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超高齢・少子化社会の男と女の生き方

目次

(要約)これから日本社会は未曾有の超高齢化・少子化時代を迎える。この困難な時代を乗り切るためには、日本の男と女が新しい生き方を身に付けていく必要がある。すなわち、@女性が精神的・経済的に自立して社会の中核部分(特に政治)にどんどん進出していくこと。男性は家庭と仕事を両立する民主的な優しいパパという役割を受け容れること。A男性はオトコとして力強く生きるために眠っていた父性を復活させること。女性は家庭や育児の場で父性を受け容れること。これらが実現してはじめて日本社会において男女の連帯が実現し、困難な時代を乗り切る展望が見えてくる。

1.男女間のパワーシフトが起こる 2.男は何を得て、何を失うのか
3.父性の復活なるか  
第一章.男女間のパワーシフトが起こる 文頭に戻る

 日本社会は今後20〜30年の間に、地球人類がかつて経験したことのない大変な難問に直面するだろう。それは言うまでもなく、超高齢化・少子化問題である。厚生省の推計によれば、2025年時点での日本の推定高齢化率(全人口に占める65歳以上の高齢者の割合)は25%を超え、高齢者福祉の進んだ北欧諸国等を大きく引き離してダントツの世界一になるという。現状を見ても、合計特殊出生率(一人の女性が生涯を通じて産む子供の平均数)は減少の一途をたどり、世界最低レベルの1.38にまで落ち込む一方、平均寿命はここ十数年一貫して世界最高・・・日本社会の人口構成が今後猛烈な勢いで高齢化することは今や誰の目にも明らかであり、この趨勢を覆すのはほとんど不可能と思われる。この厳しい現実を前に、日本はどのようにして社会の活力や生活水準を維持していくのか、今後猛烈にふくらんでいく高齢者の医療・介護費用や年金の財源を誰が負担するのか、介護や医療に必要な膨大なマンパワーはどこから調達するのか、そのための社会資本や各種制度を急ピッチで整備していく政治的合意はできているのか。そして日本の男と女は、激変する社会に適応していく準備ができているのだろうか。私はどちらかと言えば楽観的な人間だが、この問題に関しては残念ながらとても楽観はできない。

 社会の人口バランスが激変するということは一体何を意味するのだろうか。それは、単なる社会資本や福祉制度の整備や財政問題にとどまらない。超高齢化・少子化によって産業構造も政府の役割も大幅に変わるだろうし、これまで日本社会を動かしてきた基本的な文化・価値観は全面的な変容を迫られるだろう。それに伴って一人一人の生き方も根本的に変わらざるを得ないだろう。本稿ではこれからの日本の男と女の(特に男の)生き方がどのように変わっていくのかに焦点をあてて、普段考えるところを書いてみようと思う。

 私は今後20〜30年の間に起こる日本社会の最大の構造変化は男女間のパワーシフト(権力や意思決定の中心が男性側から次第に女性側にシフトしていくこと)だとみている。なぜなら社会が高齢化・少子化すればするほど、女性の社会全体に占めるウェイトが必然的に高くなるからである。さらに言えば、女性の力なしでは一日たりとも維持・存続できないからである。例えば、

@超高齢化社会では介護や医療の領域に膨大なマンパワーを必要とし、これが労働者数百万人を擁する巨大な経済セクターになると予想されるが、このセクターは主に女性によって担われると予想される。

A少子化のこれ以上の進展を防ぐため、出生率を上げるための様々な施策が採られることが予想されるが、それには女性を取り巻く社会環境の抜本的改善が必要になってくる。たとえば、家庭における男女の育児分担を可能にするような育児休業制度とか、育児を終えた女性が専門職に復帰できるような労働市場や生涯教育制度の整備が必要になってくる。こうした政策によって、仕事と育児と学業を両立させる女性が大量に出現する。

B高齢化率25%時代になると、単純計算して4人の勤労者で1人の年金生活者を支えるようになるが、その過重な負担感を軽減しようとすれば、ほとんど全ての女性が何らかの職業を持ち、納税者にならざるを得ない。それに伴い、家庭の専業主婦という職業は崩壊し、一生を通じて共稼ぎが当たり前になる。

