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なぜ成功しなければいけないの?

−幸福な人生を送るための秘訣−

目次
1.頑張れば誰でも成功できるのか? 2.自分だけの「小さな幸せ」
3.向上心を自分の人生に活かそう 4.ナンバーワンよりオンリーワンを目指そう
1.頑張れば誰でも成功できるのか? 文頭に戻る

 世の中には、さまざまな分野で「成功者」と呼ばれる人たちがいる。ビジネスの分野では大企業やベンチャー企業の経営者、研究の分野ではノーベル賞受賞者、スポーツならオリンピックのメダリスト、受験の世界なら東大法学部や医学部といったところがその代表選手だろう。彼らは「成功者」と呼ばれるだけあって社会的な影響力は絶大で、本を書けば必ず売れるし、セミナーを開催すれば応募者が殺到する。世の中の多くの人が彼らのようになりたいと願い、彼らに少しでも近づこうと大変な時間とお金をかけて努力する。彼らが払うお金をあてこんで多くのビジネスが生まれる。ビジネス関連のセミナーや受験予備校などは一大産業である。

 しかし、彼らのうちの何パーセントが「成功者」になれるのだろう。類まれなる才能(努力を続ける才能も含めて)や適性、幸運を持ち合わせていないごく普通の人間にとって、「成功者」になるという目標は現実的なのだろうか。そして、「成功者」を目指すということは彼らの人生にとって良い選択なのだろうか。

 この私自身、今でこそあまりうだつが上がっていないが、以前ささやかな「成功者」になったことがある。高校受験の際、有名進学校に見事合格した時である。当時私が通っていた地元の学習塾では英雄に祭り上げられ、後輩達の前で何度も合格のスピーチをさせられた(要するに塾の営業活動の一環ですよね)。その時のスピーチの内容は、今思い出すと赤面するほど恥ずかしい。「僕は受験の前にこれこれこういう準備をして、一日何時間がんばった、偏差値はいくつ上がった、君たちも頑張れば必ず目標を勝ち取ることができるはずだ」...

 当時15歳の私は、このスピーチがごく一部の人にしか役立たないことをうすうす感じていた。現時点で偏差値65位ある人が頑張って70を目指すなら話しはわかるが、偏差値40位しかない人はどう頑張っても60や70にはなれないし、基礎学力が身についていない以上50にするのも非常に難しい。私のスピーチは、「できない子」と呼ばれる生徒にとっては一文の得にもならないばかりか、むしろ苦痛だということに気づいていた。受験というシステムに合う子供と合わない子供がいるのは明らかな事実で、世の中の母親たちはなぜこんなことに気づかないのだろうかと不思議に思ったものである。

 12年後、私は某外資系大手コンサルティング会社に入社した。この会社の先輩や同僚は、私から見れば「こいつら宇宙人じゃなかろうか」と思える程物凄く頭の切れる人間の集まりだった。私が先輩から指示を受けた仕事が1の価値を持つとすれば、私はそれを1.3位にするのがやっとの所を、彼らは瞬く間に10の付加価値をつけて返してしまう。こういう連中の中でのし上がっていくのは大変なことだな、と思っていた矢先に、パートナーのスピーチを聞く機会があった。当社でパートナーというのは「共同経営者」を指し、日本の会社では「取締役重役」にあたる。年収は最低でも3000万、同期入社でも50人位に1人という超エリート、堂々たる「成功者」である。そのパートナー氏はこうのたまった。「先輩がいなくなったら、空いたポストをお前が奪い取れ。上司がいれば、その仕事を奪い取って自分が上司になってしまえ。プロならば、その位の気概を持って仕事に臨んで欲しい。」

 その話を聞いても、残念ながら私の心の中に奮い立つような気持ちは生まれなかった。宇宙人のような超優秀な連中と仕事を奪い合うなどということは、今の私にはとても現実的なシナリオには思えなかった。そして、私は12年前の自分のスピーチを思い出した。そして、私の友人の言葉を思い出した。「マナブ。お前がいくら頑張れって言っても、俺達はお前のようにはなれないんだよ。」

