労働時間 15:20 13:10 15:30 17:00 13:00 4:35 78:35

 私は大学時代ゼミで過労死の問題をテーマにしたことがある。気楽な学生の身分だったあの頃は、「俺は絶対過労死なんかしないぞ。仕事より家庭を大事にするぞ」などと青臭い快気炎をあげていたが、いざ日本の企業社会の最前線に立ってみると、人間を下手をすれば過労死という状態に追い込みかねないような激務を強いられる状況が今なお厳然と存在し、その圧力はどう抵抗しても動かしがたい巨大なものであるということを身をもって実感する。過労死もいつ何時我が身にふりかかるか知れない切実な問題として認識せざるを得ない。今の状態が続けば、私の仲間の誰かが過労死(?)・・とまではいかないにしても自律神経失調症くらいになってもおかしくない。ちなみに、私の勤め先は外資系なので、自律神経をやってしまった人を称して「バーン・アウト(Burn out = 燃え尽きた)」と呼んでいる。

 このエッセイでは、人はどのような状況のもとで働き中毒になってしまうのか、なぜ過労死するまで働いてしまうのかを、現場の人間の実感に即して考察してみようと思う。

 

2.人はどんな時に働き中毒になるのか?

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 私の限られた経験から言うと、人は次の3つの条件が重なった場合、特に働き中毒になりやすく、過労死も起こりやすいと思われる。

@外的要因:スケジュール自体がきついか、職務を遂行する能力が不足している場合

 当然のことながら、スケジュールがきついと、仕事の効率を良くするか、それができなければ体力と根性で補うしかない。そして現場では前者の解決策がとられることは皆無に近く、後者すなわち残業や土日出勤というかたちで補うことがほとんどである(理屈から言えば仕事の効率を上げる方が良いに決まっているが、そのためには新しい仕組みを考えたり、それを周知徹底したり管理したりする時間とキーパーソンがどうしても必要で、納期が迫っていたり人手が足りない切羽詰まった状況では到底不可能である)。

 スケジュール通りに職務を遂行する能力が不足している場合はさらに悲惨である。ただでさえ過重な仕事をこなしながら、同時に常にレベルアップしていかないと追いつかないのだから。そしてこうした問題(職務と能力のミスマッチ)は、人事異動や仕事の内容の変化に伴っていつでも発生しうる。そして、現在の日本で、この問題と無縁という幸せな会社はおそらく皆無だろうし、そんな会社は早晩倒産するか吸収合併されるだろう。

A環境要因:職場の人間関係が良く、また上から下まで皆忙しい場合

 日本の企業社会の場合、過労死の問題は「経営者や上司が部下をこき使う、搾取する」という単純な図式では捉えられないだろう。人間というものは、「自分だけが大変な思いをして、一部の人間が楽をしている」状況では、自然と仕事にも身が入らず、過労死するような激務はしないものである。逆に、職場の人間関係が良く、厚い絆で結ばれている場合ほど、そして上から下まで誰一人としてラクできず、皆目茶苦茶に忙しい場合ほど、「○○さんがあれだけがんばっているんだから、俺もがんばらないと」とか、「今日は疲れているけど、休むと△△さんに迷惑をかかるから、無理しても出よう」などという気持ちになりやすいものである。そしてその延長線上に過労死や燃え尽き症候群があるのだろう。

 私を含めて、日本のサラリーマンの大多数は生真面目で、悲しくなるほど心根が優しい。そして仲間の評価を必要以上に気にしてしまう。同僚や部下が頑張っているのを尻目に自分だけ休暇をとったり楽をするような芸当ができる人は稀である。上から下まで、人をアゴでこき使ったり、家畜のように働かせることができない。自分も一緒につい頑張ってしまうのが、良くも悪くも日本人の性格なのだと思う。現に、日本のサラリーマンのかなりの部分が有給休暇を全部消化しないのも、仲間への配慮とが他者から評価してもらいたい欲求が強く働いているのに違いない。

B内的要因:性格が生真面目で几帳面で責任感が強く、体力に自信を持っている人の場合

 概して生真面目な日本人の中にも、性格の個人差がある。一般に、几帳面で責任感が強く、自分に厳しい人ほど、働き中毒になりやすい。また、学生時代に体育会をやっていたりして、自分の体力に自信をもっている人ほど、ついつい無理をしてしまい、それが積み重なって過労死してしまうケースも多いと思われる。むしろ、身体の弱い人の方が、健康管理に気を配る分、自分自身に激務を強いることは少ないというのが私の実感である。

 

