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私がIBMオーストラリアに入社したのは2000年の8月8日、あと3ヶ月ちょっとで入社3周年を迎えます。私は、IBM社員として晴れてこの日を迎えられるのか・・・についてはまだ分かりません。えっ、あと3ヶ月以内にクビになっちゃうの?・・・それはたぶんないです。職場で唯一の日本人技術者である私をクビにしたら、日本のお客さんとの電話会議どうするの?現在進行中の日本がらみのプロジェクトはどうなるの?まさか、IBMはそこまでバカな会社じゃないと、私は思ってます。じゃ、何が心配なの?・・・そうですねえ、「3年目のジンクス」が心配なんですよね。
私は社会人になってこのかた、同じ会社に3年以上勤めたためしがありません。最初の職場は2年と9ヶ月、次の職場は3年ちょうどで、辞表を叩きつけました。まるで事務系OL並みのフットワークの軽さ、というか、一つところで長続きしない性格なのです。ですので、今年8月以降もIBMに勤務した時点で、最長不倒記録達成、ということになります。「勤続3年の壁を超えられるか?」、これは私にとって一大イベントなのです。
一方、うちの奥さんは今年7月で勤続8年になります。大学を卒業してから「こあら航空」一筋、あと2年勤めればロングサービスリーブ(Long
Service Leave:豪州独特の制度で、同じ企業に10年以上勤務した人に与えられる、最大3ヶ月の長期休暇)という、有難いご褒美までもらえます。うらやましい。ロングサービスリーブなんか、俺には一生縁がないだろうなと思っているだけに、なおさらうらやましい。
豪州を含めて西洋社会では、「どんどん転職してキャリアを伸ばす」のが一般的で、「同じ会社にずっと留まっている人間は能力がない」などとよく言われますが、私がシドニーのIT業界で見聞した限り、確かにそういう面もあるけど、全部がそうというわけではありません。特にIBMでは終身雇用とまではいかなくても、10年、20年と勤め続ける人が多いです。彼らは能力がないからIBMに留まっているのかといえばそうでもなくて、現にこの会社は業界で有名な技術者やマネジャー、エグゼクティブを多数輩出しています。あと、IBMという会社は給料は並レベルだけど同業他社に比べて居心地が良く、出産・育児や大学院進学をする社員に対しても寛大ですから、長年過ごしてしまう社員が多いのです。
そもそも、「転職する人は能力があって、しない人は能無し」みたいな俗説はナンセンスでしょう。世の中には私みたいにすぐ転職したくなっちゃう性格の人間もいれば、同じ会社で長年勤めるのに適した性格の人間もいる、単にそれだけの話でしょう。適性は人それぞれ、人生も人それぞれ。そこに優劣をつけたり、条件に当てはまらない人間を落ちこぼれだみたいな言い方をするのは、極めて表面的で貧弱な見方と言わざるを得ません。いまの勤め先のビジネスに将来性があって、自分を成長させる機会が十分あるのなら、長年勤めあげればいいのです。じゃ私はというと、IBMは居心地良いから長く勤めたいと思う反面、天性の飽きっぽさ、放浪癖がそうさせるのでしょうか、「もう3年かあ。そろそろ転職して、何か別のことしてみたいなあ」などと、ふと思ったりします。
ただ、飽きっぽい自分の性格は変わらなくても、日本と豪州という二つの国で働いてみて、その労働観の違い、特に競争のあり方の違いに戸惑い、いろいろ考えさせられることは多いです。日本も豪州も資本主義社会だから企業間、個人間の競争はもちろんあります。そして地位や給料が上がれるほど、競争が厳しくなるのも両国共通です。ですが、競争のやり方が全然違う。一言でいえば、日本は「競争させられる社会」で、豪州は「競争する社会」。言い換えると、日本の企業社会は「同じような年齢・経歴の人間が集められて、ヨーイドンで一斉に競争させられる社会」なのに対し、豪州は「出世したい人が自発的な意志で猛烈に競争するけど、その気がない人は競争からほぼ無縁でいられる社会」である・・・この点が最大の違いだと思います。
これだけでは分かりにくいですよね・・・そこで、私の生い立ちや体験談を交えて、詳しく語っていきたいと思います。
