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毎年恒例の、里帰り帰国からようやく帰ってきました。私はオーストラリアに移住して4年余りになりますが、家族が住む日本(千葉県)への帰省を欠かした年はまだありません。年に必ず1度、時には2度、成田空港に下り立ち、ショッピング、グルメ、ドライブ、温泉めぐり、書店めぐり、山歩き、街歩き等、いつも新鮮な発見と刺激に満ちた「ニッポンの休暇」を堪能し、心身ともにリフレッシュしてからシドニーの日常に戻っていきます。
今回の里帰りは、いつもと一味違っていました。それもそのはず、昨年から今年にかけて、私の家族のライフスタイルに大きな変化があったからです。なかでも一番大きな変化は、両親が女子学生会館の商売をたたんで、ついにリタイア生活に入ったことです。サラリーマンでいえば「定年」ですが、うちは自営業なので、「自主廃業」。それに伴い、千葉県柏市にあった学生会館の建物も全部売り払い、その郊外にある2DK(2LDK?)の公団マンションに引越し、そこで余生を過ごすことになりました。私を含め、3人の子供はすべて独立しているので、基本的に老(?)夫婦二人だけのご隠居生活!といきたいところなんでしょうが、実際は父がまだスクールバスの運転手として頑張っているので、「リタイア」ではなく「セミリタイア」といったところか・・・
今回の帰省で一番興味深かったのは、両親の選んだライフスタイルです。私はいま35歳、まだまだ老後や余生などという言葉を身近には感じる年齢ではないですが、でも考えてみれば、あと25年もすれば60歳なのです!世の中には「45歳でリッチにリタイア」という言葉があって、そのシナリオ通りにいけばあと10年でご隠居できるんですが、でも私にはそんな甲斐性なんてなさそうだし、それにこの先、シドニーという住宅のクソ高い都市でローンに追われながら子育てする予定ですので、ま、60歳で引退できれば御の字という気も・・・それでも、25年なんてあっという間でしょう。
人間、35歳にもなると、人生の折り返し点も近づき、「人生は有限である」、「年月が経てば、自分も老人になる」という厳然たる生物学的事実を、心の奥底で実感しているものです。「どうすれば、老後を心豊かに過ごせるか?」みたいなことは、まだまだ考えなくていいと思いつつも、実は心のどこかで「ひっかかって」いるものです。私もいつの間にそんな年齢になったのです。ですので、両親の選んだリタイアライフに対して興味をひかれたのは、当然なのかもしれません。
もう、結論からいいましょう。「実の親ながら、うまくやったもんだ!」と、拍手喝采を送りたくなる位、彼らのリタイアライフは充実したものでした。ある意味、「理想に近い姿」だと思いました。別に、「すごい」わけではない。並外れた要素があるわけでもない。むしろその逆で、平平凡凡としていて庶民的で、背伸びせず自然体なのがいい。リッチすぎず貧しすぎず、都会すぎず田舎すぎず、一見平板そうな日々の暮らしのなかに、にじみ出てくるような心豊かさがある、そんなライフスタイルでした。少なくとも私の目には、そう映りました。
私がなぜそう思ったのか、ポイントを箇条書きしてみます。
1.リタイア向きの立地条件
私の両親がいま住んでいる所は、千葉県東葛飾郡沼南(しょうなん)町の大津ヶ丘団地という所です。沼南町は千葉県北西部にあり、温暖な気候と手賀沼の風光に恵まれた穏やかな土地柄ですが、東京都心から30km強という至近距離にあるため、1970年代からベッドタウン化が進みました。1978年には日本住宅公団による大津ヶ丘団地の分譲がはじまり、町の人口は急増しました。
ですが、その後沼南町の人口は伸び悩み、今日でも人口4万5千人、まだ5万人に達しないために市に昇格できず、未だに町のままです。隣接する柏市が人口33万人を擁するのとは対照的です。その理由は、何といっても都内へのアクセスの悪さ。鉄道さえろくになく、町の人口のほとんどがバス便に頼って柏駅経由で通勤・通学せざるを得ず、またその肝心のバス便でさえ国道16号の渋滞で時間通りの運行ができない、という状況のため、ここ15年来人口が伸び悩んでいます。都内通勤者にはなかなか厳しい場所です。
