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人生は、デパートの階段を上るようなもので、階段を一段一段踏みしめながら上っている時期もあれば、踊り場で小休止する時期もある。階段を上っている時期とは、明確な目標に向かって一歩一歩前進しているとか、安定した職場で日々仕事に励んでいるような時期を指す。一方、踊り場とは、転職、結婚など大きな転機をひかえ、人生の目標とか方向性を模索しているような時期を指す。いま私は、人生の踊り場にいる。そして今回は、私の人生の中で二度目の踊り場である。
最初の踊り場は今から3年前にやってきた。当時私は社員数わずか10数名の環境ビジネスのベンチャー企業に在籍していたが、人生の大きな転機を迎えていた。その一つは会社の経営問題であり、もう一つは結婚問題であった。
当時、私のいた会社は新規事業に着手するためベンチャーキャピタルからいささか身の丈を超えた借金をしており、それが何年間もビジネスに結びつかないために常に資金繰りが苦しく、いつの間にか会社の存続に黄信号が点灯していた。私自身も、会社からいざ放り出されたら次にどの仕事をするのかという選択を迫られることになった。なにぶん小さい会社なので、営業から研究から記者発表から住民運動対応から、あらゆる種類の仕事をこなしてきたが、専門知識や能力となると何も持っていない状態だった。折りからの就職難と、27歳という年齢を考えると、一刻も早く専門的なキャリアをつくる必要性に迫られていた。
一方、結婚問題も選択を迫る契機となった。当時、私には長年つきあっている彼女がいた。彼女は20歳の時に留学先の台湾で知り合った豪州籍の女性で、私が日本、彼女が豪州と別々の国に暮らしながらも交際を続け、いつの間にか7年の歳月が過ぎていた。二人は、このまま別居し続けるのか、それとも一緒に暮らすのかという二者択一を迫られていた。また、もし一緒に暮らすとしたら彼女を日本に呼ぶのか、それとも私が豪州に移住するのか、それとも第三国に住むのかという難問も残っていた。忘れもしない27歳の誕生日、自宅近くの荒川の土手を散歩しながら二人はついに決断した。結局、「私自身が3年後豪州に移住する」ことになったのだ。そして、その実現のために二人は綿密な3年計画を立てた。ポイントとしては、「二人はまず日本で結婚する、その後彼女が保証人になって私の豪州の結婚永住ビザ取得をサポートする」、「3年後豪州で安定した仕事が得られるように、私が日本で3年間IT(情報技術)の仕事を経験する」というものだった。
それから、私の人生初の踊り場の日々が始まった。それは、辛くとも楽しい日々だった。会社に出勤しながら、結婚書類を揃えたり、大手町の入管局に足を運んだり、履歴書を片手に転職活動をしたり・・・結局、あの決断の日から2ヶ月後に結婚が認められ、3ヶ月後に転職を果たし、ついに踊り場の日々に終止符が打たれた。さらに、1年以上も後のことになるが、豪州の結婚永住ビザも無事取得できた。
そして今回、戦力外通告を期に人生二度目の踊り場に入った。今回の踊り場は、オーストラリアという私にとって全く未知の労働市場で安定した仕事を得るまで続くであろう。私は3年前の計画通り、ITの仕事を3年間続けてきたわけだが、自分がこの仕事に本当に適性があるのかいささか疑問に思っているし、また一生やる仕事ではないと思っている。将来どういう分野でメシを食っていくのか、よりつきつめればどんな人生を送りたいのかを、妻とともにゆっくり考えてみようと思っている。いずれにせよ、今回の踊り場は思い切り楽しんでみようと思う。
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