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新しい時代の息吹
−いま日本で起こっていること−


 いま、旧い時代が去り、新しい時代が始まる・・・

 ドラマのような、いやどんなドラマよりも壮大でエキサイティングな、ワクワクするような時代の転換が、いま日本で起ころうとしています。その胎動は南半球にいる私のもとにも伝わってきます。

 それにしても、昨年後半からの日本政界の動きは実に急ピッチで、フォローするのが精一杯でした。昨年11月の加藤紘一の乱、それを抑えこんだ自民党執行部・野中氏の幹事長辞任(12月)。今年に入ってからは日経平均株価の下落に歯止めをかけるための自民党株価対策特命委の答申(2月)、その内容が不充分で更なる株価下落を招いたことを受けた与党三党による緊急経済対策の決定(3月)、そして(以前から分かってたことですが)森首相の退陣表明(3月)。この間に、内閣不信任案が二度も出され(いずれも否決)、円と株価は下がる一方。日本の国債は格下げを受け、景気減速感も強くなり、一言で言えば政治も経済も混迷を極めていました。

 極めつけは宮沢蔵相の「日本の財政はやや破局に近い」というコメント(3月)。このコメントが日本でどの程度深刻に受け止められたのかは分かりませんが、オーストラリアの各メディアでは、"Japan is close to bancruptcy"などという、センセーショナルな話題で取り上げられました。

 そうです。日本の政治も経済も、もう誰の目にも行き詰まりが明らかになり、抜本的な構造改革が避けられないのです。それがどんなに痛みを伴うものであっても、緊急にやらなきゃいけないのです。もう、尻に火がついているのです。私は、宮沢蔵相のこのコメントを好感しました。なぜなら、「日本で一番現状維持を欲している、構造改革を望まない人々までもが、ものすごい危機感を持っている」ことが伝わってきたからです。彼こそが1998年、あの大不況の年に、「日本の国債は世界で一番信用がある」と言って、世界の信用を落とした人物だからです。

 でも、私はいまさら過去の過ちは問いません。日本の人々は今日この瞬間から、過ぎゆく時代に永遠の別れを告げ、新しい時代を切り拓いていくしかないのです。私は、この時代の転換期、自らの手で新しい歴史を創造できる時代に生を享けたことを心から感謝します。



 戦後の廃墟から不死鳥のごとく立ち直り、驚異の高度成長を経て世界第二の経済大国にまでのし上がった日本。世界史にも稀なこの偉業を支えてきたパワーの源泉は、日本型システムと呼ばれる、アメリカともヨーロッパとも異質な、独特の経済・社会構造にありました。それを象徴するキーワードが系列・グループ、大企業における終身雇用、経済の二重構造(大企業と中小企業、男性と女性等)、強い行政指導、護送船団方式等でした。

 1980年代後半、日本型システムがまさに繁栄の絶頂にあるこの時代、私は20歳前後の多感な時期を迎えていました。将来の進路を決めるこの時期、私は正直言って息苦しさを感じていました。一旦就職したら定年まで勤めあげるのが当たり前、転職したら給料も社会的信用も下がるという終身雇用制、厳しい上下関係と年功序列、一人一人は歯車に過ぎないというタイトな組織、つきあい飲み会や接待ゴルフ、若い時は社宅暮らし、後に社内結婚して、会社の財形貯蓄でローンを組んでマイホーム購入、定年後は企業年金で悠々自適・・・諸先輩方から伝え聞く「典型的な日本の大企業サラリーマン」の生活ぶりは、就職を目前にした私に夢も希望も与えませんでした。いかに日本の経済が世界に冠たる偉容を誇っていようとも、そういうサラリーマン生活は私がこの一度きりの人生を自分らしく生きる道には到底思えませんでした。

 当時はバブル絶頂期、各大手企業は大変な人手不足で、「新卒なら誰でも採用する」みたいな姿勢で採用活動をしていました。学生は就職活動を全然しなくても、サークルの先輩等を通じて「○○社に入らないか」という誘いが頻繁にかかってくる、会社説明会のダイレクトメールは山のように送られて来る。就職氷河期といわれる今から考えるともったいない話かも知れませんが、そんな超売り手市場の状況でも私は企業に就職する気は毛頭ありませんでした。半ば逃げるように何度も就職の誘いをお断りして、大学院に進みました。そうしている間に、日本のバブルははじけました。