 私は唸った。大多数の人間にとって、「成功者」になるということの、何と苦痛なことか。そして、「成功者」になる見込みがほとんどない者に向かって「頑張れ。お前ならできる」と励ますことの、何と残酷なことか。世の中の「成功者」というものはごく一握りであるところに価値がある以上、普通の人間は「成功者」を目指す長大なレースから早めに下りて、自分に合った生き方や幸せを探すのが賢明だと思ってしまう。

2.自分だけの「小さな幸せ」 文頭に戻る

 私は、これまで世界20数ヶ国を歩いてきた。フィリピンのスラムの住人、台湾の大学生、マレーシアの小商店主、アメリカの超エリートビジネスマン...こうしたさまざまなバックグラウンドを持つ人々と接してきて、つくづくこう実感する「人間というものの幸福の大きさと不幸の大きさは本当に平等なんだなあ」と。例えば、生活の面では本当に苦しいスラムの住人でも、家族11人が折り重なるようにして雑魚寝する時、乏しい食料をお互いにおすそ分けする時の甘美な一体感、路上でチューインガムを完売して300円ほどの売上があがった時の、天にも昇るような達成感。普通の日本人だったら、この程度のことで幸せにひたることなどとてもできない。逆に日本人は、一般のフィリピン人が到底目にすることができないような最新のテクノロジー、世界最高レベルのエンターテインメントに日常触れることができ、また違う意味での幸福感を味わうことができる。神様は本当に、生きとし生ける者すべてに、幸福と不幸を平等に分け与え給うたんだなあと思う。

 一方、神様が与えてくれた幸福を幸福と感じるかどうか、また何とも感じないかは、一人一人の生き方の問題だと思う。言葉を変えれば「幸福を感じ取るセンサー」の感度が良いかどうかによって、幸福の度合いは左右される。そのセンサーが鋭い人なら、通勤途中の小さな空き地にオオバコやムラサキケマン(どちらも春の野草)が咲いているのを見ただけですごく幸せな気分になれる。人気TVドラマ「釣りバカ日誌」の主人公、浜ちゃんは出世競争の埒外に置かれているのに、会社の誰よりも明るく楽しそうに見えるのは、彼が一見些細なことにも幸福を感じる鋭い感覚を持ちあわせた「幸福の天才」だからだろう。

 こうした種類の幸福は、世の中で必ずしも共有されているものではなく、個々人が自分の心の中で大事にしている幸福感である。私はそれを「小さな幸せ」と名づける。小さな幸せを感じる対象は時に人間関係(特に愛)だったり自然だったり美味しい食べ物だったりと、人によってさまざまなのだが、私の経験から言えば、小さな幸せの世界が豊富であればあるほど、自分の人生が楽しくなるし、また世の中が明るく見えるものである。またそういう人と一緒にいると周りの人までが楽しくなるものである。

 小さな幸せは、競争原理と無縁であることが多い。それ自身、自分の心の中で完結した世界なのだから、他人と競う必要はない。また、小さな幸せは誰もが持っている世界だから、他人の小さな幸せに共感することはできる。「釣りバカ日誌」や「寅さん」があれだけ親しまれているのも、登場人物の小さな幸せに共感する人が多いからに違いない。

 

3.向上心を自分の人生に活かそう 文頭に戻る

 先ほど競争原理とは無縁な「小さな幸せ」が大事だと述べたが、それでは競争がすべて悪なのかというと、私はそうは思わない。何かの目標に向かって、他人と切磋琢磨しながら、自分が日々レベルアップしていく、こうした向上心に燃える人の姿も別の意味で幸せだと思う。

 向上心というのは、本来楽しいものである。自分の将来の目標と日々の努力との方向性が一致して、将来に向かって一歩一歩歩んでいくような感覚は充実感に満ちている。世の中から認められる「成功者」になるために、あれだけ多くの人が努力を続けられる背景には、このような感覚があるからに相違ない。

 ただ、気をつけなければならないのは、向上心が他人との競争や評価と分かちがたく結びついた時、自分の「小さな幸せ」を感じ取れなくなってしまうことだ。かく言う私自身も以前そうだった。私がコンサルティングの世界に入った時、すでに27歳だった。年齢から来る焦りとプライドが同居して、絶対良い評価をもらわなければならない、新卒の23、4歳の奴らには絶対に負けられないと気張っていた。このような強迫観念に苛まれていては、人生が楽しいわけがない。以前から自分の心に大事に持っていた「小さな幸せ」も、多くは競争の邪魔になるからと自分から排除した。このような精神状態で、チームプレーの仕事がうまくいくわけがない。三ヶ月毎に行われる勤務評定の結果も多くは惨澹たるものだった。私は本気に悩んだ。苦しかった。カウンセラーにも相談しにいった。自己啓発のセミナーにも行った。私の場合、これまで競争、競争で生きてきただけに、病巣は深かった。