私は幼い子供の頃から、両親や親戚郎党から、「この子に会社勤めは絶対に無理だろう」と言われ続けてきました。社会に出る十何年も前から、「会社員失格」の烙印を押されるのも実に因果なもんですが、その本人が、いささか型破りとはいえ、9年間もサラリーマン続けてるわけですから、ホント、人生どうなるか分からんもんです。
でも、彼らが「会社勤めは無理」と言ったのもそれなりに根拠があります。私は特に肉体的、精神的欠陥があったわけじゃないし、反抗したりグレたわけでもありませんが、その代わり余りにも「型にはまらない」子供でした。
小学校時代の私・・・学校には一人だけ遅刻してくる、醤油シミのついた皺だらけのシャツがズボンの裾からはみ出してる、おまけに青っ洟たらしてる。上履きにも靴下にも穴が空いてるのに全然気にしない。机の中には腐ったミカンの皮がカビ生やしてる。忘れ物がひどくて、名札も教科書もドリルもいつも家に忘れてくる、授業中はいつもうわの空、指名しても「ウー」とか「アー」とか、アホみたいな答えしかできないのに、なぜかテストの成績だけは良い。算数の授業では筆算をやれといっても言うことを聞かず、でも暗算だけでいつも全問正解だから、文句も言えない。薄汚い格好してるのに、ピアノを弾かせると全校で一番うまい。友達は少なく、口数も少なく、アホ面してるから、いつもいじめられている。夏休みの絵日記は字が汚くて見ちゃいられない、でも6年生の自由研究で提出した「邪馬台国の研究」には、全校の先生方が舌を巻いた・・・
規格外の子・・・頭が悪いわけじゃない。むしろ、算数やピアノなど、一芸に秀でていることは誰もが認めている。でも基本的な生活習慣と社会性が全然ダメで、他人と合わせて、一緒に何かやるということができない。先生が何かやれと言っても全然従わず、何でも自己流でやってしまう。社会性がなく語彙が乏しいから、一体何考えているのか全然分からない・・・そんな子でしたから、たいていの先生には煙たがられました。不潔だから若い女の先生は生理的な拒絶反応を示しますし、ただでさえ一クラス40人以上もいて管理するだけで大変なのに、団体行動や指示通りの行動が全くできないヘンな子がいたら、精神的に参ってしまいますよね。
ヘンな子、特殊な子、変わってる子・・・先生にも両親にも、近所の大人からもそう言われ続けて、私は少年時代を過ごしました。刷り込み効果っていうんでしょうか、何年もそう言われ続けてると、「自分はヘンな人間なんだ」、「自分だけが、他のみんなと違うんだ」と思い込んでしまいます。今考えれば、人間は一人一人違うのが当たり前、自分だけが特殊なんじゃなくて、誰もが特殊なはずなんですが、その当時の私は、「他のみんな」が全て似たような人間で、ひとり自分だけが違う、みたいなイメージで考えていました。
中学生にもなり自我が発達してくると、多くの子供は自分が他人と違うということに気づくわけですが、幼い頃からヘンだヘンだと言われ続けてきた私は逆に、人間はひとりでは生きられない、ということに気づいていきます。個人プレーだけじゃダメだ、仲間をつくらなきゃ。人づきあいを良くしなきゃ。そのためには、周りのみんなと合わせなくては・・・しかし、それは私にとって余りにも難しかった。自分自身であることと、周りの人間と合わせること。その狭間で、私は15年間も悩み苦しみました。
なかでも一番辛かったのが高校時代でした。都内の有名進学校に合格した私、しかしそこで待ち受けていたのは試練の日々でした。クラスメートは皇族の子孫、大蔵事務次官の娘、一部上場企業の役員や国立大学教授の息子みたいのがゴロゴロ・・・ここは私にとって、あまりに場違いな場所でした。そして、日本パワーエリートの子弟たちは、あまりにも冷血でした。私は高校2、3年のまる2年間、クラスで一人の友人もできず、挙句の果てに「集団無視」という、陰湿極まりないいじめにまで遭ってしまいました。来る日も来る日も、誰とも一言もしゃべることのできない日々、居たたまれなくなって図書室に篭り、2〜3人の仲間と古傷を舐めあう日々。そしてついに登校拒否・・・
折しも、修学旅行という行事がありました。そこでは、生徒たちが「自由意志」で6〜7名のグループをつくり、各グループが自由にコースを決めて、京都・奈良を見物する、という筋書きになっていました。ですが残念なことに、集団無視の憂き目に遭っている折、私はどのグループにも入れてもらえず、ひとり孤立してしまいました。なんという情けなさ!いたたまれなくなって、私は担任の先生(注1)に「行きたくない」と申し出ました。が、「お前、行かないとますます孤立するぞ」とかなんとかうまく説得されて、結局あるグループに入れてもらいました。私が加わると、そのメンバーはみんな、露骨に迷惑そうな顔をしました。で、フタを開けてみると、グループの誰とも一言も話さず、京都・奈良の町を、集団の後に金魚のフンみたいにくっついていく私がいました。あの惨めさは一生忘れることができません。