 その後の日本がどんな状況だったのかは皆様もよくご存知の通り、バブル期までは永遠に不滅のように思われた日本型システムがみるみる崩壊し、わずか数年間で見るも無残な姿になってしまいました。今や、系列も護送船団方式も終身雇用も高級クラブでの接待も遠い昔の話になりました。日本でしか通用しない領域で威張りちらしてきた連中の化けの皮が次々と剥がされました。こうした時代の激変を目の当たりにして、私は内心ほくそ笑んでいました。「これから自分の性格に合った、風通しの良い時代がやって来る」いう予感がしたからです。

 実際、私は1994年に社会人になってから7年間ですでに2回転職しました。根が風来坊で飽きっぽい私にとってはこういうライフスタイルが性に合っているのですが、転職が比較的スムーズにできたのは、「ホワイトカラーの転職が当たり前」という時代がやって来たおかげだと思います。私が身を置いていたのは外資系企業でしたが、そこでは「世界に通用するスキルやキャリアを身につけたい」という若い志とエネルギーが満ちていました。「寄らば大樹の陰」とか「組織の歯車になる」と言われた時代が終焉したからこそ、自分の能力と責任で未来を切り開いていくような新しい働き方・生き方が、90年代の日本では急速に普及したのだと思います。

 私自身にとっては、日本型システムが絶好調だった10年前よりも、それが崩れて暗中模索の時代となった今の方が正直言って生きやすいです。そして、私のような感覚で新しい時代を捉えている人は若い世代、女性を中心に少なからずいるような気がします。



 しかし、日本中の誰もが私のように今の時代を楽しんでいるわけではありません。むしろ、時代のあまりの激変に戸惑い、戦々恐々としている人々の方が多いのでしょう。だからこそ、日本の経済も政治も、ここ10年近くにわたって低迷を続けているわけです。私はそういう人々に対し、「新しい時代が来たのだから楽しめ」と言うつもりはありませんし、急速な意識変革を迫る気もありません。個人個人の意識変革は、本人が必要だと痛感した時にやるものであって、他人から言われてやるものではありません。

 おおよそどの時代、どの国でも、社会の変革期には大きな混乱が起こるものです。フランス革命しかり、アメリカ南北戦争しかり、ソ連・東欧の社会主義崩壊しかり・・・その過程では、時代を前に進めようという力と、後ろに戻そうという力がぶつかり合い、一進一退を繰り返すものです。そこには、巨大な既得権益とか、多くの人々の人生そのものがかかっているわけですから、決して一筋縄でいく問題ではありません。当然混乱は起こるし、社会機能は一時麻痺する、場合によっては流血の事態にもなります。

 ここ10年間の日本の混迷は明治維新によくたとえられます。実際、幕末のペリー来航から明治維新までの約15年間の過程は、徳川幕府250年の秩序が崩されて新しい明治体制に置き換わったという点でいまの時代によく似ているように思います。当時、ペリーの黒船来航(1853)によって国内に攘夷論が充満し、水戸、薩摩、長州などの諸藩がその中心となる。一方、江戸幕府は国内の攘夷論と通商を迫る欧米列強の間で板ばさみになり、ビジョンもないままなし崩し的に不平等条約を結んでしまう。次第に、「国が滅びるのではないか」という危機感が強まり、同時に江戸幕府は国難に対応できる体制ではないという認識が国内に広まり、倒幕論さえ生まれてくる。

 当時江戸幕府の権力者・井伊直弼は、反対派を強権によって弾圧し(1859年安政の大獄)、倒幕運動は一時なりを潜めるが、翌年の桜田門外の変で井伊が暗殺されると再度復活し、今度は京都朝廷の公卿たちを巻きこんだ大規模な倒幕・攘夷運動に発展する。そこには、薩長土など各雄藩の政治的思惑がからみあい、京都を舞台に凄惨な権力闘争が起こる。