ですが、沼南のような中途半端にベッドタウン化が進んだ土地というのは、通勤の必要のないリタイア組にとって、なかなか快適な環境なのです。特に大津ヶ丘団地の場合、見渡す限りの田園に囲まれてなおかつ生活利便性も高いという、首都圏では稀有な好条件といえましょう。
中でも特筆すべきは田園環境...沼南の田園の広さと豊かさは、おそらく都内在住者の想像を絶するものでしょう。これが東京30km圏内かと目を疑うほど、薄緑色、或いは黄金色の稲穂の波が果てしなく続いています。大津ヶ丘団地から坂を下って手賀沼沿いの田んぼに出て、そこから東へ車を走らせば、なんと15km以上も、遮るもののない田園が続くのです。私の少年時代から、20年も30年も全く変わっていないこの風景。これを見ていると、東京至近にありながら、交通不便のおかげで宅地化の波に洗われなかった幸運を喜ばずにはいられません。
田んぼの上は、関東平野特有の里山(さとやま)になっていて、そこは雑木林と畑の世界です。畑では、いろいろな種類の作物が植えられていて、有り難いことに、団地住民の需要をあてこんで、農家の方が直売場をつくって売ってくれるのです。だから、ジャガイモ、ニンジン、トマト、キュウリ、ナス、ホウレンソウ、シソなどが、一袋100円みたいな値段でいつも置いてあります。もちろん鮮度は保障つき。
私の母は、天気がよければ自転車に乗って野菜直売場めぐりをします。団地のすぐそばにさえ直売場があるのですが、一番効率が良いのは西へ向かって2km足らず、広幡八幡宮下の田んぼに行くこと。そこだけで5つの直売場があります。帰り道とあわせれば8つの直売場を回ることができ、野菜類はそこでたいてい揃います。また近くにはきれいな湧水も出ます。
このように沼南の田園は、人間の心を癒すだけでなく、農作物や湧水を通じて、人間の生命を支えるという役割さえ果たしています。沼南でのリタイアライフが、東京など都市部でのリタイアライフと決定的に違うのはこの点です。こういう環境で日々過ごすことは、健康増進に計り知れないメリットをもたらします。
一方、現代の人間は田園だけでは生きられません。特に高齢者の場合、クルマを運転せずに歩ける範囲で生活必要品が揃うとか、病院や診療所への便が良いとか、そういった意味での生活利便性が必要です。その点でみても、沼南町大津ヶ丘団地は十分合格点がつけられそうです。
何しろ、ここはスケールの大きい田園があるとはいえ、過疎地ではありません。腐っても東京の通勤圏です。特に大津ヶ丘団地は全部で1万を超える人口がありますから、それだけの数の住民の需要を満たすだけの各種商店が、徒歩圏内に存在します。両親の住まいから徒歩10分圏内に大型スーパーが2つある他、24時間営業の食品店あり、生協あり、雑貨系のディスカウントショップも、書店もラーメン屋も飲み屋も電気屋も自転車屋も洋品店もリサイクルショップもマクドも、全部揃っています。
大津ヶ丘団地にとってさらに幸いしたのが、隣接する国道16号線ロードサイド店の存在でしょう。何しろここは首都圏屈指の激戦商業地。どの店も値引きにつぐ値引き合戦で、2年後には店がそっくり入れ替わるといわれるすさまじい競争ぶり。経営者や従業員にとっては大変ですが、でも付近の住民にとっては、店が一つつぶれてもすぐに新しい安売り店が出店してくれるという、有り難い環境です。今後団地住民がどれだけ高齢化、空洞化したとしても、16号線がある限り、住民が買い物に困ることはまずないでしょう。
また、医療サービス環境に関してですが、これは今後日本でリタイアする人にとって、たぶん一番の心配事でしょう。特にこれからの日本は各自治体間で財政力や福祉サービスで露骨に差がつく時代になりますから、「自治体選び」も重要なポイントになってきます。例えばの話、財政の弱い自治体でリタイアした結果、まともな医療サービスが受けられず、結局高いお金を払って東京都心のマンションに越してきた、なんて話もよく聞きます。
