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シドニー日記・職業生活編第115回

中国出稼ぎ計画−その1 (2004/12/26)


 メリークリスマス!!!ここシドニーでも、ここ数日は多くの商店が閉まり、多くの人が自宅で静かに、或いは教会でにぎやかに、「彼の誕生日」を祝います。私はキリスト教徒ではないけれど、この日はさすがに厳粛な気分になります。でも今年だけは、どうしてもクリスマス気分に浸ることができません。余りにも色々なのことが同時に起こりすぎて、余りにドラマが多すぎて・・・今にも頭が破裂しそうなほど、いろんな「ホームページのネタ」が頭の中を巡り巡って、一体どれから手をつけていいか分かりません。

 私の身辺に、今どんなことが起こっているのか?家探し、Lotus Notesの資格試験、義理の弟のシドニーへの引越し・・・数ある懸案事項の中で、いま一番メインのドラマといえば、転職活動です。それも、オーストラリアを脱出し、中国へ働きに行くという、私の人生のなかでもスケールの大きな転職計画が、今まさに進行中なのです。

 私がいまアプライしている職の概要は、次の通りです。

職種名:日本向けWebアプリケーションサポート(のリーダー)
勤務地:中国・大連市
雇用主:中国ISSC
 (IBM Solutions and Services (Shenzhen) Co Ltd、国際商業機器科技有限公司)
雇用形態:正社員
期間:2005年2月中旬〜未定(2年くらい?)
備考:2005年3月中旬〜6月まで、米国ノースカロライナ州で技術研修、それ以降は大連で勤務


 次に、今回の転職活動の主なトピックを、年表ふうに箇条書きしてみます。

【2004年7〜8月】
7月中旬:公然と転職活動をはじめる。担当の上司にもその旨伝える。
7月15日:キャンベラのNotesコンサルタントのポジションにアプライするが、面接まで至らず。
8月中旬:履歴書を大連勤務の友人に送る。
8月下旬:大連の王マネジャーからポジション二つを紹介され、一次面接まで行くが、希望年収を伝えたところ、「そこまで出せない!」と言われ、結局ボツに。

【2004年12月】
12月6日:大連の王マネジャーから、「いま新しいポジションが出た。アプライしてみないか?」というメールが来る。
12月8日:大連の王マネジャーと電話で5分ほど話す。その新しいポジションは私の専門外の技術(Java/JSP)が要求されるという話なので、「たぶん、私よりも適任者がいるんじゃないですか?」と言い、電話を切る。この時点では、私にチャンスがあるとは夢にも思っていなかった。

12月9日:大連のスタッフから、「履歴書の詳細版を送って欲しい」というメールがくる。
12月16日:履歴書詳細版を仕上げ、大連に送る。数時間後、大連勤務の黄マネジャーから「米国のマネジャーが鈴木さんと是非面接したいと言っているので、連絡先を教えて欲しい!」という緊急メールがくる。

12月21日:大連の黄マネジャーと電話で30分ほど話す(一次面接)。その時点で、「米国のお客さん(Mマネジャー)が、たとえ技術的には専門外でも、日本語と英語(と中国語)ができるITエンジニアを至急欲している」ことを知る。
12月22日:米国のMマネジャー及びチームリーダーと電話で50分ほどの面接(二次面接)。その直後、すごい勢いで「鈴木さんを2月までに米国に派遣して欲しい」、「その手続きを中国側にお願いしたい」という趣旨のメールが飛び交い、同時に黄マネジャーから、「年収など、希望条件をまとめて中国の人事部に送って欲しい」というメールがくる。この時点で、「事実上の内定」が出たことを知る。

12月23日:希望条件を提出した後、上海にいる張マネジャーと電話で約20分ほど面接(三次面接)。面接の場では、希望年収をはっきり伝えるとともに、正式なオファーを来週までにもらうという確約を得る。
12月26日現在、オファーレターと雇用契約書を待っている段階。それらを熟読した上で、私の希望条件と合えばサインする予定。その時点で、中国ISSCへの入社が決まり、現在の勤め先を退職することになる。

