ああ腹立つ!超むかつく!という体験は、誰もが日常的にされておられることでしょう。人間、どんなに歳を重ねても、どの土地に住んでいても、何かのきっかけで腹の底から沸々と湧きあがってくる怒りの感情と、全く無縁であることはできません。
喜、怒、哀、楽という人間四大感情のなかで、私が最も興味あるのが「怒」です。なぜなら一番力強くダイナミックな感情だからです。良い、悪いは別として、「怒」によって人間の感情エネルギーが最も激しく高揚し、あり余るエネルギーが外に向かって吐き出されると口論・喧嘩になったり、なかには思い余って極端な行動に出る者もいます。また、「怒」がからむと膠着していた事態が急ピッチで進展したりします。だから面白い!同じネガティブな感情でも、「怒」と「哀」とでは大違い、化学反応でいえば「燃焼」と「酸化」くらいの違いがあります。
今回はこの「怒り」の感情をキーワードとして、コスモポリタン都市・シドニーでの暮らしの一面を考えてみたいと思います。なお、予め断っておきますが、テーマがテーマだけに、時にはきっつい言葉を使ったり、見方によっては不特定多数の人間の目にふれる公共メディアに相応しくない表現を使ったりすることがあるかもしれませんが、その辺は大目にみてくださるよう、お願い申し上げます。
まず最初に、私という人間がどのような時、どんな怒り方をするのか、概観してみます。
私は、世間一般の大人と比べて、そんなに怒りっぽい人間ではないです。いや、より正確にいえば、「腹を立てる」頻度がかなり少ない方だと思います。自分は基本的に、「いつもニコニコして人当たりが良い人物」だと思いますし、国籍・性別・年齢を問わず、私と実際に会った多くの方々にも、こういう印象を持っていただいてると思います。もし人当たりが良いのだとすれば、それは「どす黒い感情を心の奥に秘め、表面では笑っている」からではないです。むしろ、心のなかにあまり腹を立てる材料がないから、自然に笑っていられる、という面が大きいです。
私があまり腹を立てない理由として考えられるのは、@潔癖症でないこと、A周囲の目をほとんど気にしないことです。特に@は大きい。世の中、潔癖な人間ほど、(私からみれば)些細なことにも腹が立ち、イライラするものです。例えば、ルームメイトに自分の掃除機を無断で使われた、通勤電車で脂ぎった中年オヤジが隣りに座った・・・そんなことにいちいち腹を立て、必死に抗菌・消臭グッズで防御しようとする。しかもこれは生理的な反応ですから、理性でコントロールできるものでもありません。自然、ストレスたまるし、肩も凝る・・・潔癖症の人って大変だなとつくづく思います。
また、周囲の目をほとんど気にしないこと、というか、周囲の目を気にする感覚が致命的なまでに欠如していることは、腹を立てたり、悩んだりする回数を確実に減らしています。私は子供の頃から、クラスで自分一人だけが青っ鼻たらしてだらしない格好してても全然平気でしたし、それを指摘されても全然意に介さないところがありました。ですから、周りの人間がどんなにみっともない格好してても全く気にならない(いや気づかない)です。社会人になっても、地下鉄・表参道の駅でベンチに座って弁当をパクパク食ったり、醤油のシミのついたスーツ着て出勤するのも全然平気でした。無論、陰ではボロクソ言われてるんでしょうが、全く気にならない。これでは、女の子にはもてないかもしれないけど、ストレスだけは確実に減ります。
ですが、いくら腹の立ちにくい人間とはいえ、怒るときは怒ります。見たところ、私が腹を立てる原因の9割方は、「誰かが」、「私に直接面と向かって」、「失礼な言葉を吐いた」ことによるものです。失礼な言葉・・・といってもいろんなパターンがありますが、@私という人間を対等に扱わず、見下した視線で接する(例えばこれ)、A私の大事にしているもの(家族、出身地、ホームページの文章、能力など)を悪く言う、Bデリカシーに欠けた言葉を使う(例えば自動車教習所の教官が、「何やってんだてめえ!」みたいな暴言を吐く)あたりが、私の堪忍袋の緒がブチ切れる主な要因のようです。
