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傍若無人!右翼の街宣車

−私たちは右翼に何を期待しているか−

目次
1.単なる大迷惑野郎 2.私たちは何を期待しているか
1.単なる大迷惑野郎 文頭に戻る

休日の昼下がり、軽快なサザンのバラードを聴きながら快適にホームページのコンテンツ作りをしていた私は、突然「ガーン」という大音量で思わず飛び上がった。窓から大通りを見ると、案の定、黒塗り・防弾ガラスの怪しげなマイクロバスが三台ほど並んでいる。その後で音量MAXのスピーカーから聞こえてくるお馴染みのメロディー「日の丸あげて突っ込めば、なんともろいぞ敵の陣。」

私はこれまで国内各地を転々としてきたが、ここ千葉県柏市に越してきてからは、右翼の街宣車を見かける回数がとみに多くなった。私のマンションは国道6号線沿いにあり、その6号線をさらに下った茨城県あたりに各種右翼団体が結集している(という噂がある)からかもしれない。半径5メートル以内なら100デシベルは優に超えていると思われるあの大音量に悩まされる回数は土・日、祝日で平均だいたい4〜5回くらいだが、憲法記念日などになると回数も時間もその数倍になる。私などは、彼らが来るたびに窓から「うるせえぞ。てめえら帰れ、出てけ!」と力一杯叫んでいる(音には音を!実に無駄な抵抗だ)が、最近などはそれがストレス発散に実に良いので、心の底で「早く来ないかな!」と手ぐすねひいて待っている(我ながら本末転倒してるな)。

しかし、沿道に住む妊婦や赤ちゃんや老人にとっては、そんな笑い事では済まされないだろう。あのスピーカーの大騒音でせっかく寝付いた赤ちゃんが泣き出す、それどころか恐怖のあまり顔をしかめる、おばあちゃんは突然襲ってくる爆音に腰を抜かし、B29の空襲を思い出す...などという情景は容易に想像がつく。

あの騒音は、はっきり言って常軌を逸していると思う。確かに選挙カーの音もうるさいが、右翼街宣車の音量はそれより二回りくらい大きい。何といっても、選挙カーの音は選挙前二週間ぐらい我慢すれば良いが、右翼街宣車の場合は休日なら毎日出没し、まさにエンドレスなのである。さらに、選挙カーの場合はウグイス嬢(もしくはおばさん)の声が耳に心地よいと言えないこともないが、右翼の場合は若い男の野太い叫び声か、でなければ軍歌か浪曲か、結局セクシーさのかけらもない、迷惑でうるさいだけの音なのである。もう一度言わせてもらえば、あの黒塗り車の一団は地元住民にとっては、騒音公害をまきちらすだけの単なる大迷惑野郎なのである。言っちゃ悪いが、暴走族と同列に論じたい位である。唯一、右翼街宣車が暴走族に比べて偉いと思える点は、少なくとも深夜に騒がないことと、交通ルールをちゃんと守っている(と街宣車には書いてあった)ことである。

2.私たちは何を期待しているか 文頭に戻る

合理的に考えてみると、彼らの行動は正直言って理解に苦しむ。なぜ地域の住民から怒りと冷笑を買うだけにすぎないような行動をあえて繰り返すのだろうか。なぜ?何のために?何に突き動かされて?今度は、自分がどんな状況に陥ったらあのような行動をとるのかを考えてみる。考えてみると、「最愛の妻が何者かによって命を奪われて、ヒステリックな状況に陥った時」とか、「日頃の鬱積した気持ちを発散する際に、ちょうど酒に酔って抑制が効かなくなった時」くらいしか思い当たらない。少なくとも、何らかの目的に到達するための合理的行動ではなく、単なるヒステリックな感情の発露に過ぎないのだろう。

現在の日本の政治制度は民主主義の原則に則って運営されている。民主主義制度のもとでは、どんな政治的主張にも市民権が与えられており、それぞれの主張の間にはそれ自体として価値の優劣はないとみなされる。その意味で、右翼的ナショナリスティックな主張は他の主張(社会主義、自由主義等)と少なくとも同じスタートラインに立っている。同時に、日本国民には各種の主張の中から自分の判断で取捨選択する権利が与えられている。したがって、ある主張が国の政策として採用されるかどうかは、どれだけ多くの国民に支持されるかの一点にかかっている。

このような制度の下で、右翼ナショナリズムが国民の広い支持を集めるためには、この日本社会のなかで国民が期待する機能を果たしていかなければだめだと思う。より簡単にいえば、「国民がやってほしいと思っていることを実行する」ことである。私はナショナリストではないが、もしナショナリスト政党の政策参謀になるのであれば、国民の期待に応えるために、おそらく次の3点を提唱するだろう。これらは恐らく、ナショナリストの主張ともそれほど大きく矛盾しないと思われる。

1.国土の美化、環境保護に力を尽くす

日本の自然は美しい。この美しい自然を後世に遺していくために、国土の美化に全力を挙げる。海岸や山野に散乱するゴミ、空缶は率先して拾う、自分の両隣三軒は毎朝掃除する、ゴミはきちんと分別する。国土を破壊する大土建プロジェクトには徹底的に反対する。過疎化・高齢化のなかで放置されている休耕田を自ら耕し、山林の下草刈りに精を出す。生きとし生けるもの全てに愛情を注ぎ、動植物を開発の波から守る。

2.日本の言葉と文化・伝統を継承する

独自の伝統と細やかな自然に育まれた日本の言葉は美しい。この美しい言葉を守り、世界の人々にその良さを理解してもらうために、まず自らが日本語を深く学び、日本に興味を持つ外国人には無償でボランティア講師を買って出る。また、列島各地で消滅しつつある伝統芸能を自ら学び、後世に受け継いでいく。そして各地で細々と息づいている方言を守る。各地のお祭りには進んで参加して場を盛り上げる。

3.婦人、子供、老人にやさしい社会をつくる

やさしさ、思いやりは日本の美しい伝統の一つである。特に、婦人、子供、老人にとってやさしい世の中を実現するために全力をつくす。妊婦や赤ちゃんを思いやって、街宣車の音量はこれまでの半分にする。老人が道をわたるときにはすすんで手を貸し、また老人が出歩きやすい町づくりを目指す。また、婦人が育児をしやすいように夫婦間の家事分担を推進し、また育児施設の拡充や教育費の削減に力を尽くす。

私は、国民がナショナリストに期待するのは上の3点に集約されると思う。それは一言で言えば、「ナショナリズムの原点に帰り、それを着実に実践する」ということである。日本の伝統・文化・自然を愛し、それをより豊かにしていけるような着実な努力と実践を、国民は求めているのである。少なくとも、100デシベル以上の騒音を撒き散らし、テポドンの脅威や中国に対する敵意を必要以上に煽るより、どれほど国民に歓迎されることか。

恐らく右翼団体のなかにはこの程度の主張はすでにしており、実践もしているというところもあるだろう。しかし、私ども一般市民に聞こえてくるのは、中国、韓国やアメリカを極端に敵視し、きな臭い軍歌をがなり立てるような輩ばかりである。そうした、西洋起源の国民国家の観念に縛られているような思想はどこかバタ臭く、薄っぺらい。むしろ、2000年以上の長い歴史を持つ日本の文化伝統に根差した奥の深い思想が必要なのだと思う。

今日もすごい騒音だった。最後に街宣車のお兄さんに一言。「日本男児なら、恥を知れ」。

 

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柏の街を闊歩する街宣車