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日本の眼から見る台湾人アイデンティティ

目次
1.台湾人ナショナリズムの誕生 2.台湾人の将来

私は1989年から90年にかけて、台湾師範大学に語学留学をする機会に恵まれました。20歳前後の多感な時期を、台湾の人々と笑い、泣き、共に過ごした1年間は、私の人生にとってかけがえのない経験でした。中国語(北京語)を習得したことで、私の世界は飛躍的に拡大し、中国大陸、台湾そして全世界の華人に数多くの友人知己を得ました。そして何よりも、生涯の伴侶(台湾生まれのオーストラリア華僑)と出会うことができました。

台湾滞在中に、北京で天安門事件が起こりました。私は当時台湾の学生8名と一緒に下宿していましたが、学生たちの間では統一か独立かをめぐって熾烈な議論が毎晩繰り広げられていました。普段は大変温和な台湾の人々がこの問題になると口角泡を飛ばして激論するのを目の当たりにした私は、台湾のナショナル・アイデンティティ(認同)について次第に関心を持つようになりました。

1.台湾人ナショナリズムの誕生 文頭に戻る

台湾の人々にとって国民党・蒋政権統治下の約40年間は、「中国人になることを強制された時代」だったと言えるでしょう。統治者の意志が一番強く現れるのは学校教育です。ごく最近(1996年)まで台湾の学校教育は中国大陸一辺倒で、台湾のことは全くと言っていいほど教えられませんで した。台湾の高校生は、中国4000年の歴代皇帝の名は全部暗記させられても、首都の名を「南京」だと教え込まれても、日々暮らしている台湾とはどんな社会なのか、どのような歴史を経て成立したのかを学校で学ぶことはできませんでした。また、50年にもわたる北京語教育の結果、「日本語国民」だった台湾2000万の民は「北京語国民」に改造されました。しかし、たとえ言葉が通じても、同じ国だと教え込まれても、台湾の人々にとって共産党支配下の中国大陸は長い間足を踏み入れることも、内情を窺い知ることさえできない、遠い世界であり続けました。戦後(光復後)の台湾の人々にとって最も身近だったのは、皮肉なことに「外国となった」日本でした。たとえ言葉が通じない外国でも、戦後いち早く復興し、平和憲法のもとで驚異の経済発展を遂げた日本に台湾の人々は憧れました。そして、経済、技術はもちろん、法制度やサブカルチャーまで何でも貪欲に学び、必死に日本の後を追いかけてきました。私自身、台湾の友人たちの日本に対する知識、関心のすごさには度肝を抜かれたものです。例を挙げれば、「カラオケでチェッカーズ(方格子合唱団)の歌を教えてもらった」、「中森明菜が自殺 未遂をした時、台湾の友人が血相変えて私の部屋に飛び込んできた」、「私の住所が東京都国立市だとルームメイトに話したら、彼が雑誌(中国語)に載っている国立市のタウン地図を取り出した」・・・。世界中どこを探しても、台湾ほど濃密に日本を取り入れ、歴史を共有した社会はないでしょう。

李登輝総統の「台湾人の悲哀」という言葉に象徴されるように、台湾の歴史は中国と日本というアジア二大国に支配され、翻弄される苦難の歴史でした。第二次大戦後の台湾とこの二国との関係を一言で言えば、「中国(大陸)とは言語を共有したが、歴史は共有しなかった」、「日本とは歴史を共有したが、言語は共有しなかった」のです。私はこれを「台湾戦後経験のねじれ」と呼びます。台湾の人々は、中国と歴史を共有できなかったために、結局中国人になりきれませんでした。また、日本語という言語を失ったため、日本人にもなれませんでした。もし、戦後経験のねじれがなければ、例えば戦後の中国社会が日本並みの経済社会の発展を遂げ、平和的な統一が実現されていれば、台湾2000万の民は12億中国国民の一部となっていたでしょうし、あるいは日本の植民地統治があと30年続いていれば、台湾アイデンティ ティが完全に消失して、日本社会に溶け込んでいたかもしれません。中国人にも日本人にもなれないと悟った人々は、美麗島と呼ばれるこの島の人々と共に、「台湾人」として生きていくしかないと思うようになりました。その傾向は、1980年代の後半に顕著になり、アジアで最も新しいナショナリズムともいえる「台湾人ナショナリズム」を生み出したのです(ここでいう「台湾人」とは、福建系の本省人のみを指すのではなく、客家系、外省人、原住民等を含む、台湾島民全体を指します。) 台湾人ナショナリズム誕生の背景には、経済発展の果たした役割を無視できません。台湾人は、中国大陸とは比較にならない程豊かな社会を自ら創り上げたことで自信を持ちました。美味しいものを腹一杯食べ、きれいな服を身にまとえるようになった台湾の人々は、これまで貧しさと厳しい政治のなかで眼をそむけてきた「自分たちとは何者か」というテーマに関心を向け、自ら「台湾人」を発見したのです。そして90年代の台湾人は、統一を求める中国共産党の再三のよびかけに「No」と言い、中国人の一部に組み込まれることを拒否したのです。