私の場合、一旦怒りに火がついたら、それがストレートな形で素直に出てしまう傾向があります。相手が年長者であれ、女性であれ、腹の底から瞬時に湧き上がる激情を抑えきれず、吼える!机をバンバン叩く!目を血走らせて相手を睨みつける!みたいな直接行動に及んでしまう確率がとっても高いです。普通の大人、特に客商売をしている人間は、いくら理不尽なことがあっても、「顔で笑って腹で泣く(心の中では藁人形つくって首に五寸釘を打ち込んでも、相手にそれを悟られない!)」みたいな芸当ができるものですが、サラリーマンエンジニアとしてのほほんと生きてきた私は、そんな高等テクニックを身につけることなく、30数歳を迎えてしまいました。要するに、私という人間は良くも悪くも童心を多分に残していて、自分の感情にものすごく正直なところがあるのです。
では実際に、私の怒りがどんな感じで爆発するのか、もう少し詳しくみてみましょう。題材は・・・そうですねえ、先日、私の掲示板に失礼な書き込みがありましたよね。「あなたの文章を読んで吐き気がした!」っていうやつ。あれを直接面と向かって言われた、というケースを想定してみましょう。なお、「おっかない人間」と思われないよう、口調だけは黒木香(今から15年前くらいに流行った、ワキ毛をはやしてお嬢様言葉を使う女優)ふうにしてみます。
あのですねえ、昨日、とても嫌なことが起こりましたのよ。えーと、何といいましたっけ、都内にお住まいの、○○という女性の方。その方がですね、このワタクシに面と向かって、とっても失礼なことを言いましたのよ。「あなたの文章を読んで吐き気がした」ですって!
それでワタクシ、キレましたの。次の瞬間、「吐き気がするなら、ゲボでも何でも吐きやがれ!ファーック!」。あーら、とんだ粗相してしまいましたわ。杉並の自宅に築山もあって、ワキ毛女優として売り出し中のこのワタクシが、そんな下品な言葉使うわけないじゃありませんか。恥ずかしいですわあ。それにこの方、いま失礼なこと言ってても、いつか良いお友達になれるかもしれませんし、もしかしてそのお父様が所属プロダクションの関係者かもしれませんから、ここはひとつこらえよう、穏便に済まそうと、必死に努力したんですのよ。
でも、ダメでした。実はワタクシ、本人の前で何言ったか、全然覚えてないんですのよ。あーらやだ、どうしましょう?でも、「ゲボ」とか「ファック」とか、下品な言葉は使ってないはずですわ。このワタクシが、そんなこと言うわけないじゃありませんか・・・
ま、私の場合こんなふうに、怒りが直接そのまんまの形で、身体的な反応として表に出てしまうところがあります。これが良いのか悪いのか、よく分かりません。良い面としては、怒りを一気に発散することにより、自分の心にストレスをあまり溜め込まないこと、悪い面としては、そのまま口論に突入して、関係者に迷惑をかけてしまうことがあります。無論、こんな激しい怒りを毎日のように発散してたら単なる迷惑なアホ野郎ですが、私の場合、幸いその頻度が決して高くない(多くて年に数回)ので、世知辛い世の中も何とか渡っていける、という面があるようです。
でも、シドニーに移住してから、私の怒りが爆発する回数は、日本在住時代より確実に増えました。特に不動産を買ったり賃貸に出したりして、各種業者、テナント、管理組合など、さまざまな人々と接するうちに、彼らの失礼な(?)コメントによって私の怒りが喚起されるケースがとみに増えてきました。これは、彼らが世界中のいろんな地域から、私のそれとは全く違う言語習慣を持ち込んできて、彼らにとっては何のことはない普通の会話が、私の言語感覚では失礼にあたり、カンにさわる、というケースが多いのです。これは、日本に住んでいた時には体験しなかったタイプの怒りでして、コスモポリタン都市シドニーにふさわしい、すぐれて文化人類学的な怒りだと思います。
それでは、実際にどんな失礼なコメントを体験したのか、みてみましょう。
パターン1、お前はアホだ!俺はもっと利口だ!