 その後、薩英戦争(1863)や下関事件(1864)などで欧米列強の圧倒的な軍事力を目のあたりにして、今の日本の国力では攘夷などできない、欧米化して力をつけるべきだという開国論が生まれる。そこで、開国論vs攘夷論、倒幕論vs佐幕論の争いなどで国論は四分五裂、その間でも列強の圧力は強まってくるという八方ふさがりの状況になる。この事態を収拾できるような指導者はいつになっても現れない、時は西暦1864年、ペリー・ショックから11年・・・

 いま2001年の日本が直面している状況は、私たちの先祖が体験した1864年に酷似していると私は思います。戦後40年にわたって日本の発展を支えてきた経済・社会システムが崩壊したこと、危機の発生(1992年バブル崩壊)から10年近く経っていること、ビジョンを持った有力な指導者が現れないこと、国論が四分五裂していること、このままでは国が滅びるのではないかという漠然とした不安を吹き飛ばすような有力な材料がないこと等に関しては本当に似ています。今の日本の諸問題への処方箋は、外国の事例よりも、むしろ自らの歴史の中に隠されているような気がします。

 社会構造の変革期というのは、どの国でもえてしてそんなものだと思います。今世界一羽振りの良いアメリカだって何度も経験していることです。例えば、1960年代のアメリカは輝いていました。政治、経済、文化のあらゆる面で、アメリカは他の国を圧倒していました。それがベトナム戦争の混乱を契機に社会のいろいろな面がおかしくなって、人々のモラルが下がって社会問題が噴出し、70年前後から80年代中期にかけて15年近くにわたる苦難の時代を体験しました。経済や技術面で急速に台頭してくる日本に対して何もすることができない、世界におけるアメリカの地位がどんどん下がっていく、若い世代は親世代ほど豊かになれないと気づき、自暴自棄になる・・・その時代のアメリカ人の苦悩や無念は、今の日本人に通じるものがあると思います。

 そして、変革期という時代は旧い秩序が壊れていく過程で社会のいろいろな面が機能不全を起こしますから、当然政治もうまくいきませんし、経済状態も悪くなりますし、国際的な地位も下がるものです。1970年代のアメリカや90年代の日本がまさにそうでした。日本の「失われた10年」、それは社会構造の変革に伴う長期スランプ状態だったのかも知れません。この時代、日本国のリーダーの資質はベストと言うにはほど遠かったわけですが、仮にどんなにビジョンのある有能なリーダーが出たとしても、「失われた10年」は避けられなかったのかもしれません(より早く危機を克服できたかもしれませんが)。資本主義、民主主義の母国とされる英国でさえ、「英国病」を克服するのに20年程かかりました。その時代、英国はあらゆる面でパッとしませんでした。それに思いを馳せれば、社会構造の変革がどれ程大変なことなのかが理解できるでしょう。



 どの国、どの社会にも浮き沈みがあります。砂を噛むような苦難の時代はどの国にも巡ってきます。そして苦難の時代は、それぞれの国民に合った方法で克服していかなければなりません。私はバブル崩壊以降という逆境の時代を日本人がどう生きたか、それを改めて振り返ってみる必要があると思います。

 90年代の日本人、それはなかなか立派なものだったと思います。少なくとも逆境にある国民としては大したものだったと思います。「失われた10年」を経た今日でさえ、日本は世界第2位の経済規模を維持し、一人当たりの国民所得はバブル崩壊当時より10%も伸びてアメリカと世界1、2位を争っています。確かにこの数字は、ここ10年間税金を湯水のように使って借金を雪だるま式に増やしてようやく維持できたのかも知れませんが、経済構造が崩れていく過程で所得水準を伸ばしたことがどれ程すごいことかは、近隣の東アジア諸国と比べれば一目瞭然だと思います。