※注)この文章に出てくる「鈴木さん」「マナブ」とは私自身のことです。その他の人名は、全て仮名です

 中国側がどの程度の給料を提示してくるかまだ分からないので、この話はまだ予断を許しませんが・・・これから年末年始にかけて、「大きなドラマ」が起こるのかもしれないし、或いは起こらないのかもしれない。いずれにせよ、私の命運は、「大連」という未知の都市が握っていることは間違いないでしょう。

 もし大連に異動することになれば、もちろん、私の家庭生活にも大きな影響が出ます。妻は今シドニーで働いているし、仕事を辞めるつもりはないので、当面は「私ひとり単身赴任」ということになります。まだ子供がいない分、多少身軽ではありますが、それでも、彼女に寂しい思いをさせてしまうことには変わりありません。もちろん長期的には、大連で一緒に住むことも考えていますが、現時点ではまだ、大連が私たち夫婦にとって住みやすい土地なのかどうか分からないので、何とも言えません。大連は北京語ですから言葉の問題はありませんが、文化の違い、社会システムの違い、ライフスタイルの違い、気候の違い・・・あらゆる面で、住み慣れたシドニーとは大きな変化があることでしょう。

 また、家族計画の面からもよく検討する必要があります。たとえばの話、「妻が妊娠したらどうなるか?」、「子供ができたらどうするか?」・・・等々。妻は妊娠すれば今の勤め先から産休が取れるので、その間、大連で私と一緒に住むことになると思いますが、でも、いざ出産ということになった場合、大連の医療・福祉水準は満足いくものなのか?そうでなければ、オーストラリアに帰って出産・子育てすることになりますが、その際、私がどれだけサポートしてあげられるのか?できれば、私も産休とって面倒みたいけれど、中国の労働条件はそれを許してくれるのか?・・・等々、数々の難問が立ちはだかることでしょう。

 また、永住権の問題もあります。私は今のところ、大連で2年くらい働いて、その後はシドニーに戻ってくる予定ですが、もし何らかの事情で、中国にもっと長期間滞在することになった場合、オーストラリアの永住権をどうするのか?私の場合、2008年12月までにオーストラリアに戻り、その後出国しなければ、永住権(厳密に言うと再入国ビザ)をそのまま保持できますが、それ以上の長期にわたって中国に滞在した場合、「豪州永住権を放棄して、日本国籍のまま中国に移住する」か?或いは「日本国籍を放棄して豪州国籍を取り、いつでも豪州に戻れるようにする」か?・・・等々の問題に悩まされることでしょう。


 こんな感じで、ちょっと考えただけでも難問が山積みで、ため息が出てきます。そんな時、「中国への異動なんて、わざわざそんな面倒なことせんでも、住みやすいシドニーにずっと居ればいいじゃん?」と思ったりします。ですが一方で、折角手にした大魚を逃したくない、という気持ちも強いです。後で詳しく話しますが、ここ数年、シドニーの私の勤め先は海外アウトソーシングの直撃を受け、縮小に次ぐ縮小・・・その停滞ぶりと、企業文化の劣化、官僚主義の跋扈は目を覆いたくなるほどです。年々セコくなる職場の雰囲気、トゲトゲしくなる人間関係、上がらない給料、厳しくなる顧客の目、ただただ忙しいだけで達成感が得られない仕事・・・このままこの職場で働いても、明るい未来はやってこないし、職業人としての満足は得られない。それより、多少リスクをとっても思い切って新天地を求めて、自分の能力を試してみたい!!

 そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのは、オーストラリアでも日本でもなく、目下急成長中の中国でした。いま中国は、インド・マレーシアとともに、物凄い勢いでオーストラリア人ITエンジニアの仕事を奪っています。私がいま働いているフロアでは、ファイナンス系システムの開発・サポートをやっていた30名余りの連中が、今ではごっそり抜けてしまいました。仕事の大部分を、中国に取られたのです!もちろんその過程では、中国からITエンジニアのチームがシドニーにやって来て、3ヶ月ほど滞在し、アプリケーション知識を身につけ、そして中国に仕事を持ち帰っていきました。所謂「海外アウトソーシングの実行部隊」ってやつです。

 彼ら中国人エンジニアにとって、シドニーでの職場生活は、決してラクではありませんでした。オーストラリア人のマネジャーやエンジニア連中からは厳しい目を向けられ・・・そりゃそうでしょう。オーストラリア側にとっては、自分たちの仕事が奪われるわけですし、それに中国人は英語ネイティブではありませんから、「どうして我々が、こんな英語の不自由なアジア人連中に仕事を奪われなくちゃならんのだ?」という思いが募るのは当然でしょう。

 私は、中国人エンジニア連中とは、かなり仲が良かったです。私は彼らにとって、「北京語で愚痴をこぼせる数少ないオーストラリアのスタッフ」でしたから・・・実際彼らは、いろんな不満を私に語ってくれました。しかしそれ以上に、彼らの語る中国の職場の様子が、私の心を揺り動かしました。例えば、

王マネジャーのチームでは、12月までに90名増員するようだ。
趙マネジャーのチームでは、北京のエンジニアを全て大連に移した上で、現地でも50名以上募集するそうだ。
陳マネジャーのチームは、あと3ヶ月以内に43名増員して、Lotus Notesのエンジニアも20名近く採らなくちゃならないので大忙しだ。

 「すげえや」・・・私は絶句しました。何という違いでしょう!ここシドニーでは、たった1名、2名採用するのだって大騒ぎなのに、中国では50名、100名規模の増員を、プロジェクト単位でガンガンやっている!恐るべき迫力、恐るべきダイナミズム・・・全世界を揺るがすような遠雷が、赤道を超えてここ南半球に響き聞こえてくるような気がしました。

Can you hear the distant thunder? It's growing louder it's growing stronger. Can you hear the whole earth trembling? Waking and moving ITS DAY HAS COME! Dragon's come alive. Dragon's come alive. DRAGON'S COME ALIVE!!!

 彼らの大部分は、今年6月までに中国に帰っていきました。その中には、米国で長年ITエンジニアをやってきて、今年2月から大連勤務になった中国人ロバートと、香港生まれで最近大連に異動したばかりのジェームスが含まれていました。彼らは事あるごとに、「お前も大連に働きに来いよ。俺たちも応援してやるから」と言ってくれました。

 特に、ロバートの言うことは大変説得力がありました。彼曰く、「いま大連はものすごいことになってる。世界的なIT企業が50以上も立地して、米国・日本や中国他都市の仕事がどんどん大連に移ってきている。また、世界中のITテクノロジーが集結しているから、いろんな最新技術を学べる機会も大きいし、またIBMグループにこだわらず、いろんな職場に転職しながらステップアップもできる」・・・彼は51歳のベテランエンジニアで、私を息子みたいに思ってくれているらしく、いろんなアドバイスをくれます。最後に、彼はこう言ってくれました。「大連に移るにあたっては、短期的ではなく長期的な視点で検討してみるといいと思うよ。確かに、今の中国の給与水準は世界のベストではないけれど、目先の損得にこだわらず、将来性や、キャリアアップのチャンスの大きさ等を、総合的に検討してみるといいよ」、「で、もし大連のポジションにアプライしてみたいと思ったら、履歴書を俺に送って欲しい。そしたら、人事の連中に紹介してやるから・・・」。


 しかしその時点(今年6月)では、中国に移って働くことなど夢にも考えていませんでした。もっとも、社内の別の部署に移りたいとは考えていて、求人データベースなども時折チェックしていました。ですが、勤務地は地元シドニーか、せいぜいキャンベラ(シドニーからクルマで3時間の距離)しか考えていませんでした。