その点、沼南はどうか?もちろん東京にはかないませんが、まあまあの線はいってると思います。沼南にとって幸いなのが、すぐ近くに柏の街があることです。柏というのは面白い所で、東京のベッドタウンでありながら、暮らしの面では東京依存度が低い。つまり、買い物にせよ教育・医療にせよ、東京まで行かなくても自分のところでほぼ全て自給自足できてしまうだけの都市機能が一通り揃っている街なのです。むろん、「超一流」や「一流」を求めたければ東京に出るしかありませんが、でも「まあまあ」、「中の上」くらいでいいのなら、柏の街を一歩も出ずに済みます。
柏市内には、慈恵医大病院、柏厚生病院をはじめ、総合病院がいくつもあります(国立がんセンターもあって、有名人もよく治療に来る!)。それにもまして特筆すべきは街医者の多さ・33万の大人口を抱えているおかげであらゆるジャンルの街医者が狭い範囲内に揃っており、手軽に通院できます。その柏へ、沼南からは自転車でわずか20分の距離。特殊な医療を必要とするケースでもない限り、東京に出る必要はまずないでしょう。
そして、やはり東京へ片道1時間、1000円以内で出られるというのもメリットの一つでしょう。いくら柏が何でも揃っている街とはいえ、例えばマイクルジャクソンのコンサートに行ったり、歌舞伎や落語を見にいきたければやはり都内に出ることになります。その東京へ、大枚をはたくことなく、思い立ったときにすぐ出かけることができる。世界一流のエンターテインメントが楽しめる大都会TOKYOは、すぐそこにあるのです。
2.安全で快適な住まい
もう一つ感じたのは、この大津ヶ丘団地が、人間が安全・快適で暮らすという点で、なかなかよくできているということです。この団地は1978年に完成したそうですが、恐らく当時の日本としては先進的だったであろう、「歩車分離の思想」が設計に活かされているようで、団地の何号棟に住んでいようと、車道を一度も通ることなく、プロムナードとよばれる徒歩・自転車専用道を使って団地商店街に到達できるようになっています。また、団地内の各車道の両側には歩道がかなり広くとってあって、それは3台の自転車がすれ違えるほどの広さがあります。この沼南町・柏市エリアは道路整備がお世辞にも進んでいるところではないので、団地の内と外との歩道整備の差は一目瞭然です。
また、この団地の良さは、各棟間の空間が非常に広くとってあることです。それも半端な広さじゃありません。首都圏離れ、いや日本離れしているといってよい!各棟(4階建て)のバルコニー前には、幅10m近い「緑の回廊」が設けられ、整然と植樹されています。まるで森林公園の中に団地があるようです。
この「緑の回廊」は、団地の居住者、特に1階に住む住民をして、あたかも自分の庭であるかのような錯覚を抱かせるものです。もちろん、これは共用スペースですから専用庭みたいに使えるわけではありませんが・・・でも、ドアを開けてバルコニーに出ると、いきなり緑の空間がパーッと開けて、開放感抜群!しかもすぐ目の前にありますから、単なる「借景」ではなく、自分の占有空間みたいな気分になれるのです。
もしこの緑の空間を本当に占有するとどの位のコストがかかるか、計算してみました。両親の家の場合、家屋部分がバルコニー含めて約70u、その前に広がる緑の空間が約100u、あわせて170u(51坪)の敷地が必要となります。一方、大津ヶ丘団地周辺の公示地価は1uあたり約9万円ですから、土地代だけで1530万円!都内や横浜と比べたら破格に安い地価とはいえ、かなりの額であることには変わりありません。しかし私の両親は、この団地の区画を800万円もしない値段で手に入れているのです。この値段は、「自分の土地を持たない」ことから可能になるわけですが・・・無理して土地を持なくても、あたかも土地付きの家に住んでるような気分になれるのは、有り難いことです。
両親はバルコニーにスノコの床を敷き、その上にダイニングテーブルを置き、天気の良い日には食事はそこで摂っています。緑の回廊を渡ってくる風がとても気持ちよい!