2.台湾人の将来 文頭に戻る

皮肉なことに、台湾人ナショナリズムが顕在化した80年代後半は、国際情勢があまりにも台湾人にとって不利な時期でした。改革解放後の中国は12億人巨大市場を武器に、全世界の国々に対し中華民国・台湾と国交を結ばないよう迫っています。人権問題等で北京に批判的な欧米諸国でさえも巨大市場の魅力には勝てず、台北に大使館をおくことはできません。現在、中華民国・台湾と国交を結んでいる国は二十数ヶ国、全て国際的影響力のない小国ばかりです。最近10年間を見ても、韓国や南アフリカが台北と手を切りました。台湾人は自己主張をすればするほど、国際社会のなかで生存空間を失っていくという極めて厳しい状態に置かれています。日本から見ていると、中国と台湾が今なぜ統一しなければならないのか、それが海峡両岸の人々にとって何の利益になるのか、理解に苦しみます。一体、誰のための統一なのでしょう。私の眼には、国民党・蒋政権が大陸反攻のスローガンのもとで唱えた統一論は、結局自分たちの私的な利益を守るための統一であり、一方北京政権、特に江沢民主席が唱える統一論は、中国大陸を分裂させないために愛国心を盛り上げるための統一に過ぎないように見えます。 この両者は実によく似ています。どちらも台湾の社会や人々に全く関心がなく、理解しようともしなかったことです。私は、この両者が大国意識を背景にした身勝手な統一論を唱え続けたことが、逆に台湾の心を中国から離反させ、台湾人意識を目覚めさせたのだと思います。無論、台湾人口の99%は漢民族であり、中国と同じ血統、言語、文化伝統を共有していますから、中華民族意識からは逃れられないでしょうし、その点から統一を望む気持ちも当然あるでしょう。私は、台湾人がもし統一を目指すのなら、新しい統一論が必要になると考えます。新しい統一論は、中国が今の台湾並みの自由で豊かな社会になるという前提の上で、台湾の風土、文化、歴史に対する深い理解と洞察に基づくものでなければならないでしょう。少なくとも、中国共産党が唱える統一論は台湾人の国際的な生存空間を奪い、苦しみを無為に長引かせるだけだと思います。

私は台湾人ナショナリズムに大変注目しています。なぜなら、この新しいナショナリズムが、他者を排除していく方向に向かうのか、もしくは他者と矛盾なく共存していく方向に向かうのか、岐路に立っていると思うからです。現在、ナショナリズムが世界中 で猛威をふるっています。バルカン半島やアフリカ中央部では民族浄化という名の際限のない殺戮が繰り広げられ、南アジアでは核開発競争時代に入りました。ここ東アジア地域も国同士、民族同士の不信感が強く、軍拡競争は熾烈です。台湾ナショナリズムはこうした危険な状況の中に誕生したことを忘れてはなりません。もし台湾人が中国大陸人を排除しようとするならば、あるいは台湾内部でのエスニシティ間の衝突(省籍矛盾)が激化するならば、この地域での緊張は一気に高まるでしょう。逆に、台湾の多くの人々が台湾人であると同時に中国人であるという、寛容で柔軟なナショナル・アイデンティティ(認同)を持つことができ、省籍矛盾を自ら解決し、中国大陸の人々と共存共栄していく道を選ぶならば、台湾人はアジアの平和と安定に大きく貢献し、歴史の先駆者となることができるでしょう。