 私はまる二年間悩み続けた末、次のような結論に達した。「向上心はいつでも捨てられる」。それは今年の早春、北総台地の緑の田園の中を歩いていた時だった。ようやく暖かくなりはじめた風が軽くそよいでいる、春の野草たちは今年も野を埋め尽くそうとする。農家のおばちゃんとはすっかり顔見知りになり、「お兄さん、今日も早いね」と声をかけてくれる。毎年変わらぬ自然と人間の営み。変わらぬ生命と心のつながり。そのなかで自分が生かされている、そして愛されているという実感。「これだ。これこそが俺にとっての小さな幸せなのだ」と思った。そして、これまで2年間、自分が本気で悩んでいたことが初めて馬鹿らしく思えてきたのだ。

 その日から半年以上が経った、近頃は周囲の同僚から「お前はいつでもニコニコしてるな」とよく言われる。それもそのはず、私は近頃、通勤途中に見聞きすることや、職場の人間の一挙手一投足が面白くて仕方ないのだ。相変わらず仕事は難しい。ポカミスも多い。年を追う毎に要求されるレベルも高くなってきている。でも、自分の小さな幸せを大事にして生きている限り、楽しく愉快に生きていくことができる。自分が楽しければ、チーム全体の雰囲気も明るくなる。仕事にも明らかにプラスの影響を与える。

 向上心というものは楽しいし、人生を豊かにする。そして、向上心というものは「いつでも捨てられる」と腹をくくってしまえば、人生もっと楽しくなる。結局、自分の小さな幸せを後生大事にしながら、向上心をスパイスのように うまく人生に取り入れていくのが、多くの人間にとって幸福な人生を送るための秘訣なんだと思う。

 

4.ナンバーワンよりオンリーワンを目指そう 文頭に戻る

 読者のなかには、「自分の小さな幸せにひたるなどつまらない。この世に生まれてきたからには、何かビッグなことを成し遂げたい」という方もいるかもしれない。私は、そういう気概を持った生き方は素晴らしいと思うし、是非その気概を世の中のために活かしていただきたいと思う。そういう方には、既存のレールの上で努力して「成功者」つまり「ナンバーワン」になるよりも、むしろ自分のオリジナルな領域を開拓して、その第一人者になる「オンリーワン」を目指すのがふさわしいと思う。

 歴史を振り返ってみると、人間社会に本当に大きな足跡を残した人物はほとんど全部といっていいほど「オンリーワン」である。イエス・キリスト然り、仏陀然り、ムハンマド然り、ニュートン然り、マルクス然り、すべて自分のオリジナルな領域を開拓している。

 そうしたビッグな人物がどのようにしてオリジナルな領域を開拓し得たのか。私は詳しいことは知らないが、おそらく彼ら自身の「小さな幸せ」から出発して、それをとことんつきつめたんだと思う。彼らの生涯の中で、確かによきライバルたちと切磋琢磨する時期はあった。彼らは、そうした向上心を糧としながら、しかし常に彼らの心の中で本当に大事にしている幸福感(彼らの場合、信念といっても良い)を原点として、それを万人に分かりやすい形にまで一般化して、世に問うてきた。そうした営みを続けるうちにオリジナルな領域を開拓しえたのだと思うし、人類の歴史に大きく貢献できたのだと思う。

 そう考えると、私は「オンリーワン」になるためには、自分の「小さな幸せ」にとことんこだわり、深めていくのが早道だと思うのである。

 私自身も、この一生で何かを成し遂げたいと思っている一人であり、何でもいいから自分のオリジナルな領域を開拓して、「オンリーワン」になりたいと思っている。現在はその方向性さえつかめていないが、とりあえずエッセイという領域でチャレンジしてみようと思っている。インターネットという便利なメディアを使って、自分の考えを世に問い、多くの人からのフィードバックを受けながら、自分にとっての小さな幸せとは何かをつきつめて考えてみようと思う。

 

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