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シドニー日記・職業生活編第77回

起業?揺れる心(2002/12/22)


1.またひとつ勲章が・・・

 今年は良いクリスマスを迎えられそうです。オーストラリアの会社では、クリスマス前に仕事ですぐれた成果をあげた社員を表彰し、「クリスマスプレゼント代」としてささやかな手当て(お小遣い)を支給する風習があるのですが、我が家では夫婦そろって、勤め先の会社から表彰されたのです。私も妻も、この種の表彰を受けたのは初めてのことです。

 特に私は、2週間の間に2回も表彰を受けました。一つは仕事上の成果に対して与えられる"Performance Excellence Award"、もう一つはクリスマスパーティーの余興として、約200名の社員を前にお遍路装束でビリー・ジョエルのUptown Girlを歌ったのがウケたことによる、"Best Performance & Best Costume Award"です。特に後者によって、私はパーティーの場では必ずみんなの前で何か歌って場を盛り上げなくてはならないという、「パフォーマー」もとい「男芸者」としての役割を期待される羽目になりました。

 ま、私のカラオケのことはどーでもいいんですが(一番得意なのはデビルマンの歌ですし・・)、特に嬉しかったのは、やはり自分の仕事の成果が部署のトップ(ビジネス・エリア・マネジャー)から正式に認められたことです。2年前、オーストラリア移住後初の職場、IBMに入社したて頃、お客さんへの英語のメールをどう書けばいいのか分からず右往左往したり、一日の仕事が終わると疲労困憊して英語なんて見るのも聞くのも嫌になってたあの頃の自分と比べると、たった2年前のことですが、隔世の感があります。全部で30名近くいる我が部署で、5人にしか与えられない賞に選ばれたのですから、感無量です。

 受賞理由は、@これまで私がテクニカルサポートを担当していたいくつかのアプリケーション(Lotus Notesが主)のサービスレベルを落とすことなく、新しい技術の習得を要する分野(Interwoven Teamsite)のサポートを新たに担当し、時には夜9〜10時の電話会議までこなしながら、それなりの成果を挙げたこと、A同僚の何人かが病欠して時間のやりくりが苦しいなか、Lotus Notesの開発プロジェクトを期限内に仕上げて(=ずいぶん残業して)、お客さんから良い評価をもらったこと、この2点です。いずれも、頭をうまく使ったというより体力と根性と時間を使って勝ち取ったようなものです。実際、今年の給料は去年より4%しか上がってないのに、労働時間は確実に10%以上増えてずいぶんサービス残業もしてるので、労働の対価として割に合っているかどうかは分かりません。が、チームの中でいろんな役割をこなしながら、自分が必要な人間だと認められたこと、これは素直に喜ぶべきことでしょう。

 それ以上に、チームの仲間に感謝しなくてはなりません。英語のハンディはかなり克服できたとはいえ、まだまだアメリカのお客さんと電話で要件の打ち合わせをするにはオージーの同僚の助けが必要ですし、アプリケーション開発プロジェクトのメンバーとしてなら能力を発揮できるけど、リーダーになるにはいくつも困難を乗り越えなければならないでしょう。私はまだ、英語のドキュメントを理解するのに人の1.5倍の時間を要することもあって、自分の担当する仕事をこなすのが精一杯で、人の仕事まで目を配る余裕はないのです。ですので来年の課題としては、3〜4名程度の小規模開発プロジェクトのリーダーが担当できるようになりたいです。それができれば、私の職位も単なるDeveloperからSenior Developerへと、一ランクアップする道筋が開けてくるからです。



2.起業した友人たち

 オーストラリアで今のところ順風満帆にやってる私のところへ、日本の友人からもいくつか嬉しい便りが届いてきます。「弁護士として独立した」、「税理士事務所を立ち上げた」、「ITコンサルタントとして起業した」等々、人によって表現はさまざまですが、要は自分で、あるいは仲間と組んで、事業を立ち上げたというものです。よく考えれば、私の大学時代の友人、勤め先の同僚の多くはすでに33〜35歳という年齢になり、社会人として10年以上頑張ってきたわけですから、その中で腕に覚えのある者はどんどん独立・起業しているのでしょう。