 以上の三点から考えると、今後日本の女性は必然的に社会の中核部分に大挙して進出することになる。しかし残念ながら、現在の日本社会は各方面で男性優位ががっちりと確立しており、女性の大量進出に対応できるようにはなっていない。これを意図的に変革していくには政治の力が必要である。ということは、これからは政治の世界にも女性が大挙して進出して、積極的に社会の舵取りを行い、各種の社会制度を整備していく必要が出てくる。超高齢・少子化社会における女性の役割の巨大さを考えると、従来のように男性が主導権をがっちり握ったまま女性の協力を求めるとか、意見を尊重するとかいうスタンスでは到底対応できない。これからの女性は男性に協力するというスタンスでなく、自ら積極的に参画し、社会を動かしていかなくてはならない。そうしなければ、社会全体の機能が麻痺・停止してしまうだろう。

 逆に男性の側から言えば、これまで政治、企業社会、行政、法律、教育、思想文化等の分野でがっちり握ってきた既得権を徐々に放棄し、女性に譲っていかざるを得なくなるだろう。少なくとも国会や地方議会に占める女性議員の割合が1割以下とか、女性管理職の割合が5%以下とかいう現状は早急に変えていかないと、社会全体として生き生きとした女性の参画を得ることはできず、結果として社会の各方面で機能不全を起こしてしまうだろう。

 もちろん、女性が社会の中核に進出していくにあたっては、今後大きな抵抗にあうことが予想される。特に、既得権を手放したくない男性による抵抗は苛烈を極めるだろう。男というのは結構頭が良い上に団結力もあるので、女性を支配するためのあの手この手の策略を繰り出してくるだろう。また男性並みの社会的、経済的責任を負いたくない女性からの無言の抵抗も予想される。しかし、日本が人類史上始まって以来の超高齢・少子化社会に猛スピードで突入するという現実の重さを考えると、一刻も早く「女性の参加革命」を実現させるべきだろう。いずれにせよ、超高齢・少子化社会を快適な住み良い社会にするための鍵は勇気ある自立した女性が握っていることは言うまでもない。

第二章.男は何を得て、何を失うのか 文頭に戻る

 これから権力の中心が女性の側に次第にシフトしていくことは、男性にとってどういう意味を持つのであろうか。 パワーシフトによって、男は何を得て、何を失うのだろうか。思いつくまま挙げてみた。

@パワーシフトが進展して、一家の家計を夫婦両方の収入でまかなうことになれば、男は一家の収入の稼ぎ手(大黒柱)としての地位を失うだろう。別の角度から言えば、男は家族のために常に稼がなくてはならないという精神的重圧からある程度解放されることになるだろう。

Aパワーシフトによって、職場における男性の独占が崩壊することになるだろう。女性の管理職が増え、女性上司の下で働く男性が増えるだろう。また、女性の大量参入によって給与体系も変わり、従来のような高賃金を得ていた男性の割合は減るだろう。一方、職場に影響力ある女性が増えることにより人間の生活リズムに反するような激務や長時間労働から解放される男性もまた増えるだろう。

B家庭においては、家事、育児労働や子供の教育を妻に全面的に依存するような旦那は減るだろう。別の角度から言えば、男性が家事を担うことにより生活力をつけたり、また育児や子供の教育というプロセスに関与できる旦那も増えるだろう。

C女性の政界への大進出によって、吊り革広告やコンビニでのポルノ広告や、住宅街のなかでの風俗営業等は厳しい規制を受けることになるだろう(欧米では当たり前のことなのだが)。反面、子供を比較的ポルノ・フリーな環境で育てることができるようになるだろう。

 上に挙げたようなことが現実に起こるとなると、一般の日本男性はどう思うだろうか?これは価値観の問題であり、中には「絶対に受け容れられない」という男もいるかも知れない。でも私の価値観から言えば、これらの変化は基本的に望ましいと思う。「パワーシフトが起こると、むしろ男にとって住みやすい世の中になる」と感じるのである。

 例えば@で、家族のために俺が稼がなければならないという重圧から解放されることは、私にとってはうれしいことである。企業社会は激動期、私はいまサラリーマンをやっているが、将来どうなるか皆目見当がつかない。極端な話、来月も同じ会社に勤めていられるかどうかさえ分からない。少なくとも私は妻に、「俺が稼ぐからお前は家で主婦やっていればいいよ」とはとても言えない。家計のことを考えれば考えるほど、「俺はいつどうなるかわからないから、仕事はできるだけ続けていて欲しい」と言わざるを得ない(但し、妻に食わせてもらおうとは思わない。私にも男としてのプライドがあり、妻に収入の面で負けたくないという気持ちは強い。ただ、妻が働いて稼げるのに夫の収入に依存して生活するのは不自然だと思うのだ)。

