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シドニー日記・職業生活編第116回

中国出稼ぎ計画−その2 (2004/12/26)


 園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。人間の組織というものは、かくも脆く、儚いものなのか・・・

 人間誰しも、2回も3回も転職していれば、組織の危機とか末期症状というものを、何らかのかたちで体験、または目撃したことがあると思います。私がここ4ヶ月の間で体験したことも、まさにその類のものです。「盛者必衰の理」は、日本や東洋の専売特許ではなく、全世界共通の人文法則であるようです。

 自分が属している組織が危機に陥った時、どういう行動をとるか?...これほど、個々人の人生観を真っ向から問うものはないでしょう。ここで白状してしまいますが、私は、組織を立て直そうとするよりも、まず真っ先に逃げることを考える人間です。自分が乗っている小舟が「カチカチ山の泥舟」だと分かった瞬間、誰よりも早く、もっと堅牢な、安定した舟に乗り移ろうと考え、それを躊躇なく実行してしまう人間です。

 例えばの話、「関が原の戦い」というのは、日本史を学んだ人なら誰でも知っているでしょう。あの「天下分け目の合戦」を目前にした局面で、仮に自分が豊臣家の家臣であったとします。でも天下の趨勢をみるに、どう考えても豊臣家よりも徳川家の方が有利そうだ...そう判断した瞬間、私は豊臣家に忠義を尽くすよりも、真っ先に徳川家に内通しようと考える人間です。

 これって、卑怯なのか?もちろん、組織を立て直そうと一生懸命がんばる人間の目からみれば、おそらく卑怯に見えることでしょう。関が原の合戦でいえば、豊臣家に最後まで忠義を尽くそうとする人間にとってみれば、私のような者は確実に恩知らずの卑怯者でしょう。でも、誰にどう思われても構いません。私がそういう行動をとるのは、私なりの哲学と人生観があってやってることです。

 私の世界観の根底にあるものは「無常観」、すなわち、万物は流転する(天と地の間にある全てのものは、常にその形を変えていく)という考え方です。例えばの話、私たちの身体や精神の状態は、刻々と変化し続けていて、昨日と今日とではまったく同じではありませんよね?それと同じように、人間のつくる組織(例えば会社や部署)も、常にその形を変え続けています。当たり前すぎる話ですが、「変化するのが常態」なのです。

 実際、私の勤め先であるI社について、2000年当時と2004年当時を比べてみると、社員の顔ぶれも違えば、提供する商品・サービスのラインアップだって全然違っている。その間、たくさんの人が入社・退社し、社内でも頻繁に異動があり、それどころかビジネス部門の売買だって頻繁に行われてきた。ITコンサルのP社やグループウェアのL社を買収したかと思えば、PC事業を全て中国のL社に売り払うような大胆なこともやっている・・・会社がそれだけ変わったのだから、会社と私との関係も変わって当然ですよね?例えばの話、2000年の時点でI社に採用された私が、4年後の現在、同社に在籍しなくてはならない必然性があるのかといえば、そうとも思えません。

 会社が変わり続け、私自身も変わり続ける・・・そう考えた時、「同じ会社に一生勤め上げる」ことが、何やらひどく不自然なことに思えてくるのです。むしろ、会社が世の中やマーケット環境に合わせて機敏に変化し続ける中で、私のようなITエンジニアを時には必要とし、時にはお払い箱にすることこそが、また逆に個人の立場からすれば、自分が何らかの変化を求めている時、それに一番応えてくれそうな会社やポジションを選び、転職し続けることこそが、最も健全な会社と個人との関係だという気がするのです。言い換えれば、自分の能力が一番発揮でき、将来のスキルアップが期待できるポジション、或いは「おもろい体験」ができそうな職場を求めて、「流れの板さん」のように渡り歩くことこそが、一番自然な「無常観的エンジニア」の生き方だと思うのです。