日本人、あるいはオーストラリア人の常識的な言語感覚でいえば、人さまの性格、容姿、服装、選んだもの等に関して、よほど気心が知れた間柄ならともかく、そうでない場合は面と向かっての否定的なコメントは極力避けるのが通常だと思います。例えば、初対面の女性に向かって「あんたブスだねえ」と言ったり、「あんたの靴、センス悪いなー。私の靴の方がかっこいい」なんて言ったら、日本ではそれこそ気違い扱いされるでしょうし、オーストラリアでも、女性なら"Bitch"、男性なら"Prick"という、最大限の蔑称が与えられるでしょう。ところが、広い世界の中には、そういう否定的なコメントの応酬を当たり前のように行う文化が存在するらしいのです。
例えば、私が一生懸命頭金貯めて、25年ローンまで組んでシドニー郊外にようやく手に入れたマイホーム。そこに管理組合の女性、ジェニー(仮称)が訪ねてきた時のことです。彼女は40歳前後、香港(広東省だったかな?)から15年前に移住してきて、もちろん流暢な英語を話します。ジェニーは私の向かいの家のオーナーですが、現在はそこを賃貸に出していて、自分は5軒ほど先の家に住んでいるそうです。我が家に入ってきたジェニーは開口一番、「あれ、この家狭いわねえ」。私も妻も一瞬ドキッとしました。
でもこれは、ほんの序章にすぎませんでした。その後、出るわ出るわ、我が家に対する否定的なコメントの嵐!「あんたの家、家から直接車庫にアクセスできないのね。それでも気にならないの?」、「この家、いくらで買ったの?39万ドル!何それ?高いわねえ。私は一年半前、31万ドルで買ったのよ」、「私が今年5月に買ったタウンハウスも同じ間取りだけど、ここよりずっと広いのよ」・・・幸い、彼女と直接応対したのは、「瞬間湯沸し器」の私ではなく、客商売(スチュワーデス)で嫌味な客の扱いに慣れている妻だったので、「大事」には至りませんでした。でもジェニーが帰ったあと、「すっげー失礼な奴!」、「許せん!」などと、脳の血管がブチブチと切れまくり、激しい怒りがこみ上げてきたのは言うまでもありません。
実はその一ヶ月ほど前にも、タクシーの運転手(西洋人男性、もちろん初対面)からも似たようなコメントを受けました。パラマタの街でタクシー拾って、運ちゃんと世間話で盛り上がっていたところ、いつの間にか私が先日購入した家の話になりました。運ちゃんは、「パラマタの駅から歩ける距離の3ベッドルームで39万ドルとは、お客さんいい買い物したねえ」、そこまでは良かったのですが、その後がいけない。彼はパラマタから二つ目の駅、ウェントワースビルに一軒家を持っていて、それを自慢するうちにいつの間にかのぼせ上がってしまい、私の居住地区(パラマタ)や住居形態(タウンハウス)に対して、ケチをつけはじめたのです。
「パラマタはドロボウが多い。クルマの窃盗率が全豪で5番目だそうだ。それに比べて、俺の住んでるウェントワースビルは治安がいいんだぞ」、「タウンハウスは良くない。隣近所の雑音が丸聞こえだ。俺はそれが嫌だから、ちゃんと大きい庭のついた家を買った。そうだろ、俺の言うこと間違っているかい」・・・お前アホか?こないだ家買ったばかりの人間に面と向かってそんなこと言うか??あまりに不愉快だったので、私は直接言いました。「俺はあの家を買ったばっかりなんだぞ。お前にそんなこと言われて、すげー不愉快だ。俺がどんな家を買おうと、お前の知ったことじゃないだろ(None of your business!)」。