 周りを見回せば、私が仲良くしている同世代の友人のうち、自分で事業を立ち上げた者の比率、つまり起業率は、1割近くに達しています。それに加え、立ち上がったばかりのベンチャー企業に経営者として参画したとか、外資系企業の日本事務所の創設メンバーとして参画するなど、いわゆる「準起業」まで含めると、起業率は確実に1割を超えます。これは日本の平均と比べても高いでしょう。私の友人のなかには、自分が逆立ちしても敵わないような、パワフルで頭の切れる連中が大勢います。その彼らが東京や大阪で、ニューヨークやロンドン、上海で力強く頑張っている、実に頼もしい限りです。こういうすぐれた友人に恵まれたことを、私は感謝しています。

 特に力強く聞こえるのは、起業した仲間から届くメッセージです。大きな志を持ち、綿密な事業計画を立てて起業しても、その結果がうまくいく保障はありません。結果だけみれば、成功より失敗の方がずっと多いでしょう。失敗すれば、例えば自分やベンチャーキャピタルの出資金を回収できなかったら、結果として大きな経済的負担がのしかかってきます。起業した友人の多くも、口先の勇ましさとは裏腹に、実際にはそれ程うまくいってないことが多いのでしょう。それでもなお、常にリスクと隣り合わせの、大変な緊張感のなかで経営者として事業に携わった者は、ビジネスマンとして物凄いスピードで成長していくようです。彼らの言葉が、日に日に千金の重みを帯びてくるのを見ていると、結果はどうであれ、30代前半という若い時期にこういう経験をすることは、素晴らしい勉強になるのだなあとつくづく実感します。

 彼らの活躍は、私に大きな刺激を与えてくれます。私は確かに、自分なりに頑張ってきました。オーストラリアに来てすぐ働き、2年という短い期間で英語のハンディを克服しつつ、表彰を受けるほど仕事で成果をあげたし、新しい技術を学び資格試験にいくつも合格したし、地価の高いシドニーで土地つきの家まで手に入れたし、夫婦生活も大変うまくやっています。オーストラリアへキャリア移住を目指す人の多くが目を通すウェブサイトも運営して、メールで日々寄せられてくる移住相談の返事を書くのに忙しいです。それでもなお、東京で起業した仲間の話を聞くと、純粋に「すごいなあ、やるなあ」と感心するとともに、自分も一度しかない人生、一歩踏み出してより大きなチャレンジをすべきではないかと、考え込んでしまうのです。

 もちろん、彼らと競争して、無理して起業する必要は全くありません。それに、サラリーマンやるよりも起業した者の方が偉いとも思いません。そもそも、職業に貴賎はありません(注1)。学校の教師からパチンコ屋の店員まで、サラリーマンから経営者まで、誰しも社会的にそれなりに必要とされる職業にいろんな立場で関わっているなかで、誰が偉くて誰が偉くないとも思いません。私がいま携わっているIT技術者という仕事も、それによって貧しい人や病気で苦しむ人が直接救われるわけではないけれども、IT業界全体、そして世界経済に大きく貢献する多国籍企業IBM、その事業活動成功のカギを握る人材育成に技術面から関わるという意味で、社会的意義のある立派な仕事だと思っています。

(注1)職業に貴賎はないと言っても、自分の持ってる正義感と照らし合わせてどうしても正当化できない仕事、というのは世の中に存在します。例えば、会社が社会的に許されないような事件(牛肉の虚偽表示など)を起こしたとき、それを隠蔽する仕事などです。私がもしそんな仕事を命じられたら、死んでもやりたくないからたぶん二日目には辞表を出します。そんな局面でハッキリ"No"が言えること、それでクビになっても暮らしに困らないだけの集金能力(キャリアとスキル)をつけること、私はそれを目指しています。

 それでも、起業した友人のことが気になる・・・この感覚はどこから来るのか、自分にもよく分かりません。IBMという巨大企業、巨大組織で働く者の持つ、独立独歩の経営者に対する憧れ、というのもあるかもしれませんし、また満ち足りた日常のなかで、更なる自己実現の機会を渇望しているからかもしれません。でもそれ以上に、私がこれまで歩んできた人生のなかで、起業する人、経営する人の生きざまが、自分の脳裏に生き生きと刻まれているからだと思います。