私は数年前から、「台湾のナショナリズムはひと味違うぞ」と思うようになりました。ここ10年間、台湾社会の主軸は大陸、統一志向から台湾、独立志向にシフトしてきたと思います。長年押さえつけられてきた台湾人の本音が一気に顕在化したと言えましょう。民進党が大きく躍進し、李登輝総統のもと で国民党の政策自体が柔軟化してきました。しかし、台湾人は排他的なナショナリズムを一気に推し進める道を選びませんでした。そして、台湾人意識と中華民族意識を心の中で共存させる道を模索しているように思います。例えば、「認同」意識に関する世論調査の結果を見ると、「台湾人であると同時に中国人である」と答えた人の割合が多数を占め、その比率はむしろ増えつつあります。寛容で開かれたナショナリズムを模索する台湾人の姿は、排他的なナショナリズムが猛威を振るう時代だからこそ、大変価値あるものだと思います。アジアにおける台湾人の存在は、例えば欧州の小国、オランダ人やスイス人に近いと思います。これらの国は地理的に英独仏等の大国に挟まれる宿命を背負ってきました。国として生き残るためには、周囲の大国の言語を理解し、誤解や衝突を極力避けなければなりません。また、大国同士が互いに牽制し合うような多国間の国際秩序を提唱し、実現していなければなりません。今日そうした努力が功を奏して、国際司法裁判所は人口1400万のオランダにあり、国連欧州本部は人口650万のスイスのジュネーブにあります。人口1000万人の小国のベルギーは、EU本部を擁し 、欧州の中心に躍り出ました。今後、アジア太平洋地域では日、米、中の三大国が良好な関係を維持でき、かつ小国が十分な影響力を行使できるような多国間地域安全保障の枠組みや、人権、環境、ヘッジファンド、エイズやドラッグなどの問題に国際的に対処できるような枠組みが必要になってくるでしょう。人口2000万の小国で、かつ中国と日本を誰よりも理解している台湾人が、この地域の国際秩序づくりに大きな役割を果たしていけるような日がいつか来ることを私は望みます。そして、寛容で開かれたアイデンティティを模索する台湾人の苦悩と努力が、いつか報われる日が来ることを信じます。

最後に、私は日本人として、台湾人という良き隣人を持ったことは幸せだと思います。50年間の反日教育にも関わらず、共通の言語を失ったにも関わらず、この国の人々は日本のことを本気で好きになり、高く評価してくれたのです。日本人は、台湾人の向ける熱い眼差しにもっと応えなければならないと思います。もし日本人が台湾に関心を持ち0、台湾人が日本について知っていることの10分の1でも知るならば、いかに大切な友人であるかが理解できるだろうと思います。また、日本人は台湾人とつきあう上で、台湾人の誇りやアイデンティティを尊重する必要があると思います。もし謝さんという友人を両親に紹介する場合は、「中国人の謝さん」ではなく、「台湾から来た(台湾人の)謝さん」と呼ぶべきだと思います。

日本人は台湾人を知れば知るほど親しみを感じるのではないでしょうか。例えば、台湾の街並みや日常の生活風景は日本人にとても身近で親しみやすいものです。街にはそごうや吉野屋、ドトールコーヒーなどなじみのある店が並び、店に入れば招き猫が置いてあったりします。若い人なら現地の人とドラえもんやキャンディ・キャンディ、のりピーなどの話題で盛り上がれるでしょう し、年輩の方なら戦時中の体験談を日本語で盛り上がれるでしょう。また、日本に来る台湾人留学生と知り合うことができれば、大事な娘を独り日本に送り込んだ台湾の両親の心意気や日本に対する信頼感を感じることができるでしょう。私は、より多くの日本人が台湾の心の片鱗に触れ、大事な友人として接することができるようになることを願って止みません。

 

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