(注1)結局その担任の先生は、私に助けの手を差し伸べることは一度もありませんでした。私が涙目を浮かべて、クラスで孤立している窮状を切々と語っても、「近頃の高校生は、教師がどうのこうの言ったって聞いてくれない」とか言って、取り合ってくれませんでした。クラス替えや自宅学習も、全く検討してくれませんでした。それでいて、うちの母親の前では一丁前にいい顔してました。基本的に己の保身しか考えてない先生でした。
でも高校時代につらい思いをしたことは、決して無駄にはなりませんでした。自分がいまこんな境遇にあるのは、自分自身の性格に問題があるのか?それとも学校教育や日本社会のあり方に問題があるのか?自分自身に正直に生きることと、集団の一員として生きることは果たして両立できるのか?その答えは自分で見つけなければなりませんでした。周りの大人にアドバイスを請うたところで、テクニック的なことしか言ってくれませんから・・・そんな中で、私の思考は日々鍛えられていきました。考え抜いた末の結論は、こんなふうになりました。
- これまで、自分は他のみんなとちょっと違う人間だと思っていたけど、そうじゃない。人間の性格はみんな違って当たり前。自分だけが特別なんじゃなくて、誰もが特別なんだ。
- 自分がこれまで「ヘンな子」と言われ続けてきたのは、日本社会の「集団主義」「一斉主義」に主な原因がある。朝礼、運動会、卒業式、班行動、修学旅行、共通テスト・・・日本社会は、メンバーを半強制的に参加させて、何かを一斉にやらせたがる傾向が強い。一方私の性格は、そういうものに全く馴染まないし、周りのみんなと合わせるのも大の苦手だから、「ヘンな子」と言われただけのことだ。
その後大学を出て、皮肉にも、幼い頃「絶対に無理」といわれた会社勤めをするようになりました。あんまり堅い就職先ではありませんでしたが・・・似合わぬスーツを着るようになっても、相変わらず人づきあいで苦労、失敗や挫折を重ねてきましたが、その甲斐あって、28〜9歳でようやく苦手意識を克服することができました。今の私は、昔の自分とはまるで別人のように社交的な人間です。でも実際サラリーマンをやってみると、幼い頃、なぜ周りの大人たちが「この子は会社勤めは絶対に無理だ」と言ったのか、その意味が身に沁みてよく分かりました。
そのキーワードは、「同質の競争」です。私が28歳でIT業界に転身した時、勤め先は外資系大手のITコンサルティングファーム・A社でした。カタカナの会社、とはいえ、仕事の中身や人事・給与体系に関していえばずいぶん日本的な会社でした。当時はすでに就職氷河期と言われてましたが、そんな時代にこの会社は新卒を毎年300人以上採用し、その数は有名大手メーカーと比べても遜色ありませんでした。イメージのかっこよさも手伝って、当時は大学生の人気の就職先ランキングの上位に顔を出すほどでした。
当時、A社のスタッフ採用方針はこんな感じでした。@新卒採用は偏差値の高い有名大学卒に実質上限られる、A中途採用、第二新卒、英語圏の大学卒業生は歓迎・・・当時の私はウブでしたから、Aだけを見て「この会社はさすがに外資系だけあって進んでるなあ」と感心しましたが、実際は@(新卒採用)が圧倒的で、A(中途採用等)は10%いるかどうか・・・その点では典型的な日本企業となんら変わりませんでした。
A社では通常、入社1年目から3年目はアナリスト、4年目から6年目はコンサルタント、7年目以降はマネージャーという肩書きがつきます。そして、それぞれの肩書きで何年勤めたかを示す「数字」がその後にきます。例えば、「アナリスト1」といえば入社1年目、「アナリスト3」は3年目、「コンサルタント1」は4年目を意味します。社員の給料、そしてお客さんからもらうコンサルティング料(フィー)は、経験年数によってほぼ決まっていました。