3.社会生活など
これまで、居住環境の良さについて書いてきましたが、今度は両親がその恵まれた環境のなかで日々どんな暮らしを送っているかについて、ちょっとだけ書きます。
まず気づいたのは、物質的にはシンプルライフであるということ。これまで我が家は、他の多くの家庭がそうであるように、モノが多くて多くて仕方なかったのですが、今回のリタイアにあたって処分できるものは全て処分してしまったらしく、今の住まいには必要最低限以外のものはあまり置いていません。母は、「狭い家だし、これ以上モノが増えても仕方がない」と言って、消費できるもの以外はほとんど買わないようにしているようです。
その代わり、人生を楽しむべきところにはしっかりお金を使う。特に母は、茶道、俳句、写生など、幅広い趣味を持ち、毎日かなり多忙に飛び回っています。また、旅行にもどんどん行ってるようです。つい最近はオーストラリアにも遊びに来ました。一方父は、スクールバスの運転手という、基本的にはマイペースでやれる仕事をやりつつ、のんびり、ぼちぼちと日々暮らしています。
両親の場合、経済的には、リッチでも貧乏でもなく、なんとかぼちぼち暮らしていける、といったところでしょうか。ま、決して潤沢にあるとはいえない資金の範囲内で、背伸びせず、それなりに心豊かに、自然体で、賢く生きているようでした。
リタイアIN JAPANに幸あれ
今回の里帰りで両親の暮らしぶりを見て、私は「日本でのリタイアライフもまんざら悪くないな」と思いました。ま、そういう私自身、自分のリタイアライフをどうしようか、真剣に考えたことがあるわけではありませんが・・・でも、おそらく25年後に来るであろう我がリタイアライフに関して、少しだけ考える材料ができて、良かったです。あと、自分の生まれ育った柏・沼南地域が、実はリタイアライフ向きの地域であることを知ったのは、一つの収穫でした。
いま日本では、東京都心に住みたがる高齢者が多いと聞きます。逆に、欧米社会では、緑や田園に囲まれた環境でリタイアライフを送るお年寄りが多いんだそうです。ま、都会には都会の良さがあり、郊外や田舎にはそれなりの良さがあり、どこに住むかは個人の好みで決めればいいのでしょう。ちなみに私の場合、どの国であれ都会の真ん中でリタイアライフを送ることはまずあり得ないでしょう。そう、薄緑を一面に敷き詰めた沼南の田園の輝きと、そこを渡ってくる風の心地よさを知る者が、大都会の老後を選ぶわけがないのです。
ところで、私が今回の文章を書いた背景には、「外国生活者の視点から、日本でのリタイアライフの良さを発掘してみたい」という気持ちが、少しだけありました。それについてちょっと書いてみます。
少子高齢化の進展、年金制度の行き詰まり、財政赤字の拡大等、いま日本の老後をとりまく状況は、「不安」の二文字が支配しているようです。それに伴い、日本以外の国で老後を過ごすことに興味を持つ人も増えているようです。その動機は、日本の年金をもらいながら物価の安い国で過ごすことにより生活水準を上げたいとか、「第二の人生」の門出にあたって、日本ではなかなか味わえないライフスタイルを海外で体験したいとか、さまざまです。私の住むオーストラリアは「リタイア向きの国」ということになってるので、人気も高いようです。
動機が何であれ、選択肢が広がるのは良いことだと思います。もし「オーストラリアでの老後」が選択肢の一つなのだとしたら、私は現地に住む者として、喜んで情報提供したいと思う。オーストラリアでのリタイアライフの良さも悪さも含めて、自分が事実だと信じることを、どんどん伝えていきたいと思う。それが人々の「賢い選択」に役立つのであれば、もちろん喜んで・・・
そうは言ってみましたが、でも大多数の人々は、やはり日本国内でのリタイアを望むはず。特に私の両親のように、これまでずっと日本だけで暮らしてきた人々にとって、一番幸せな老後を送れそうだと思われる土地は、やっぱり日本だと思う。もちろん、全員がそうだとはいいませんが・・・でも私は、自分の身近に中国やベトナム、レバノン等の非英語圏からやって来て、オーストラリアでリタイアライフを送っている人々をたくさん知っています。その中には、例えば英語が一言も分からず、英語の表示もまったく読めず、クルマ社会のこの国で免許もとれず、厳しい制約条件の中で日々暮らしている人もたくさんいます。その人たちは一体幸せなんでしょうか?