3.働き蜂が死んだら

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  私はここ一ヶ月余り、上記の3つの要因が見事に重なり、一週間平均約70〜80時間労働という働き過ぎ状態を続けている。現実に過労死した人が死の直前どのくらいの時間働いていたのかは知らないが、その人たちがどのような精神状態だったのかは実感をもって想像することができる。

 彼らは死の直前、恐らくランナーズ・ハイに似た昂ぶった精神状態だったろうと予想される。少なくとも、暗く打ち沈んではいなかっただろう(嫌な仕事をやらされているという人は決して過労死するまで働かない)。自分の仕事に打ち込み、責任感に燃え、組織のため、家族のため、前向きに張り切っているところを、死が突然襲ったのだと思う。坂本竜馬は「同じ死ぬなら、前のめりになって死にたい」という名言を残したが、格好良さの程度は別として、過労死した人たちの精神状態はまさに「俺は少なくとも前のめりになって死んだぞ」だったに違いない。もし彼らが天国に行ったとすれば、彼らはそのことを天国の人たちに自慢していることだろう(もちろん、残された家族に対する申し訳ないという気持ちも混じった複雑な気持ちだろうが)。

 ただ、いくら本人が前向きな気持ちだったとしても、職場以外の人間、特に家族の目には絶対そのようには見えない。残された奥さんの反応は、「うちの旦那は会社に殺された」、「死ぬまで働かせた上司や管理者が悪い」となるだろう。その後は、過労死110番に相談する、労災を申請する、そして弁護士を頼んで会社を告発するという動きになるだろう(自分の妻が会社で過労死したら、私もそうするかも知れない)。そうなったら、会社側が事故当時の職場の業務の状況がどのようになっていたかについていくら説明しても、遺族は聞く耳をもたないだろう。裁判沙汰になれば、会社も自らを守るために裁判で争うだろう。カネで決着が着けば良いが、遺族の裁判が既存左翼政党や市民運動の支援をうけて、「○○社の道義的責任を告発する」などという騒ぎになればそれこそ終わりのない闘いになる。いろいろな党派が入り乱れて支援したり離別したりして収拾がつかなくなり、結局数年もすれば遺族が疲れ果てて闘いを放棄するだろう。そうなると、結果的には遺族の心の痛みは癒されず、会社もダメージを受け、せいぜい特定党派のささやかな票集めの材料になるに過ぎなくなる、過労死という大きなコストを払ったのに社会は一歩も前進しない・・・。このような悪循環に陥らないためにも、労災認定の充実や遺族の生活保障をはじめ、社会的に遺族をケアする制度を充実させることは急務だと思う。自動車事故のように「過労死したらいくら支払う」という相場のようなものを制度化させてもいいと思うし、会社側でも過労死問題のリスクをヘッジするような保険に加入するのも一案と思う。

 私自身の正直な気持ちとして、万が一自分が過労死するということになったら、遺族には「会社に殺された」と思って欲しくないし、裁判沙汰にもして欲しくない。ましてや裁判が特定党派の運動に利用されるのは絶対に嫌だ。なぜなら、過労死する瞬間には、私は恐らく坂本竜馬のように「前のめりになって死んだ」とひとり悦に入っているだろうし、また会社には大切な仲間が日々必死に働いており、その人たちにダメージを与えて欲しくないのだ。むしろ、遺族には私の一生をもっと暖かい目で見て、心から惜しんで欲しいと思う。私は一生ずっと会社に捧げた働き蜂だったわけではないし、むしろバックパッカーなどして気ままに生きてきた人間なのだ。その全体を振り返って、「マナブの一生は本当に好き勝手で幸せだったんだなあ」と思って欲しいのだ。そして、離別の痛みから一日も早く立ち直って、平常の生活を取り戻したら、過労死の問題に真剣に取り組み、紛争の解決と遺族のケアのための制度を構想している個人や政党とともに、その実現に尽くして欲しい。言葉を換えれば、私の死を人にダメージを与える目的に使わず、逆に社会を前進させる力に変えて欲しいと思うのだ。

 私自身ももう30歳、家庭もある。愛する家族に先立って過労死しないためにも、健康管理やストレス管理には十分気を配らなければと思う。また、もし週80時間労働を半年も続けるような会社に勤めているのならば、自分と家族のために進んで転職するべきだと思っている。また同時に、自分の仕事や会社について、家族に常に説明し続けなければと思う。特に、「なぜいま一生懸命働かなくてはならないのか」を、家族には十分に認識を持ってもらえるように努めようと思う。これが、青臭い学生時代から10年経って、企業社会の第一線で働く私の達した結論である。

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