 先ほどの話に戻りましょう。組織が危機または末期症状に陥ったとき、それを立て直すには大変なエネルギーを必要とします。これは当たり前の話で、危機的組織というのはたいてい、「放っておけば遅かれ早かれ滅びる」のですから、それを再建するためには、社員の意識改革から始まり、業務プロセスの抜本的な改革、場合によっては余剰人員の解雇まで含めた、途方もない難事業になるケースが多い。そのためには、卓越したリーダーシップと、その道の専門家(経営コンサルタント等)の導入が最低限必要となります。ところが現実には、危機的組織になればなるほど、社員の危機感が欠如していたり、質の良いリーダーが不在だったりするものです。そういう状況では、我々現場の人間がいくら頑張って(=長時間サービス残業して)も事態は一向に改善しません。

 「会社が厳しい状況にある時こそ、社員一人一人が頑張らなくちゃならない!」という考え方があります。私自身、その思想を一概には否定しません。私がもし、その会社を心の底から愛しているのであれば、寸暇を惜しんで、誠心誠意会社の再建のために尽くすでしょう。ですが、もしリーダー不在かつ、経営再建を行うのに必要なリソース(お金や人材)も与えられない状況であれば、これは明らかに泥舟だから沈む前にさっさと逃げます・・・そう、私はそんな人間です。

 フルタイムで働きながらの転職活動はしんどいです。今回は私にとって第3回目の転職活動ですが、やってる最中は「もうこんなこと、二度とやるか!」と思うほど、大変なエネルギーを使いますし、晴れて転職を果たしてからも、新しい職場に慣れないうちは苦労、苦労の連続です。ですが私の経験でいえば、危機的な組織に留まることにより無為に消耗するエネルギーに比べれば、転職活動に費やすエネルギーなんてタカが知れてますし、また転職により身につけるスキル、キャリアも実り多くなるものです。

 前置きがずいぶん長くなりましたが、私の職場でいま一体何が起こっているのか、その渦中で私が何を考え、悩み苦しんできたかについて、詳しく書いてみますね。


 私が日本からシドニーに移住したのが2000年5月末、それから約2ヶ月間の就職活動を経てI社への正社員採用が決まり、8月第2週から勤務が始まりました。オーストラリアで初めて見つけたフルタイムの仕事、その第一印象は、「何て居心地がいい職場なんだろう!」・・・当時はスタッフがたくさんいたし、それだけに仕事の進め方にも余裕がありました。もちろん、英語の苦労は大いにありましたけど、基本的にJob Descriptionに書かれた仕事だけやっていれば良かったし、日本で体験したような長時間残業もなく、「お客様は神様」みたいな不条理な哲学もなく、職場の仲間もフレンドリー、仕事と私生活とのバランスもとれ、夏場は仕事帰りにビーチで一泳ぎ・・・働く者にとっては天国だと思いましたね。

 翌2001年になると、快適度はさらにUP!開発・サポートを含め、我が部署の人数は30名を超え、史上空前(?)の大所帯に。アフタヌーン・ティも賑やかさを増し、まさに上昇気流、前途洋々。明るい雰囲気とエネルギーが満ち溢れていました。

 今にして思えば、当時が黄金時代だったのだと思います。それ以降、残念ながら我が部署のビジネスは下降線をたどる一方。人数は減りに減り、全盛期の半分以下に・・・驚くべきことに、状況が一向に改善される兆しもなく、現在2004年末、ついに「危機」を迎えてしまいました。これ以上事態が悪化すれば、取り返しのつかない事態に至るところまで追い込まれたのです。

 まさに、劇的なまでの転落劇!わずか2〜3年の間に、チームの状態がここまで悪化するなんて、誰が予想したでしょう?その要因はいろいろありますが、かいつまんでいえば、次の数点に尽きるでしょう。まずは会社を取り巻く大環境から見ていきます。

2002年以来、豪ドルの為替レートが上昇を続け、現在では国際的に見ても、コスト高の国になってしまった。加えて、インド、中国をはじめとする新興IT大国がどんどん実力をつけて、ITエンジニアの仕事が豪州からそれらの低コスト国にアウトソースされる状況が相次いだ。