A社の社員は、各プロジェクトに配属されると、各個人の能力適性に関係なく、アナリストはコンサルタントの下働きみたいなことをやらされます。客先資料の要約レポート、パワーポイントで会議資料づくり、エクセルで財務資料づくり、ドリームウィーバーでウェブ画面づくり、ヴィジオでダイアグラムづくり、ひどい時にはコピーとり・・・もちろん、プログラミングとかテストとか論理設計とか、技術的な仕事もそれなりにありましたが、でも、デキル奴もデキナイ奴も、アナリストなら何でもやらされるのが当たり前でした。
あと、アナリスト3くらいになると、「チームリーダー」をやらされます。これは、新入りを「部下」として何人かつけてもらって、そいつらに実作業をやらせて、自分はそれをとりまとめる、という中間管理職的な役割でした。私もチームリーダーを半年ほどやりましたが、これははっきり言って向き不向きの著しい仕事です。でも現場ではそんなことにお構いなく、「お前アナリスト3なんだからチームリーダーぐらいできるだろう」と言われるのがオチでした。チームリーダーになるための管理スキルの研修など、そんなものは一切ありませんでした。
それでいて、外資系らしく人事評価はシビアでした。毎年3回、上司による人事評価が行われ、毎年度末、各スタッフが次のステップ(例えば、アナリスト1からアナリスト2へ)に進む際には、A、B、Cの三段階評価の成績がつけられました。この成績はすなわち給料の差、そして「出世競争」の差となります。たとえば、アナリスト3の評価でCがついたら、コンサルタント1に昇格できず、次の年もアナリスト3として「留年」することになります。留年するのは、同期入社のうち7〜8%とされていますから、文字通りの「落ちこぼれ」、恥ずかしいことこの上ありません。「ね、知ってる?アイツ留年したんだってよ」、「かわいそうに。でもトロい奴だもんな」・・・みたいなゴシップの格好のネタになるのです。
実は私自身も、アナリスト2の評価でCがつき、次のアナリスト3の評価もたぶんCだろう、このままでは留年が避けられない、ということをうすうす感じていました。惨めな思いをする位ならやめちゃえ!と思って、「運命の日」の約2ヶ月前に辞表を叩きつけて、以前から計画していたオーストラリア移住計画を実行に移したのです。
辞表を叩きつけた後、「これまで3年間、俺がA社でやってきた競争とか評価って、一体何だったんだろう?」という疑問が湧いてきました。A社の競争、それは一言でいうと、同期入社組を相手とする「同質の競争」でした。同じような年齢の新卒が300人も一斉に採用されて、似たような仕事を与えられ、ヨーイドンで一斉に競争する。勝ち残れる連中だけが上のポジションに行け、そうでない奴はふるい落とされる・・・私もそのクチでした。幼いの頃から、一斉ヨーイドンの競争にどうしても馴染めず、全くあさっての方向に走り出してしまう性格の私・・・「この子には会社勤めは絶対に無理だ」、20年前に聞いたこの言葉が、私の胸に鮮やかによみがえってきました。
その後私はシドニーに渡り、IBMで技術職の仕事を得て、今でも元気に働いています。この国で実際働いてみて、日本と一番違う点は何か、何といっても「周りの人間と競争しなくても済む」のが一番重要なポイントだと思います。
オーストラリアの企業社会では、同期入社という概念がありません。採用時期もバラバラ、採用時の年齢のバラバラ、それどころか出身国や肌の色もバラバラなんですから、同期入社なんていう概念が生まれる余地はほとんどありません。それどころか、部署の仲間の年齢や入社年度さえ知らないというケースが多いです。そして各社員が担当する仕事の内容も、個人によって全く違います。ですから、ライバルとか競争とか、そんなものは忘却の彼方に去ります。証券マンが農民を相手に競争しないのと同く、やってることが違えば競争自体が成立しませんよね。
ここまで読んで、「オーストラリアはそんなノンビリしたことでやっていけるのか?」と疑問に思う方もいるかもしれません。でも、一般社員の意識とは全く別のところで、競争は確かに存在します。特に企業同士の競争は激烈で、買収したりされたりが日常茶飯事ですし、それによって超高給でヘッドハンティングされる人もいれば、逆に職を失う人も少なからずいます。あと、プロジェクトリーダー級の地位まで上りつめた人間が、そのさらに上のポストを狙おうとする場合の競争は激烈です。そのレベルになると、1日15時間働く人も珍しくありませんし、職務上の重責だけでなく派閥抗争がからんできたりしますから、あまりのハードさに消耗して身体を壊す人も少なくありません。オーストラリア国の競争力は、そういう人たちが中心になって支えているのでしょう。
