|
1999年8月、日の丸、君が代を日本の国旗、国家として公的に認める「国旗国家法案」が衆参両院を通過し、成立した。この法案はナショナルアイデンティティの根幹に関わる重要法案であり、本来国民各層の多様な立場から議論百出すべきものであるはずだが、国会は国民の多様な声を反映しないばかりか、保守(自自公)対革新(社共)という旧態依然とした枠組みのなかで新鮮味のない議論に終始し、代替案の検討もないまま、わずか2ヶ月間の審議で成立させてしまった。この法案が国民に十分な思考と議論の時間を与えぬまま成立してしまったことはとても残念なことだと思う。これによって、国民のかなりの部分は心の中で承認しがたい「公式」な国旗と国歌を背負って21世紀の国際社会を生きていかなければならないからだ。
思えばこの法案は実に重い過去を引きずってきた。日の丸、君が代をめぐる議論は、戦後54年にわたって、文部省対日教組、保守派対革新派などという図式のなかで展開されてきた。両者の議論は平行線をたどるばかりで質的に見るべき発展はなかったと言ってよい。その最大の理由は戦争観、国家観の決定的な相違、および寛容の精神の欠如だと思う。戦争観、国家観の相違とは何か、その内容を一言で言えば、@保守派は国旗・国歌を日本の国民統合の象徴の一つであると考えるのに対し、革新派は戦前の軍事国家のシンボルであると理解する。A保守派は戦前と戦後の国家をその性質において連続したものと捉えるのに対し、革新派は断絶したものとして理解する。B保守派は日本の歴史、伝統、文化の価値を強調するのに対し、革新派は日本国憲法に代表される平和、民主主義の価値を強調する、という様に私は理解している。そして両者に共通するのはただ一つ、寛容の精神が見事に欠けていたことである。どちらも、それぞれの信奉する価値を神聖不可侵に近いものと考え、代替案を検討したり、対立の中から互いの共通点を探ったりすることを極度に嫌う体質があった。それが両者の歩み寄りを大変難しいものにしていった。
国旗国家法案の審議も、かなりの程度この旧い対立の図式に縛られていたように見える。法案推進派の主張の根底には保守派の国家・戦争観があり、反対派の主張の背景の多くは革新派が主張してきた国家・戦争観に根ざしている(少数意見ながら個人の思想・信条の自由を根拠とした慎重論もあったが)。要するに、日本人は第二次世界大戦をどう評価するのか、また戦前・戦後の日本国家をどう捉えるのかというテーマに対して未だに国民的なコンセンサスを得ていないのである。このことが、今回の法案審議の内容を貧弱なものにした最大の原因だと思う。
今回、法案の成立に対して私は賛成できない。国のアイデンティティを決める重要法案をこんな雑で乱暴な審議で通してしまうのを見てしまっては、正直言ってとても誇りをもって日の丸を掲げたり、君が代を歌う気にはなれない。しかし、もし今後十年位の時間をかけて、国民から広く案を公募したり、複数代替案を検討したりするような民主的なプロセスを経るならば、私は喜んで国旗を掲げ、国歌を歌うだろう。仮に日本の民主政治がそこまで成熟するという仮定の上で、国旗・国歌についてどう考えるか、これが小論の主要なテーマである。
第二次大戦や戦前・戦後の国家についてどう考えるのか、これは実際に戦争を体験した世代や敗戦直後の戦後教育の洗礼を受けた世代にとっては確かに大きな関心事であろう、しかし、私たち20代、30代の人間の多くは、グローバル化する経済社会の中でどのように自分自身を定義し、世界中の多様な背景を持つ人々とどうつきあっていくかという方にむしろ関心がある。その観点から、私は国民の統合に積極的な意味を認めつつ、同時に個人の多様な価値観を許容する方向を探っていきたいと考えている。
|