低コスト国との価格競争に対抗するため、当社では2002年から03年にかけて、正社員の新規採用を極力抑え、契約社員の採用を増やした。その方策は、目先のコスト削減には役立ったが、反面、現場では混乱とサービスレベルの低下を招いた。実際我々は、「プロジェクトが終わったら即バイバイ」という契約社員によって開発されたアプリケーションのサポートを担当させられ、何度も泣きそうな思いをした。

その反省もあって、2004年からは契約社員の採用を抑えたが、豪ドル高と低コスト国との厳しい価格競争は相変わらずで、その結果、正社員の新規採用も極力抑えられた。現在は欠員が出てもその補充さえままならない部署も少なくない。

2003年以降、セキュリティ監査やCMMレベル5取得関連の要件が厳しくなり、その結果、マネジャー層(中間管理職)のやるべき事務作業が飛躍的に増えた。皮肉なことに、本来の業務(プロジェクトやチームのマネジメント)に専念できなくなったマネジャーも少なくない。

 次に、私たちの部署で起こったことをいくつか。

2002年末、開発・サポートを統括していたプロジェクトマネジャー(女性)が突如解任された。それは、「クーデター」とも言うべき電撃的解任劇で、皆を仰天させた。彼女の手法は、強圧的で融通が利かないなど問題が多かったが、それでも非常に有能な得がたいマネジャーであったことは確かで、結果的にはこの解任は失敗だったように思う。実際、彼女が去って以来、後任でやって来たマネジャーのスキル・経験は彼女の足元にも及ばない。

慢性的な人手不足のため、マネジャーもテクニカルスタッフも目先の仕事をこなすのが精一杯という状況のなか、2004年の前半には、開発チームが現在進行中のプロジェクトに大きな穴を開けてしまった。なんと、3ヶ月間で3人もマネジャーが代わった挙句、その後4ヶ月間、全く放置されるという異常事態に!私たちは8月末、その「尻拭い」を担当させられ、連日深夜まで働く羽目に・・・技術事項を確認しようにも契約社員が全員去ってしまったため、手探りでやるしかなかった(泣)。

サポートチームでは、状況はさらに厳しい。2001年には14名いたスタッフが、現在はわずか6名に!Aというアプリケ−ションでは、2003年前半に辞めたスタッフの後任を2004年前半まで手配することができず、しかもその後任があまりの厳しさ(というか不条理さ)に音を上げてしまい、半年も経たずに異動。11月にはその後任をようやく手配したが、彼もまた、非常に苦しんでいる。ちなみにそのアプリケーションは、ソースコードなしでサポートするという、曰くつきのシロモノ。かつてインドにアウトソースしようとしたこともあるが、インド側は「こんなんサポートできるか!」といって突き返してきた。

またサポートチームでは、Bというアプリケーションのサポートを契約社員に任せていた。彼のスキルは非常に高く、万事うまく回っていたが、彼の雇用契約が2004年5月末で切れたため、即解雇に。「契約期限を伸ばして引き続き担当して欲しい」というのが我々全員の願いだったが、コスト削減の大号令のもと、契約社員の期間更新は非常に難しく、ついに解雇を止めることができなかった(政治力がなかった)。彼が去ったあと、すでに7ヶ月以上になるが、後任がまだ手配できていない。

2004年6月、サポートチームのスタッフの一人が、別部署に異動し、AIXサーバー管理を担当することになった。それから6ヶ月になるが、彼の後任はまだ手配できていない。驚くべきことに、彼は未だに、サーバー管理と従前のサポート業務を半々ずつやる羽目になっている。サーバー管理に専念させて欲しいという彼の再三の要求にもかかわらず、サポートチームの危機的な人手不足が未だ改善されていないため、彼なしには業務が回らないようになっているのが現実。彼はこのクリスマス休日中もサポートチームの仕事をせざるを得ない状況で、かなり気の毒。


 ひどすぎる・・・ギリギリまで人員を削減させられ、誰もがギリギリまで働かざるを得ない日々。おまけに改善のメドも全く立たず、明日の希望が全く見えない。人間誰しも、こんな環境で働いていると、気が立ってきますよ、マジで。特に最近は、チームの仲間に何か質問するにもやたら気を使います。みんな仕事に追われて、ストレスとプレッシャーで青筋が立っているから。そういう私も、クソ忙しい時に誰かに質問された時、思わず青筋を立ててしまうことがあります。そんな時、「なんで俺は、あの時優しく接してあげられなかったんだろう?」と、激しい自己嫌悪感に襲われます。こんなハズじゃなかったのに・・・