 また、AやBによって仕事がよりゆるやかになり、家事や育児にエネルギーを費やせることは私にとって精神衛生上好ましいことである。会社での人間関係にいくら恵まれていようとも、血を分けた家族の絆には及ばない。理想を言えば、一番目の子供が生まれた時には少なくとも半年程度の休暇を取って赤ん坊の面倒を見たいし、また普段でも少なくとも一日2〜3時間は家庭で子供と過ごせる時間を持ちたいと考えている。

 また、Cも悪くない。私は男だからポルノが嫌いなわけはないが、それでも公共の場で衆人環視のなかで裸の写真を見てもうれしくも何ともない。むしろ、街中で嫌が応にも屈辱的な裸体を目にせざるを得ない女性の立場に身を寄せれば、公共の場からポルノはなくした方がいいと思う(男の感覚からしても、街中にキムタクやモックンの裸があふれていたら気持ち悪いことこの上ない)。

 以上の変化を一言でいえば、これからの日本の男性は、一家の主とか大黒柱とかいう伝統的な役割を捨てること、仕事と家庭を両立し、育児・家事に積極的に参加すること、妻や女性を社会的に対等なパートナーとして扱うこと等が求められていると言えよう。幸い、日本の若い世代の間では、こうした新しいタイプの男性が着実に増えているように思える。

第三章.父性の復活なるか 文頭に戻る

 ここまで書いてきて、私の脳裏に一つの疑問が湧いてきた。果たして、日本の男は女性や家庭に理解のある、優しいパパになれるのだろうか。仕事と家庭を両立する民主的な新しい男性に脱皮できるのだろうか。日本の現状を考えると、そう一筋縄ではいきそうにない。なぜなら、いまの日本の男性は「父性が抑圧されている」という問題を抱えており、それをクリアしないことには新たな展望が見えてこないからである。

 人間の男と女というものは、誰でも生物としてのオス、メスの性質を持っている(父性、母性と言い換えても良い)。その上に、男らしさ、女らしさという言葉に象徴される、文化や社会的価値観に根ざした性的役割もそれぞれ持っている。心理学やフェミニズムの用語でいえば、前者はセックス、後者がジェンダーである。

 第二章で述べたように、男から女へのパワーシフトが起こるにしたがって、男の生き方や価値観は劇的な変化を迫られる。これは、ジェンダーの領域で「男らしさ」、「男の役割」が変化することを意味する。しかし、言うまでもなく男はジェンダーとセックスの両方の世界に足を突っ込んで生きている。男の立場から言えば、当然ながらジェンダーとセックス両方の面でハッピーになりたい(注.ここでいうセックスとはもちろん性交のことではない。生物学的なオス、メスの意味である)。しかし、今の日本の男性をとりまく環境は厳しく抑圧的で、オトコ(オス)であることの幸せを日々感じることは非常に困難になっている。

 オトコの幸せとは何だろうか?それはオトコの力強さや遊び心を十二分に発揮して生きることだと思う。力強さということでいえば、例えば「大草原の小さな家」に登場する、ローラの父親チャールズ・インガルスを思い浮かべていただきたい。アメリカ中西部の森や荒地を開拓するローラ一家にとって、チャールズは唯一の男手、そして父として非常に大きな存在だった。チャールズは、力強いオトコという性質を十二分に発揮して荒地を開墾し、森の木を伐り家を建て、機械を操る。そして時には父の大きな手で厳しく子供をしつけ、導く。ブラウン管を通じて見る彼のその姿はどこまでも凛として男らしく、当時幼い私はすっかり魅了されてしまった。力強い男性美、オトコの幸せとはまさしくこのことを言うのだなと思った。

 また、オトコという生き物は、本能的に少年の遊びの心をいくつになっても持っている。男は誰でも、少年時代に一度は体験したような、これから何が起こるか分からない、ドキドキ、ワクワクするような刺激や変化を心のどこかで求めている。だからこそ、高校生の男の子は三国志が大好きで、サラリーマンの男はビル・ゲイツに憧れ、坂本竜馬を尊敬する。遊びの心があるからこそ、椎名誠の無人島キャンプファイヤーの本や野田知佑のカヌーで川下りの本が爆発的に売れ、世界中をヒッチハイクする猿岩石やドロンズに人気が集まる。実際、自分の冒険心、遊び心を大人になっても実行する人はいつの時代も少数だが、そうした少数のヘンな男たちがものすごい発明家や思想家、企業家になったりして、人類の歴史を前進させる原動力になっているのだ。

