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ここまで書いてきて、私の脳裏に一つの疑問が湧いてきた。果たして、日本の男は女性や家庭に理解のある、優しいパパになれるのだろうか。仕事と家庭を両立する民主的な新しい男性に脱皮できるのだろうか。日本の現状を考えると、そう一筋縄ではいきそうにない。なぜなら、いまの日本の男性は「父性が抑圧されている」という問題を抱えており、それをクリアしないことには新たな展望が見えてこないからである。
人間の男と女というものは、誰でも生物としてのオス、メスの性質を持っている(父性、母性と言い換えても良い)。その上に、男らしさ、女らしさという言葉に象徴される、文化や社会的価値観に根ざした性的役割もそれぞれ持っている。心理学やフェミニズムの用語でいえば、前者はセックス、後者がジェンダーである。
第二章で述べたように、男から女へのパワーシフトが起こるにしたがって、男の生き方や価値観は劇的な変化を迫られる。これは、ジェンダーの領域で「男らしさ」、「男の役割」が変化することを意味する。しかし、言うまでもなく男はジェンダーとセックスの両方の世界に足を突っ込んで生きている。男の立場から言えば、当然ながらジェンダーとセックス両方の面でハッピーになりたい(注.ここでいうセックスとはもちろん性交のことではない。生物学的なオス、メスの意味である)。しかし、今の日本の男性をとりまく環境は厳しく抑圧的で、オトコ(オス)であることの幸せを日々感じることは非常に困難になっている。
オトコの幸せとは何だろうか?それはオトコの力強さや遊び心を十二分に発揮して生きることだと思う。力強さということでいえば、例えば「大草原の小さな家」に登場する、ローラの父親チャールズ・インガルスを思い浮かべていただきたい。アメリカ中西部の森や荒地を開拓するローラ一家にとって、チャールズは唯一の男手、そして父として非常に大きな存在だった。チャールズは、力強いオトコという性質を十二分に発揮して荒地を開墾し、森の木を伐り家を建て、機械を操る。そして時には父の大きな手で厳しく子供をしつけ、導く。ブラウン管を通じて見る彼のその姿はどこまでも凛として男らしく、当時幼い私はすっかり魅了されてしまった。力強い男性美、オトコの幸せとはまさしくこのことを言うのだなと思った。
また、オトコという生き物は、本能的に少年の遊びの心をいくつになっても持っている。男は誰でも、少年時代に一度は体験したような、これから何が起こるか分からない、ドキドキ、ワクワクするような刺激や変化を心のどこかで求めている。だからこそ、高校生の男の子は三国志が大好きで、サラリーマンの男はビル・ゲイツに憧れ、坂本竜馬を尊敬する。遊びの心があるからこそ、椎名誠の無人島キャンプファイヤーの本や野田知佑のカヌーで川下りの本が爆発的に売れ、世界中をヒッチハイクする猿岩石やドロンズに人気が集まる。実際、自分の冒険心、遊び心を大人になっても実行する人はいつの時代も少数だが、そうした少数のヘンな男たちがものすごい発明家や思想家、企業家になったりして、人類の歴史を前進させる原動力になっているのだ。
しかし残念なことに、今の日本では、職場でも家庭でも、オトコの幸せを感じられる場所は極端に少ない。特に企業戦士の男は悲惨である。仕事のあるうちは「亭主元気で留守がいい」と言われ、定年退職したら「濡れ落ち葉」扱いされ、生涯を通じてオトコの力強さを発揮することができない。そして母親だけが君臨する家庭で子供たちは、そんな父親にオトコとしての魅力を見出すことなく育っていく。オトコの価値が次の世代に伝えられなくなってくる。そうした繰り返しのなかで、社会全体から父性原理がすっかり抜け落ち、母性原理に支配されていく。日本の川や海ではどこでも「キケン、入るべからず」の立て札が立ち、ささやかな冒険さえできなくなっている。リスクを覚悟で新しい世界に飛び込む人間よりも、安定・確実を求める人間の方が圧倒的に多くなる。いつしか、日本の社会は悲しい程画一化し、無味乾燥になってしまった。お受験や陰湿ないじめが横行する女々しい社会、暴走族や不良でさえ「なんか面白いことねえかなあ」とボヤく退屈な社会。いくら社会的地位や金銭的に恵まれていても常に満たされない日本の男。このままでは少年の心を持った活きのいい男はどんどん外国に逃げてしまうだろう(かく言う私自身も、ワクワク・ドキドキを求めて国境を越える一人である)。
これから、日本の男はどんどん家庭に帰っていく。しかしその家庭にもしオトコの居場所がなかったとしたらどうなるだろうか。満員電車にサバの缶詰のように詰め込まれてようやく帰ってきた我が家で、娘からは不潔呼ばわりされ、息子からは邪魔者扱いされるような憐れな父親に、これからは男女平等の時代だから家事・育児を分担しろといっても喜んでやるだろうか。これまで出世や金儲けに精一杯で家のことを奥さんに任せきりにしつづけた報いとはいえ、これではあまりにも浮かばれない。現在の日本で、オトコが抑圧されていることに対して鬱屈した不満を持っている男性は非常に多い。この状態を放置しておくと男から女へのパワーシフトが進行する過程で、男たちの不満が一気に爆発して、反乱が起きるかもしれない。一旦爆発したら、日本の男たちは伝統的で権威主義的な父親に回帰しようとし、女たちを押さえつけようとするだろう。そうなったら、男女が連帯して超高齢・少子化社会を乗り切るビジョンなど、夢のまた夢になってしまう。近年、石原慎太郎に代表されるような、伝統的な男性・父親に回帰すべしとする議論も最近多く聞かれるようになり、年齢層を問わずかなり多くの男性の支持を得つつあるようだが、それは男の反乱の前兆かもしれない。
もちろん、頭のいい男性は、すでに家庭の中でオトコの居場所を確保していたりする。男でないと発想できないような豪快な料理を手がけたり、鉄道模型やプラモデルで部屋を一杯にしたり、なかには手作りのログハウスを作ってしまう人もいる。所詮男というものは、子供や奥さんに「お父さんってすごいんだね」と常に認めてもらえればそれで満たされる単純明快な生き物なのである。また賢明な奥さんほど、こうした旦那の無邪気な行動に理解を示すものである。あと十年もすれば、「可愛い旦那には旅をさせろ」という言葉も生まれるかもしれない。旦那が退屈な日常に耐えられなくなった時、少年の心を取り戻すために、「1年くらい世界を放浪したい」とか、「会社をやめて商売を始めたい」とか言い出すかもしれない。その時、賢明な奥さんはニッコリ笑って旦那を人生の旅に送り出す。またそんな旦那を世間の人々は暖かく見守り、失敗しても暖かく迎え入れてあげる。そんな社会が実現すれば未来に希望が見えてくると思う。
これから迎える未曾有の超高齢・少子化社会を乗り切るためには、女性が精神的・経済的に自立して社会の中核部分にどんどん進出していかなければならない。そのためには男性は女性の変化に理解を示し、家庭と仕事を両立する民主的な優しいパパという役割を受け容れる必要がある。同時に、男性はオトコとして力強く生きるために眠っていた父性を復活させなければならない。女性はそうした男性に理解を示し、家庭や育児の場で父性を受け容れなければならない。日本社会の文脈でいえば、これらの二つが実現してはじめて本当の意味での男女の連帯が実現し、来るべき困難な時代に立ち向かう展望が開けてくるのだと思う。
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