 また、お客さんの目も非常に厳しい。私も含めて、チームの皆がギリギリまで精一杯働いているにもかかわらず、膨大な作業量と人手不足のため、どうしても仕事が遅れがちになる。そんな時、お客さんのフラストレーションは極限に達します。私のメールボックスには高圧的な口調のメールがどんどん飛び込んでくるわ、電話がガンガン鳴るわ・・・そんな冴えない毎日。

 おまけに、週に1回行われるサポートチームのミーティングは、時々修羅場になります。我がチームリーダーは、私たちテクニカルスタッフがお客さんを不愉快にさせるとむちゃくちゃ緊張して、その挙句、私たちを非難する口調になることがあります。強いプレッシャーのもとで働いていれば、「あの客は、俺たちの状況も知らねえで、バカの一つ覚えみてえにガミガミ言いやがって!」みたいな愚痴のひとつもこぼしたくなるのが人情だし、内輪の会議ではそういうガス抜きが是非とも必要だと私は思うのですが、残念ながら、それさえもできないような緊迫した雰囲気なのです。チームの誰かが愚痴ると、「お客さまに対しては、高品質のサービスを提供すべきだ!」みたいなお題目を言っては、非難する・・・あーやだやだ。

 そもそも、「お客さまに高品質のサービスを」みたいな考え方自体、全然オーストラリア人らしくないと思いますけどね。顧客に多少不便をかけても、職場の仲間をかばおうとするのが、良くも悪くもオーストラリア的な「マイトシップ」ってものでしょう?実際、入社当時の私の職場はそんな雰囲気だった。でも、いまの職場には、それがない。ITエンジニアってみんな生真面目だから、「お客さまに高品質のサービスを」みたいな題目を覚えた途端、それを自分にも他人にも要求してしまうところがある。

 私は日本人だから、「お客さま中心主義」の恐ろしさを骨身に沁みて知っています。確かに、民間企業で働く以上、顧客満足は絶対に必要です。でも、一旦歯止めが利かなくなると、「お客さまは神様です」、「お客さまの言うことはすべて正しい」みたいなノリになって、その結果、スタッフが個人生活を犠牲にしてまで働かざるを得なくなるのです。私はそんな社会風土の中で6年も働いてきたから、「お客さまに高品質のサービスを」みたいなスローガンを、職場で安易に口にすべきではないと思ってる。ところが、オーストラリア人にはそういう免疫がないのか、そんな歯の浮くような安っぽいお題目を唱えては、同僚を非難する道具に使ったりする・・・

 私が一番悲しいと思うのはこの点です。慢性的な人手不足、お客さんの不条理な要求、強いプレッシャー、長い労働時間、「顔で笑って腹で泣く」・・・それしきのことは、なんとか我慢できます。私は日本で6年も働き、今よりもっと厳しい、不条理な環境で働いたこともあるのですから。ですが、私がどうしも我慢できないのは、職場の仲間が、短期間でみるみるうちに「オーストラリア人らしさ」を失い、マイトシップやリラックスをまるで忘れてしまったことです。スケールの大きい豪州大陸と、紺碧の空と美しいビーチに育まれた、あの大らかで楽天的な文化はどこへ消え失せてしまったのか? 

 職場文化がかくも無残に変質してしまった結果、いま私の職場は、オーストラリア的なリラックスもない、かといって日本の規律も、中国の高度成長もない、訳分からないヌエ的な雰囲気になってしまっている。そのうえ無力感、閉塞感が非常に強まっている。例えばの話、いまの職場で人員を補充するのに四苦八苦しているのは、私たちに必要な権限が与えられていないからです。大企業特有の煩雑な業務プロセスというやつで、人員一人補充するにも私たちのマネジャーはずっと上の人から承認をもらわないと、物事を前に進められないようです。