 また、日本はデジタル家電、移動体通信、ロボット、環境技術、バイオ、超高速鉄道など、21世紀の基幹産業と目される分野で、依然として世界トップクラスの技術開発力を持っています。そして日本は、世界の製造業を支える基礎技術の多くの面で、依然として世界一の座にあります。「会社四季報」を熟読すれば、あまり知名度は高くなくても、「この製品に関しては世界シェア7割」という会社が山ほどあります。

 あれほど「遅れている」といわれるITだって、蓋を開けてみれば市場規模もインターネット接続者数も世界第2位、モバイル・インターネット、デジカメ、ノートパソコンなど、日本が世界の先頭を走っている分野も少なくありません。世界最大の企業・IBMは、米州、欧州、アジア太平洋の三地域でビジネスを展開していますが、アジア太平洋地域13ヶ国のうち、日本だけで売上の75%を稼ぎ出しています。ですから、この地域におけるITビジネスの中心はソウルでも香港でもシンガポールでもシドニ−でもなく、日本の東京にあります。アジア太平洋地域のCEOは日本人ですし(北城さん)、この地域で新しいITビジネスを展開するマネージャーの多くは東京に駐在しています。

 もっとすごいことがあります。いま、世界中の子供たちの持ち物を見てみれば、ポケモン、ハローキティ、ドラえもん等、日本が生んだキャラクター商品であふれかえっています。厚底靴やプリクラなど、90年代の日本が発信した都市文化は世界中の若者に注目されています。たかが子供のものと馬鹿にしてはいけません。日本のビデオゲームや漫画本、アニメで育った子供は、大人になったら自分の子供にも同じようなものを買い与えるようになる、つまり一世代(約30年)下る毎にブームが再生産され、巨大市場に発展するチャンスが大きいと言われています。商業ベースで言えば、世界的なキャラクター商品の開発は技術革新(IT、移動体通信等)に匹敵するという人もいます。そういう意味で、90年代日本のポップカルチャーが全世界の若い人々に支持されたことの意義は途方もなく大きいと思います。

 日本人は、やはりただ者ではありません。39℃の高熱を出して真っ青な顔をしていても、世界の金メダル、銀メダルをがっぽり稼げる国民なのです。社会・経済システムが崩れ、政治が混迷を続ける逆境の中でさえ、ここまでのことを成し遂げられる国民は世界広しといえども片手で数えるほどしかいないでしょう。ここ10年の日本人の努力と創造、それは不調に苦しんだ70〜80年代のアメリカや60〜70年代の英国と比べても、全く遜色ないと思います。

 そして日本人は政治的にも随分成長しました。今や国民の多くが、理念を欠く政党や無責任なバラマキ政治に、はっきりとNOをつきつけるようになりました。国民の大事な税金の使い方に関心を持つようになり、不要不急の公共事業や使い途の分からない海外協力事業に厳しい目を向けるようになりました。そしてインターネット等を駆使して、よりよい知事候補を擁立し、当選させるだけのパワーを持つまでになりました。もし政治や経済がここまで行き詰ってなければ、国民がここまで政治的に成熟することは、おそらくなかったろうと思います。

 「艱難汝を玉にす」という言葉があります。苦難こそが、人間を成長させるのです。今日の苦しみは決して無駄にはなりません。アメリカ人やイギリス人だって長い苦難の時代を克服して90年代に輝くことができたのです。それと同じことが日本人にできない筈はありません。

 私は、21世紀の前半、日本発の新しい社会・経済システムが必ず生まれて、力強く成長していくと信じています。それがどんなものになるかは想像つきませんが、少なくとも戦後の日本型システムよりスマートで効率的で、個人の人格的成長や社会的公正、心温まるコミュニケーションや地球環境との共生に重きをおくものになると思います。それは、子孫に借金と廃棄物の山を残したくないという年配の世代、チャレンジングな仕事を通じて人間的に成長していきたいという若い世代、子供が健全に成長できる環境をつくりたいという母親や父親等、国民各層が知恵を合わせれば、必ず実現できるものだと思います。そのために必要なのは、私たち一人一人が、自らの手で新しい時代を創るのだという喜びを噛みしめながら、よく考え、よく行動することだと思います。

Say a hard good-bye to the past, design and create our own future.

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