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−台湾総統府−
赤い鷹が羽を左右に伸ばしたように、一種独特な威容を誇るこの建物は、今は無き韓国ソウルの旧朝鮮総督府と並び、戦前の大日本帝国がこの世に残した近代最高傑作の建築とも言われる。その総統府の前を、広い大きな道路がまっすぐに延びており、その道路の先に位置するのが、中華民国国民党本部。蒋介石が中国大陸を捨て、南の島・台湾の地に渡ってきて以来ずっと、その場所から毎日飽くことなく総統府を見つめている。そして、この立地こそが、この国における国民党の力を象徴するに最も分かり易いものではないだろうか。
−3月19日午後9時−
その総統府前の広場が、何やら異様な雰囲気に包まれていた。道路脇にはロープが張られ、道の角には制服を着た警官が立って道行く人に尋問をしている。ちょうど24時間前、劇的にその主が変わった総督府を見ようと夜の散歩に出てみたが、どうやらそんな生半可な目的では警官隊に捕まってしまいそうな気配である。仕方なく、とりあえずは目的地があるような振りをして、総統府の前の道をぶらぶらと歩く。総統府付の警備兵も、今日は何となく気ぜわしい様子だ。
そのうち、総統府の左正面にある2・28記念公園の奥のほうから、けたたましいクラクションの音が鳴り響いてきた。クラクションといっても、よくサッカー場などで応援に使っている安っぽいものであるが。。。公園の中は森になっていて、何が行われているのかよく見えないが、クラクションの大音響は間歇的に何度も聞こえてくる。
2・28公園を抜けると、警察の装甲車やパトカーが道の両脇を埋め尽くし、国民党本部へと向う大通りには、盾と棍棒を持った警官隊の群れが腰を下ろして何かに備えている。警官隊の塊は、5メートルくらいの間隔を置いて、党本部近くまで続いているようだ。ただ、心なしか若い警官たちの顔はリラックスしており、仲間同士で冗談などを言ったりしているのが、何やらきな臭い様子の漂うこの現場に、ひどく不釣合いではある。
警官隊を横目に見ながら、クラクションが鳴り響く方角へ進む。程なく党本部前に出た。そこには、党本部を取り巻く形で多くの群集が手に手に国旗を持ち、そしてクラクションがくっ付いた小型のガスボンベを持って、何やら声高に叫んでいる。党本部ビルには、建物の7、8階分くらいをぶち抜いた巨大な選挙ポスターが貼られたままになっており、連戦と粛萬長が依然としてクールな笑みを浮かべている。群集の周りには、ガスボンベクラクションを売る商魂たくましい商人がおり、また、台湾独特の燻製ソーセージの屋台などが出て来て白い煙と香ばしい匂いを撒き散らしている。不謹慎だが、何だかどこかしらお祭りみたいな雰囲気である。
群集の中心に位置するところには、ワゴン車か何かで仕立てられた発言台があって、その上で入れ替わり立ち代り誰かが何かをがなりたてている。時折、それに呼応するかのように、群集はクラクションを吹き鳴らし、そして青天白日旗を打ち振っている。その目は真剣そのものである。集まっている群衆は、年齢層としては、40代より上の世代の男女が多く、家から着のみ着のまま駆けつけたのか、スエット姿や寝巻きのような姿の人々も多い。そこかしこに小さな人の輪が出来、それぞれが大声で国民党、そして李登輝の失策をなじっている。多分、この人達にとっては国民党が台湾そのものであり、それが一野党に選挙で敗れ去るなど、おそらく夢にも考えられなかったことなのであろう。その中で、いかにも外省人で高級官僚といった身なりの老夫婦が、荒れる群集を遠巻きに見ながら静かに語らっている姿は、この現実をより一層切実に感じさせるほど、印象に残るものであった。
そうこうするうちに、「李登輝下台」すなわち、李登輝は退陣せよ、という横断幕を掲げた一行が群集に割り入ってきた。よく見ると、党本部の壁のそこここに「李登輝退陣、宋楚愉復活」という殴り書きの半紙が張られている。集まっている人達も宋楚愉とロゴの入った帽子を被ったり、ジャンバーを着たりしている。どうやら、この集団は宋楚愉派の集まりらしい。総統選に出たいが為に国民党を追放された宋氏の支持者たちが、民進党に政権を取られたのは国民党のせいだと一気呵成にその責任を追求しているようだ。
−同午後9時40分−
群集の叫び声が、「李退陣、宋復活」というものから、いつしかそれに「馬市長出て来い」というのが加わっていた。2年前に台北市長選挙で新総統である陳水扁氏を打ち破った外省人でヤサ男顔の馬英九台北市長が台の上に姿を現した。馬氏は懸命にヒートアップする群集を説得にかかる。しかし、馬氏の説得にも拘らず、群集は一向に納得した様子を見せず、ついに、どこからか生卵が投げつけられた。それは馬氏の下あごに命中し、投げた当人は周りの群集によって地べたに押さえこまれる。瞬間、険悪なムードが現場に立ちこめた。馬氏もあからさまに怒りを顔に出している。これはマズイと思った時、足早に警官隊が近づき、もみくちゃにされている「犯人」を救出し、どこかに連れ去った。
時を追う事に群集は膨れ上がっているようだ。ここにやって来たときには500人くらいだったのが、今や人の輪が2倍以上に膨れ上がっている。相変わらず、宋氏系と思われる人々が交互にマイクでがなり立てては、群集がそれに対しクラクションを鳴らすという構図は変わっていない。馬氏も何時の間にかどこかへ行ってしまった。時刻は既に11時近い。
しかし、いくら騒いだところで、選挙の結果が変わるわけではないし、国民党の失策を責めたところで、もう終わってしまった話ではないか。すでに時代は台湾人の事は台湾人自らが全てを決める、という方向に変わってしまった。その意味で、静かなる革命が今回行われたのかもしれない。そういう社会の流れの中にあっては、旧態然とした既成の権力は、もう役目を終えているのだろう。
喧騒の国民党本部前を去りながら、相変わらず間断無く背後に聞こえてくるクラクションの音が、「敗れざりし者たちの悲鳴」にしか聞こえなくなっていた。
(次号に続く)
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