3.人それぞれ〜起業への思い

 私は今でこそ大企業のサラリーマンやってますが、起業というものに関してはそれなりに身近なところで育ってきました。私が物心つく頃から、母は友人と組んで無認可の共同保育所を立ち上げて経営してましたし、私が大学に入る頃、父はサラリーマンを辞めて母と一緒に学生会館ビジネスをはじめました。父方の祖父は幅広いビジネスを手がけ、地元(千葉県柏市)の商工会議所の会頭をつとめるほどの実業家でしたし、母方の親戚は仕立て屋、医者、料理人など、「手に職」系の商売を営んでいる人が多く、サラリーマンやってる人の方が少ないくらいです。

 私が中学、高校で学んでいた頃は日本企業社会の全盛期で、子供たちの多くは受験戦争に勝って、良い(=偏差値の高い)大学、良い(=一部上場で世間体の良い)会社に入ってサラリーマンになることを期待されました。特に私の身の回りにいる、「手に職」系の商売を営んでいる人たちは高学歴や一部上場企業に対する憧れが強いらしく、そんな中で、私も暗黙のうちに将来大企業のサラリーマンになることを期待されていたような気がします。でも中高生の頃って世間知らずだから、私もサラリーマンや商売人に対する憧れなど特に抱かず、淡々と日々を送っていました。

 大学に入り、ようやく社会というものを意識するようになった頃、日本はまだバブル景気の最中で、いわゆる一流企業というものが社会のなかで絶大な地位を占めていました(今じゃ考えられませんよね・・・)。大学寮の仲間の多くも、そういう企業に入ってサラリーマンになることに、いささかの疑問も持っていないようでした。そんな中で、少数ではありましたが自分で商売を興そうとしている人間も周りにいました。

@台湾で起業を目指す日本人青年

 私は大学2年が終わった時から、台湾へ1年間遊学しました。その時、台湾で出会った日本人青年のなかには、現地で知り合った台湾人に触発されて自分もビジネスを興してやろう、という元気者が結構たくさんいました。

 当時、台湾の人たちは、誰でも気軽に小規模ビジネスを起こす気風がありました。夏休みに屋台をやって一儲けした大学生とか、ノンバンクみたいなものをやって(当時は台湾も超バブリーでした・・・)大当たりして、金ピカのローレックスを腕にいくつも巻きつけている人などが、身近にゴロゴロしていました。一方、台湾より一足早く国民総サラリーマン社会になって、気軽に起業する気風を失って久しい日本で育った青年の目には、台湾人たちの生きざまが新鮮に見えたのでしょう。彼らは台湾暮らしが長くなればなるほど、「自分も事業を興してやる」と意気込み、資金やネットワークづくりに精を出していました。

 私は彼らとはそれほど深く付き合わなかったので、その後どうなったのかはよく知りません。でも、あまり景気のいい話は聞きませんから、多くはうまくいかずに日本へ帰ったものと思われます。でも、「俺は事業を興すんだ!」と意気込んで語る彼らの目の輝きだけはどうしても忘れられません。

Aワーカーズ・コレクティブの女性たち

 日本に戻り、大学4年になった私が卒論のテーマに選んだのは、「ワーカーズ・コレクティブ」です。これは「生産者協同組合」と訳されるもので、モノやサービスの生産に携わるけれども、民間企業のように雇う・雇われるの関係ではなく、働く者(組合員)が出資し合って対等の立場で働く組織です。ワーカーズ・コレクティブはラテン系のヨーロッパ諸国を中心に発達しましたが、日本では出産・子育てのために長年職場を離れた後、パートのような不安定な働き方ではなく、より責任ある立場で自己実現しながら働きたいと考える女性たちによる起業が特に目立ちます(詳しくはこちら)。

 卒論制作の過程で、私は日本におけるワーカーズ・コレクティブの中心地・神奈川県に足しげく通いながら、そこで働く女性たちにインタビューを何度も行いました。インタビューする前は、「新しい働き方を模索する女性たち」というイメージで考えていましたが、実際に会って話をしてみると、彼女たちの多くが、すでに「起業家」、「商売人」の面構えをしていました。モノを動かす、ヒトを動かす、大金を動かす・・・事業の楽しさも苦しさも十分味わい尽くしながら、自分が責任者として経済活動に携わり、社会に貢献しているという、生きる手応えのようなものを確かに感じているようでした。「こういう生き方はカッコいい!」、それが若い私の心に刻まれました。