 私は12月の時点で、今の職場に完全に愛想が尽きてしまいました。ここで働き続けても、明るい未来がやってくるとは思えないし、こんな雰囲気のなか、暗澹たる気分で仕事したって時間の浪費じゃないか・・・そんな時、タイミング良く中国・大連のマネジャーから転職の誘いがかかったので、私はそれに飛びつきました。その結果、トントン拍子に話が進み、先週、事実上の内定が出たことは前号で述べた通りです。


 「内定」をもらった2日後の、クリスマスイブの日、私は担当の人事マネジャー(女性)と恒例の人事評価ミーティングを行いました。そこでも、いろんなドラマがありました。

 まず良かったことといえば、「2+」という、まあまあ高い人事評価をもらったことです。確かに、お客さんからのフィードバックはひどいものだった(予想通り)。でも、チームリーダーが私をかばって、いろんなコメントをしてくれたし、加えて逆境の中でも、数々の成果をあげたことが正当に評価された結果、「2+」という数字を勝ち取ったのです。このことはもちろん、誇っていい。

 ですが反面、ミーティングのなかで、ちょっと不愉快な思いもしました。以下はそのくだり・・・

私「もうご存知のことと思いますが、私は今年7月から転職活動をはじめました。最近は中国のポジションを狙っていて、何度か面接もしました。まだオファーはもらってませんけど・・・」
マネジャー「えーっ、何ですって?どうして私に黙って、中国との面接なんかしたの?あなたは、どうして中国に行くの?」

独白)そうは言ってもなあ・・・話が外国への転職になったら、いくら天下の人事マネジャーといえども、アシストできないんじゃないっすか?

マネジャー「そりゃあ、中国は働くにはいい国かもしれない。でも、家族のことはどうするの?奥さんはいるの?」
私「私の妻にはちゃんと話しました。彼女は応援してくれています。」
マネジャー「でも、これから子供はつくるの?もし子供ができたらどうするの?中国で育てるの?オーストラリアで生まないと、ベネフィット(福祉)受けられないわよ。」

独白)余計なお世話だ!!!どこで子供育てようと、俺の勝手じゃねえかよ・・・

マネジャー「中国には、永住するつもり?それとも、オーストラリアに帰ってくるの?」
私「この先のことは、どうなるか分かりません。今のところは、オーストラリアに戻ってくる予定ではいますけど・・・」
マネジャー「じゃ、中国なんか行かないで、オーストラリアの社内で転職したらどうなのよ?中国に行って、その後帰ってきて、I社の正社員の仕事が得られると思っているの?契約社員で不安定な仕事をするようになってもいいの?」
私「いや、私は帰ってきてもちゃんとした仕事にありつく自信があるので・・・」

独白)俺をバカにするな!!!それにあんた、世の中にI社しか会社がないと思ってるの?そんな子供だましで、私を説得しようなんて思わんでください。私はこう見えても、いろんな国を渡り歩いて、ちょっとは世界を見てきましたので・・・


 人事を尽くして、天命を待つ・・・今、中国からのオファーレターを待っているところです。とにかく、やるべきことは全てやった。後は、運命の女神が私に微笑むか否か、すべては天が決めることです。

 もし中国に行くことになっても、そこに理想的な世界が待っているわけではないのでしょう。むしろ、今以上に不愉快、不可解な思いをする確率が、たぶん半分以上あるような気がします。あの国はまだ先進国ではないですから、「ちゃんとしてない」部分も多々あるでしょうし、先進国のIT市場で評価されるだけのテクニカルな経験が積めないかもしれません。それだけは、実際に行ってみないと分かりません。でも、今の部署に留まるよりずっと「おもろい体験」ができそうだという気はします。

 万物は流転する。天と地の間にある全てのものは、常にその形を変えていく。そのなかで、私も変わり続ける。変わるのは辛くてしんどいことだけれど、それでも常に、変わる努力をいとわない自分でありたい。そして、自分が変わっていく過程を心から楽しめる人間でありたい。変化が自然の摂理なのであれば、変化のなかに心の安寧を見出す自分でありたい・・・そう思うのです。

 さて、結末はどうなったか?それは次号のお楽しみということで・・・

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