無論、幸せかどうかは本人に聞いてみないと分かりませんが・・・でも例えばの話、自分の両親にオーストラリアでのリタイアライフを勧めるかというと、答えはNo!です。無論、選択肢の一つとして、もちろん情報提供はしますけれど、じゃあ、彼らがオーストラリアに移住して来たとして、いま沼南でエンジョイしているライフスタイル以上のものをで手に入れられるかというと、私にはそれがどうしてもイメージできないのです。
私は何も、オーストラリアのリタイアライフがダメだと言ってるのではありません。もちろん、素晴らしい面がたくさんある。でも、その素晴らしさは英語を解し、オーストラリアのライフスタイルに慣れ親しんだ人だけが味わえる特権であるのかもしれない。逆に、ずっと日本で暮らし日本語だけを使って生きてきた人々にとっては積極的な意味を持たないものなのかもしれない・・・
結論を急ぎましょう。例えばの話、もし日本で今年リタイアする人口のうち、2%が海外での老後を選び、残りの98%が日本国内での老後を選んだとしましょう。ここで私の役割は、まず海外を選んだ2%の人々に選択肢の一つとして、「オーストラリアでの楽しいリタイアライフ」について、適切な情報提供をすることになるのでしょう。しかし同時に、残り98%の人々に対して、「オーストラリア在住者の目から見た日本の楽しいリタイアライフ」を発掘・紹介することも、同じくらい意義あることだと思うのです。
どうしてそう思うのかって?だっていま日本人が考える老後ってイメージ暗すぎますもん。だから、ちょっとは明るく語ってもいいんじゃないかなと思って・・・例えば、いま日本の書店で老後とかリタイアについて書いてある本の表題を読んでごらんなさいな。暗いものばっかりですよ。もうゲンナリするくらい・・・自分たちのことなのにどうしてあんなに悲観的になれるのか、私には全く理解不能です。
じゃ、日本でのリタイアライフの一例として、私の両親が沼南で送っている暮らしぶりをちょっと覗いてみたら、なかなかどうして、素敵じゃないですか!リタイア大国といわれるオーストラリアから見たって、素敵だと思いましたよ。実際、シドニーの近くで沼南みたいな場所ってほとんどないですよ。あんなに緑豊かで、湖から1kmしか離れてなくて、しかも採れたての野菜や果物が手に入り、それなりに暮らしも便利な所って・・・それに、あんなに安全に自転車に乗れる所も滅多にないし、さらにいえば、あれほど治安の良い所って、数えるほどしかないんじゃないかな。
そりゃあ、これから子供は減るわ、老人は増えるわで、年金も減らされていくだろうし、医療費は引き上げられるかもしれない。経済的には今よりいくらか苦しくなるのかもしれない。さらに言えば、今リタイアした世代より、次にリタイアする世代の方が経済的にキツい思いをするのかもしれない。でも、それでいいんじゃないかな。実際、いま先進国のほとんどの国で少子高齢化なわけで、要は人類史的課題になってる。そう考えると、これからの人類のリタイアライフは、少ない予算で、いかにしてクールでかっこよくて自分らしいライフスタイルを確立できるか、その一点にかかっているんじゃないかな。その際キーワードになるのは、シンプルライフとか、ふれあいとか、リラックスとか、手作りとか、スローフードとか、そんなものになるんじゃないかと思う。
だからある意味、私の両親が沼南みたいな、半分都会で半分田舎みたいなところに住んで、地元で採れた農産物を食べて、普段自転車を使って、シンプルに暮らしているのは、ある意味、人類史を先取りしているのかもしれない。ある意味、世界で最もポストモダンな社会である日本で、最もポストモダンなリタイアライフを実践しているのかもしれない・・・そう考えると、これからの老後暮らしって、まんざらでもないなって気がしてきません?
私は、そう思ってます。老後はワクワクするような日々を送って、死ぬ時は心の底から笑っていたいです。
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