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人生の踊り場に立って

目次
1.戦力外通知を受けた日

2.二度の踊り場体験

3.踊り場から見えてくる世界 4.踊り場は一つの始まり

1.戦力外通知を受けた日

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 新しい千年紀が始まって18日目の午後、私は職場のマネージャーに呼び出され、「一月末でプロジェクトを抜けてもらう」と言い渡された。いわゆる戦力外通知である。この日を境に、私の人生は大きな転換期を迎えることになった。いま、私の頭の中には次のスケジュールがはっきりと描かれれている。「二月末を以て会社を退職する」、「個人所有のマンションを2月末までに引き払い、すぐに賃貸に出す」、「三月中に妻の待つオーストラリア・シドニーへ移住する」・・・。

 いま、私の心は正直言って悶々としている。プロジェクトの途中で戦力外通告を受けたことに対する口惜しさ、また今の会社に転職して三年近くの間に満足のいく実績が残せなかった自分自身に対する情けなさが、肚(はら)の中で常に毒素を発酵しつづけている。周りのものをぶち壊したくなるような衝動にもかられることがある。でも、一生懸命がんばったことに対して、未練がましいことは言うまい。結果がいかに受けいれ難くても潔く認めよう。そして、辛く苦しいことが続くなか、三年間笑顔を絶やさず元気に働き続けた自分を誉めてあげよう。

 

2.二度の踊り場体験

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 人生は、デパートの階段を上るようなもので、階段を一段一段踏みしめながら上っている時期もあれば、踊り場で小休止する時期もある。階段を上っている時期とは、明確な目標に向かって一歩一歩前進しているとか、安定した職場で日々仕事に励んでいるような時期を指す。一方、踊り場とは、転職、結婚など大きな転機をひかえ、人生の目標とか方向性を模索しているような時期を指す。いま私は、人生の踊り場にいる。そして今回は、私の人生の中で二度目の踊り場である。

 最初の踊り場は今から3年前にやってきた。当時私は社員数わずか10数名の環境ビジネスのベンチャー企業に在籍していたが、人生の大きな転機を迎えていた。その一つは会社の経営問題であり、もう一つは結婚問題であった。

 当時、私のいた会社は新規事業に着手するためベンチャーキャピタルからいささか身の丈を超えた借金をしており、それが何年間もビジネスに結びつかないために常に資金繰りが苦しく、いつの間にか会社の存続に黄信号が点灯していた。私自身も、会社からいざ放り出されたら次にどの仕事をするのかという選択を迫られることになった。なにぶん小さい会社なので、営業から研究から記者発表から住民運動対応から、あらゆる種類の仕事をこなしてきたが、専門知識や能力となると何も持っていない状態だった。折りからの就職難と、27歳という年齢を考えると、一刻も早く専門的なキャリアをつくる必要性に迫られていた。

 一方、結婚問題も選択を迫る契機となった。当時、私には長年つきあっている彼女がいた。彼女は20歳の時に留学先の台湾で知り合った豪州籍の女性で、私が日本、彼女が豪州と別々の国に暮らしながらも交際を続け、いつの間にか7年の歳月が過ぎていた。二人は、このまま別居し続けるのか、それとも一緒に暮らすのかという二者択一を迫られていた。また、もし一緒に暮らすとしたら彼女を日本に呼ぶのか、それとも私が豪州に移住するのか、それとも第三国に住むのかという難問も残っていた。忘れもしない27歳の誕生日、自宅近くの荒川の土手を散歩しながら二人はついに決断した。結局、「私自身が3年後豪州に移住する」ことになったのだ。そして、その実現のために二人は綿密な3年計画を立てた。ポイントとしては、「二人はまず日本で結婚する、その後彼女が保証人になって私の豪州の結婚永住ビザ取得をサポートする」、「3年後豪州で安定した仕事が得られるように、私が日本で3年間IT(情報技術)の仕事を経験する」というものだった。

 それから、私の人生初の踊り場の日々が始まった。それは、辛くとも楽しい日々だった。会社に出勤しながら、結婚書類を揃えたり、大手町の入管局に足を運んだり、履歴書を片手に転職活動をしたり・・・結局、あの決断の日から2ヶ月後に結婚が認められ、3ヶ月後に転職を果たし、ついに踊り場の日々に終止符が打たれた。さらに、1年以上も後のことになるが、豪州の結婚永住ビザも無事取得できた。