しかし、この種の競争というのは、日本の企業社会でいう競争とは全く違う性質のものだと思います。まず、オーストラリアにおける競争は個人の自由意思に基づいています。全体的にノンビリした国民性のなかにあって、上昇志向が激しくてウデに覚えのある人間(あるいは移民)が、少ないポストをめぐって、同じ志を持つライバルと競争するわけです。逆に、そういうポストを望まない人間にとっては、競争する必要は特にないのです。少なくとも個人の意識の中で、誰かと競争しているという気分を抱かずに、長年サラリーマン生活を送ることができるのです。この点が、個人の意思に関係なく、一斉にスタートラインに並べられ、同じ土俵のうえで競争させられる日本企業社会の競争とは違うと思います。
また、オーストラリアでは競争の門戸が基本的に女性や移民・外国人にも広く開かれている点も特筆すべきでしょう。アメリカほどじゃないかもしれませんが、オーストラリアでは女性のエグゼクティブ、管理職も珍しくありませんし、女性の指揮下で働く男性が、それを特に気にするというふうでもありません。この点が、多くの女性や外国人、中途転職者を最初から競争の埒外に置いてしまう、日本の伝統的な会社組織と違うと思います。
私自身、この国で働いてみて、仲間と無用な競争で神経をすり減らさなくていいのは、実に気楽なものだと実感しています。重要なポストについて高給を取りたければそれにチャレンジすればいいし、また「そんなの面倒臭いから今のままでいいやあ」ということであれば、ずっと技術屋やってていいわけです。実際、うちの職場では50歳を過ぎたプログラマーがたくさんいて、20代のバリバリのプログラマーと同じような給料で、当たり前のような顔して働いています。「システムエンジニアは35歳を超えると使いものにならない」、「40歳を過ぎて単なるプログラマーやってると落ちこぼれ扱いされる」国からやってきた人間にとって、オーストラリア人の働き方は新鮮な驚きでした。
オーストラリアの競争のあり方は、これから経済社会の本格的なつくり変えをやらなきゃならない我々日本人にとって、大きな示唆を与えてくれます。日本社会をつくり変える上で、その一つのモデルになるのが「海外(欧米)の競争社会」ですが、それは実にさまざまな顔を持ちます。私が日本にいた時、メディアを通じて紹介される「海外の競争社会」は、ニューヨークはウォール街のヤリ手ディーラーとか、若きエグゼクティブとか、そういう超ビジネスエリートがバンバン登場する世界でした。それも一種の競争社会ではあります。ただ社会全体からみてそういう人々はごく一握りですから、彼らをもって「競争社会」を代表させるのは無理があると思います。
むしろ、私の紹介したい「競争社会」は、先ほどお話ししたように、@競争はすべて個人の自由意志から発しており、A競争の門戸が誰にでも開かれており、Bその気のない者には競争を強制しない、という3つの表情を持った、オーストラリアの競争社会です。今後もっと研究してみたいのですが、実に魅力的な競争社会だと思います。少なくとも、「横並びの競争を強制される日本の企業社会は嫌」だけど、「生き馬の目を抜くようなアメリカのビジネス社会も嫌」という人にとっては、非常に魅力的な内容を含んでいるのではないでしょうか。
最後になりますが、じゃ私自身はオーストラリアの競争社会のなかでどう生きていきたいか?今のところ、もっと上のポジションを狙って高給取りを狙いたい、という気分はあまりありません。それよりむしろ、「自分にしかできない」、「自分の持つ、多方面の能力が生かせる」仕事をしていきたいと思います。私が今やってる、ロータスノーツ開発者とか、人事アプリケーションのテクニカルサポートみたいな仕事は、確かに楽しいですが、別に私がやらなくとも、IT技術のあるオージーなら誰でもできる仕事です。でも、日本語や北京語とか、日本のお客さんとのコミュニケーションが絡んでくる場面になると、これは誰にでもできる仕事ではなくなります。語学力とか日本で6年間働いた経験といった、私の特殊技能が思う存分活かせる仕事なのです。この辺をヒントにして、「もっと面白い仕事はできないものか?」と、常に考えています。
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