BIT起業ブームに乗った同僚たち

 時は下って1999年、全世界がITブームに沸いていた頃、私はそのIT業界に身を置いて、東京でサラリーマンやってました。当時はビットバレーとか、eベンチャーみたいな言葉が新聞紙上を賑わし、ITビジネスで一山当てた20代の若者が渋谷の億ションを買いまくっていると言われる時代でした。ITは新しい分野なので、ちょっと目先の効く者ならすぐその道の第一人者になれるようなところがあって、実際私の同僚にも、日本のeビジネスの世界では超有名人といわれる者が何人もいました。その多くが25歳や26歳とかいう年齢でした。

 そういう時代にITという場にいただけに、周りの同僚で腕に覚えのある者はどんどん会社を辞め、ネットワークを活かして事業を興したり、eコミュニティのコーディネーターとしてマスコミに登場したりして、華々しく活躍していました。普段、隣の席で働いている男が、平気でマスコミに顔を出して、世界のeビジネスの将来について語ったりするのですから、私としても刺激されないわけがありません。でもやっぱり、彼らと自分との間は、スケールの大きさ、エネルギーの総量、頭の切れ・・・あらゆる面で天と地の差があるとも感じていました。「所詮、モノが違うのだ・・・」、日々の仕事をこなすだけで青息吐息の私には、華やかに活躍する彼らと自分の日常とが、別次元の世界の話としか思えませんでした。

 でもそんな中で、自分とさほど変わらない(と私が勝手に思っている)男までもが、いとも簡単に会社を辞め、仲間と事業を興していく・・・そういう話の方が、私にとっては余程リアリティがありました。その彼(仮にS君としておきます)と一緒に、東京・赤坂の食堂で昼飯を食べた時、彼の口から、意外な言葉が飛び出したのを今でも覚えています。

  • S:「鈴木くん、会社辞めるんだって?本当?」
  • 私:「うん、そうだよ。会社辞めて、オーストラリアに行くんだ。」
  • S:「そうか、いいなあ・・・実は僕も会社辞めるんだ。」
  • 私:「えっ、まじで?」
  • S:「うん。僕、仲間と会社興すんだよ。広告代理店やるんだ。」
  • 私:「広告代理店・・・」
  • S:「そう。異業種交流会で知り合った仲間がいてさあ。実は数ヶ月前から事業やろうって計画してたんだ。ほら、六本木でパーティーとかよくやってるじゃん。そういうパーティーの企画とかどんどん考えて、クラブに売り込んでいこうって考えてるんだよね。面白そうでしょ。」

 私は六本木のパーティーには縁がない人間なので、あまり詳しくは理解できませんでしたが、そう語る時の彼の気負いのなさというか、自然体で飄々としている所がとても印象に残っています。生活のためでもない、大金持ちになるためでもない、自分が楽しいと思うことの延長で、「この指とまれ」式で仲間を集めて、かるーいノリで起業してしまうというのは、実に爽やかなものだなあと感じました。

4.ビジネスモデルをつくる

 起業に身近な環境で育った上に、数多くの友人、知人の起業を目の当たりにして、その都度大きな刺激を受けてきた私ですが、現時点ではIBMという巨大企業でサラリーマン・エンジニアをやっています。これは、成り行き上そうなってしまった面もあるけれども、サラリーマンという立場に積極的な意義を見出しているという面もあります。

 実際問題として、サラリーマン、特に私のやっているITエンジニアというのは、世の中の多くの職業と比べて、かなり自由で気楽な稼業だと思うのです(なんだか、植木等みたいだな・・・)。例えば、

  • サラリーマンは、経営者と比べて、会社を辞めたくなった時に比較的簡単に辞めることができる。
  • 大企業のサラリーマンは、経営者と比べて、週末、祝日の休みや年休が取りやすい。
  • 技術系のサラリーマンは、事務系のサラリーマンと比べると、概して転職しやすい。その上、語学力があればいろんな国で働くことも可能。

 無論、皆が皆こうだは言いませんが、私が今やってるようなサラリーマンというのは、同程度の収入が得られる他の仕事と比べると、実に自由度の高いものだと実感しています。特に、私の目指す地球つまみ食いのライフスタイルを実現するために、今やってるサラリーマン・ITエンジニアというのは理想に近い働き方だとも思います。だから、「こんなに美味しい仕事、辞めらんねえや」という気分もあります。