 そして今回、戦力外通告を期に人生二度目の踊り場に入った。今回の踊り場は、オーストラリアという私にとって全く未知の労働市場で安定した仕事を得るまで続くであろう。私は3年前の計画通り、ITの仕事を3年間続けてきたわけだが、自分がこの仕事に本当に適性があるのかいささか疑問に思っているし、また一生やる仕事ではないと思っている。将来どういう分野でメシを食っていくのか、よりつきつめればどんな人生を送りたいのかを、妻とともにゆっくり考えてみようと思っている。いずれにせよ、今回の踊り場は思い切り楽しんでみようと思う。

 

3.踊り場から見えてくる世界

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  面白いことに、人生の踊り場に立つと、階段を駆け上がっている頃とは違ういろいろなことが見えてくる。まず第一に、目に見えるものすべてが信じられないくらい透き通って、美しいものは限りなく美しく、醜いものは限りなく醜く見えるのだ。踊り場という時期は、自分の人生をコントロールできる度合いが大きい分、ものごとを見る目もより自由になって、本質的な部分が見えやすくなるのだろう。

 私の体験で言えば、最初の踊り場の時期、環境ベンチャーの会社を辞めた翌日、私の足は懐かしい母校・一橋のキャンパスに向いていた。武蔵野の面影を残す緑濃いキャンパスの森に分け入ると、黄色や緑の葉が木枯らしに吹かれてサーッと散り急ぎ、地上の落ち葉が吹き上げられて私の足元を旋回する。その情景は”フォレスト・ガンプ”の最後のシーンのように美しく、透き通っていた。また、今回の踊り場でも、例の戦力外通告の翌日、通勤途上の見慣れた風景が目にしみるほど鮮やかに見えた。逆に、人間の虚栄とか、嘘にまみれた現実などは、救いようのない位汚らしく、醜く見えてしまうのだ。

 また、踊り場の時期には自分のこれまでの人生のさまざまな情景が、ふとしたきっかけで走馬灯のように自分の脳裏を駆け巡ることが多くなる。それらはスライドのフィルムのようなもので、一つ一つつなぎあわせてみると、自分の人生が絵巻物のような一つのストーリーに見えてくる。改めて振り返ってみると、何とも滑稽で野暮ったく、試行錯誤だらけのドタバタ人生であったことか。これまで興味の向くままいろいろなことに手を出して、それなりに努力はするのだが、それがことごとく空回りして結局何一つとしてモノになっていないような気がしてしまうのだ。

 そんな自分の歩んできた人生のなかで、誇れるものがあるとすれば二つある。一つは、自分が興味を持ったものごとに対しては、成功する可能性がいくら少なくとも必ず手を出してきた(チャレンジしてきた)ことである。一旦興味を持てば、「これはやっても無理だからやらない」、「成功する保障がないからやらない」とは思ったことはない。このことは大きな勲章だと思っている。確かに結果だけみれば成功より失敗の方がはるかに多いが、一生懸命やった結果失敗した方が、失敗を恐れて何もやらないよりもずっと価値があると思うからだ。

 もう一つの勲章は、東京・シドニー間7800kmの超長距離恋愛という現実を乗り超えて、10年間という長期にわたって、妻との間に愛を育み続け、ついに結婚、同居にまでこぎつけたことである。 フランスのある作家は、「いかなる富も名声も、愛の前では取るに足らない」という言葉を残したが、私もその言葉通りの人生を全うしたいものである。「奥さんを追いかけて海を渡った男」というのも、また現代的で格好良い生き方なのかもしれないと、ひとり悦に入りたいものである。

4.踊り場は一つの始まり

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 5日前、長い間病床に臥していた祖母が亡くなった。その日は、奇しくも私が戦力外通告を受けて3月中のオーストラリア移住を決意した翌日だった。おばあちゃんは、もしかしたら私が将来に向けて家庭を固めると決意したのを知って(?)、安心してから逝ったのかもしれない。私にとって、ここに一つの旧い時代が終わり、新しい時代が始まった。

 我が人生、まだまだ序盤戦、まだまだいくらでもやり直しはきく。今回の踊り場ではいろいろなことに大胆に挑戦して、次の飛躍へつなげていきたい。そして、踊り場が終わった頃には、今よりももっと自分が輝けるような居場所を見つけて(なければ創り出して)、もっと活躍していたいと思う。

 

 

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