 私が公然と転職活動を始めたのは、7月中旬のことです。折りしも、キャンベラで希望のポジションが見つかったので、応募することに決め、直属の上司にもその旨伝えました。結果的には、この話はダメになってしまいましたが・・・もちろん、上の人たちは、良い顔はしませんでした。後で分かったことですが、彼らは私が個人プレーで職探しをするのを極度に嫌い、全て自分たちのコントロール下に置いて物事をすすめたいと考えているようでした。でもその当時は、まだ彼らを信頼していたので、「もし、シドニーで私の希望する職があれば、紹介してください」とは言っておきました(結果的には、彼らは何もしてくれなかった・・・)。

 そんな私に、小さな転機(?)が訪れました。私と同じサポートチームで働く仲間で、中国人のチャーリーという男がいるのですが、彼は当時、かなり気の毒な境遇に置かれていました。彼は、ロクな助力も与えられないまま、かなり難度の高いアプリケーションを突然担当させられました。当然、成果が上がらないし、チームリーダーの評価も日に日に厳しくなる一方。彼のフラストレーションは、極限近くまで達していました。そんな8月のある日、私はチャーリーとサーバールームで偶然出会い、そこでちょっと立ち話をしました。その場で、彼はこう言いました。

俺は、こんな仕事なんかやってないで、中国に帰って働きたい。実際、中国のいろんなポジションにアプライはしている。もし、今と同じくらいの給料が得られるならば、妻と子供3人をシドニーに置いて、俺一人で働きに行く用意がある!

マナブの場合、日本語ネイティブだからすごく羨ましいと思う。実際、いま中国では日本語のポジションがいくらでもある。俺自身、中国との面接のなかで「日本語ができるか?」と何度聞かれたことか・・・残念ながら、俺は日本語が一言も分からない。もし、日本語がある程度できていれば、とっくの昔に仕事見つけていたと思う。

 私はその話を聞いて、居ても立ってもいられなくなりました。いま中国には、チャンスが溢れている。その上、日本語ネイティブの私は、多くの中国人エンジニアよりも優位に立っている・・・「心ときめく何か」を感じて、同じ日に、大連で働くロバートに履歴書を送ったのは、言うまでもありません。

 そしたら、そのわずか数日後に、大連から「鈴木さんと是非面接したいので、連絡先を教えて欲しい」というメールが来ました。何という反応の早さ!シドニーでは考えられないこのスピード感に、「やっぱり、いま中国のIT産業は、すごい勢いで成長してるんだなあ」と実感する。私は、「別に今すぐ中国へ行くつもりはないけど、試しに面接受けてみよか?」というノリで、相手の申し出を承諾する。

 8月下旬、大連にいる二人のプロジェクトマネジャーと電話面接を行いました。そこで先方はいきなり、米国顧客相手のプロジェクト(英語が必要)か、もしくは日本顧客相手のプロジェクト(日本語が必要)に参画してみないか?と提案してきました。面接自体はいい感触だったのですが、この時点では私の希望年収が彼らにとって高すぎたらしく、結局この話はボツに・・・

 その後、私はシドニーでの日常生活モードに戻り、中国行きのことは、頭の片隅から消え去っていきました。ですが皮肉なことに、それから4ヶ月、ここシドニーの私の職場で起こったもろもろのことが、結果的には「シドニー脱出・大連行き」の決断を後押ししました。この4ヶ月を、私は決して忘れないでしょう。職場の雰囲気が恐るべき勢いで悪化して、やり場のない閉塞感が募り、見る見るうちにやる気が失せてしまったこの4ヶ月のことを。会社にはびこる官僚主義と大企業病、上司たちの無能と無力感、その裏で日に日に深刻化する我々現場の悲鳴、お客さんの罵声、フレンドリーだった同僚同士が非難し合い、暗澹たる気持ちで残業を続けた日々のことを・・・

 次号では、我がチームの劇画的なまでの転落の軌跡と、現場の当事者としての悩み・苦しみと中国行きとの間で揺れ動く私の心に焦点を当てて書いてみようと思います。乞うご期待。

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その2へ続く