 普通に考えれば、こんなお気楽サラリーマンが、何も苦労して起業する理由などないわけです。起業すれば、当面は今以上にプライベートな時間を仕事に使わなければならないのは確実だし、その結果家族団らんの時間も減り、大好きな旅行に行く回数も減るでしょう。その上、自分の好まぬ付き合いも今以上にしなくちゃならないだろうし、今までやったことのない膨大な雑務を自分でこなさなければならなくなるでしょう。しかもそこまで苦労して、今以上の収入が得られるとは限らないわけです。むしろ、立ち上げ当初は赤字になるのが当たり前なのです。

 それでもなお、私が心のどこかで起業に惹かれるのはなぜかと考えれば、たぶん、「ビジネスモデルを自分の手でつくってみたい」ということになるのではないでしょうか。ビジネスモデルとは何か、に関しては今から説明します。

 明日は月曜日、私はもちろん朝から出社します。出社すれば、私は同僚に挨拶したあと、おもむろにコンピューターに向かい、先週まで死に物狂いで書きまくったロータススクリプト・プログラムの修正作業を、たぶん一日中することになると思います。でも、もしこれが自分で立ち上げたばかりのビジネスだったとしたら、或いは数十名しかいない零細企業だったとしたら、プログラム書いてるだけでそれでおしまい、みたいな働き方ができるでしょうか?おそらく、お話にならないでしょう。

 企業規模が小さくなるほど、単にプログラムを書くだけじゃなく、自分でサーバーやネットワークの設定もしなくちゃならないだろうし、それだけじゃなく、セールスの資料をつくったり、実際に売り込みもしなくちゃならないだろうし、資金調達のための財務資料もつくらなきゃならないかもしれません。その全てが、会社を維持存続させるのに欠かせない作業です。私は零細企業で3年近く働いた経験があるから、その辺の「各人が何でもやらなきゃならない」感覚がよく分かります。

 逆に、IBMという巨大企業では、個々人がそういう雑多な作業をしなくても全体としては仕事がちゃんと回って、30万人もいる社員に毎月の給料をちゃんと出してくれるのです。なぜそれができるのかというと、プログラムを書く人、その仕事を管理する人、サーバーやネットワークの設定をする人、製品やサ−ビスを売り込む人、お金の管理をする人・・・各自が専門の仕事に特化しながらも、ちゃんとビジネスが回って、会社にお金を稼がせる「仕組み」ができているからです。この「仕組み」が、ビジネスモデルとよばれるものです。

 IBMみたいな企業では、このビジネスモデルが空気のように存在しています。これは非常に精巧にできていて、誰もが「俺がこの会社を背負っている」とは微塵も思わないのに、フタを開けてみればIT業界で世界最大の売上・収益を上げ、本国・アメリカが潰れてもIBMはビクともしないと言われるほどの強大な企業になっています。IBMのビジネスモデル・・・これはすごい発明だと思います。

 仮に、自分で事業を興すとします。最初の頃は、IBMでは空気のように存在していたビジネスモデルが「何もない!」という状態を味わうでしょう。とにかく、会社を儲けさせる仕組みが全く存在しないのです。だから、自分で一つ一つ考えて、つくっていくしかないのです。私はその、「ビジネスモデルを自分の手でつくる」という体験を、今すぐとは言わないけれど、いつかはやってみたいのです。自分の頭で考えた仕組みが、実際にお金を生み出し、あわよくば雇用も生み出す、という体験を、我が人生のいずれかの時点で味わってみたいのです。

 自分でビジネスモデルをつくるためには、自分で起業するのはもちろんですが、外資系企業の日本(或いは豪州)事務所の立ち上げにかかわるとか、或いはIBM社員のままで、新規事業に参画するというかたちでもできると思います。特に二番目の選択肢は私にとって魅力的です。例えば、私がいま手がけているInterwovenというWebソフトウェア企業は、本社はアメリカにありますが、現在は日本をはじめアジア各国に現地事務所を立ち上げている最中です。私がInterwovenトレーニングで知り合った台湾人の友人は、台湾事務所の創設メンバー3名のうちの一人として、いま頑張っています。私も近い将来、そんな仕事をやってみたいと思います。

 最後になりますが、起業した友人たちの前途を祝しつつ、自分も彼らに学んで、ビジネスマン・技術者として成長するためのあらゆる機会をとらえて、チャレンジを続けていきたいと思います。

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