 しかし残念なことに、今の日本では、職場でも家庭でも、オトコの幸せを感じられる場所は極端に少ない。特に企業戦士の男は悲惨である。仕事のあるうちは「亭主元気で留守がいい」と言われ、定年退職したら「濡れ落ち葉」扱いされ、生涯を通じてオトコの力強さを発揮することができない。そして母親だけが君臨する家庭で子供たちは、そんな父親にオトコとしての魅力を見出すことなく育っていく。オトコの価値が次の世代に伝えられなくなってくる。そうした繰り返しのなかで、社会全体から父性原理がすっかり抜け落ち、母性原理に支配されていく。日本の川や海ではどこでも「キケン、入るべからず」の立て札が立ち、ささやかな冒険さえできなくなっている。リスクを覚悟で新しい世界に飛び込む人間よりも、安定・確実を求める人間の方が圧倒的に多くなる。いつしか、日本の社会は悲しい程画一化し、無味乾燥になってしまった。お受験や陰湿ないじめが横行する女々しい社会、暴走族や不良でさえ「なんか面白いことねえかなあ」とボヤく退屈な社会。いくら社会的地位や金銭的に恵まれていても常に満たされない日本の男。このままでは少年の心を持った活きのいい男はどんどん外国に逃げてしまうだろう(かく言う私自身も、ワクワク・ドキドキを求めて国境を越える一人である)。

 これから、日本の男はどんどん家庭に帰っていく。しかしその家庭にもしオトコの居場所がなかったとしたらどうなるだろうか。満員電車にサバの缶詰のように詰め込まれてようやく帰ってきた我が家で、娘からは不潔呼ばわりされ、息子からは邪魔者扱いされるような憐れな父親に、これからは男女平等の時代だから家事・育児を分担しろといっても喜んでやるだろうか。これまで出世や金儲けに精一杯で家のことを奥さんに任せきりにしつづけた報いとはいえ、これではあまりにも浮かばれない。現在の日本で、オトコが抑圧されていることに対して鬱屈した不満を持っている男性は非常に多い。この状態を放置しておくと男から女へのパワーシフトが進行する過程で、男たちの不満が一気に爆発して、反乱が起きるかもしれない。一旦爆発したら、日本の男たちは伝統的で権威主義的な父親に回帰しようとし、女たちを押さえつけようとするだろう。そうなったら、男女が連帯して超高齢・少子化社会を乗り切るビジョンなど、夢のまた夢になってしまう。近年、石原慎太郎に代表されるような、伝統的な男性・父親に回帰すべしとする議論も最近多く聞かれるようになり、年齢層を問わずかなり多くの男性の支持を得つつあるようだが、それは男の反乱の前兆かもしれない。

 もちろん、頭のいい男性は、すでに家庭の中でオトコの居場所を確保していたりする。男でないと発想できないような豪快な料理を手がけたり、鉄道模型やプラモデルで部屋を一杯にしたり、なかには手作りのログハウスを作ってしまう人もいる。所詮男というものは、子供や奥さんに「お父さんってすごいんだね」と常に認めてもらえればそれで満たされる単純明快な生き物なのである。また賢明な奥さんほど、こうした旦那の無邪気な行動に理解を示すものである。あと十年もすれば、「可愛い旦那には旅をさせろ」という言葉も生まれるかもしれない。旦那が退屈な日常に耐えられなくなった時、少年の心を取り戻すために、「1年くらい世界を放浪したい」とか、「会社をやめて商売を始めたい」とか言い出すかもしれない。その時、賢明な奥さんはニッコリ笑って旦那を人生の旅に送り出す。またそんな旦那を世間の人々は暖かく見守り、失敗しても暖かく迎え入れてあげる。そんな社会が実現すれば未来に希望が見えてくると思う。

 これから迎える未曾有の超高齢・少子化社会を乗り切るためには、女性が精神的・経済的に自立して社会の中核部分にどんどん進出していかなければならない。そのためには男性は女性の変化に理解を示し、家庭と仕事を両立する民主的な優しいパパという役割を受け容れる必要がある。同時に、男性はオトコとして力強く生きるために眠っていた父性を復活させなければならない。女性はそうした男性に理解を示し、家庭や育児の場で父性を受け容れなければならない。日本社会の文脈でいえば、これらの二つが実現してはじめて本当の意味での男女の連帯が実現し、来るべき困難な時代に立ち向かう展望が開けてくるのだと思う。

 

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