もちろん、この種の(私からみて)失礼なコメントは、日本でも何度か体験しました。でも、シドニーではその頻度が全然違うのです。多いのです。これは、たまたま偶然によるものなのか、私自身が人のコメントに対して敏感になっているからなのか(そんなこと多分ないと思うけど)・・・でも、「自分とは違う言語感覚を持った人間と多く付き合っている」ことが、間違いなくその回数を増やしていると思います。例えば私の妻は、1970年代後半にケアンズに移住してきた時、周りの中国人移民(香港、広東省出身者が主)が会話の中できっついコメントを頻発するのを目の当たりにして、違和感を感じながら育ってきたそうです。もちろん、言語習慣は個人レベルでも大きな違いがあるでしょうから、この一件をもって、「香港、広東省出身者の言葉はきっつい」式の一般化はいたしません。
でも、いくら言語習慣を異にするとはいえ、直接面と向かってそんなこと言われると、やっぱり失礼だと思うし、怒りが反射的にこみあげてくるものです。少なくとも、私は「自分の言ったことに対して、相手がどう思うか?」に思いをはせる、日本の言語習慣を良いものだと思っています。そういうニッポンの心からいえば、面と向かって否定的なコメントをする連中は、はっきり言ってヤバンですな。
パターン2、日本人は嫌いだ!
海外各地で暮らす日本人にとって、何らかのかたちで「日本人は嫌いだ」式のコメントをいただくことは、半ば宿命のようなものだと考えます。もちろんその頻度は、在住国の対日感情や付き合う人間のタイプによって大分違ってくるとは思いますが、日本という国が世界に対して何らかの影響を与えながら(戦争責任も含めて)存在している以上、肯定、否定含めていろんな反応が出てくるのは止むを得ません。そしてその矛先は、私のように海外に暮らす日本人ひとりひとりに向けられるのです。
で、この「日本人は嫌いだ」式のコメント(例えばこれ)、はっきり言って慣れました(だって回数が半端じゃないもん)。そもそも、彼らが日本人が嫌いと言うとき、それは私たちに対する個人攻撃ではありません。単に彼または彼女の心の中にある、「日本人」という茫漠としたイメージを嫌っているだけなのですから、それを気に病むことはないでしょう。実際私は、彼らをして、「日本人は嫌いだけど、お前は好きだ」と言わせる自信があるし、実際それをやりながら生きてきました。
ですが、いくら日本人が嫌いでも、生身の日本人、しかも初対面の人間に面と向かってそれを口に出して言うのは、私の言語感覚からいうと大変違和感があります。例えば、私はよほど気心の知れた相手でもない限り、アメリカ人に対して「アメリカ人が嫌いだ」とか、中国人に面と向かって「中国は許せん」などと言ったことは一度もありませんし、今後も言うつもりはありません。人間誰しも、育つ環境こそ違え、自分の故郷というものに対して理屈抜きの愛着を持ちながら生きてるものですし、その気持ちは尊重すべきと考えるからです。
例えば、先日こんなことがありました・・・妻がシドニー都心部に所有しているマンションの資産評価を行うために、業者(Valuator)を入れたときのことです。来てくれたのはシンガポール出身、在豪歴25年の男性、パトリック(仮称)でした。彼はとても物腰柔らかく紳士的で、料金の割には仕事もしっかりしていたので、私はとても満足に思っていました。あの一言が飛び出すまでは・・・パトリックは、私の出身地を聞いてきました。そこで、「日本の東京から来た」と答えると、彼の表情が途端に曇りました。「東京か・・・俺も仕事で何度か行ったけど、人がやたら多くてゴミゴミしてる所だねえ」、「成田空港から都心までの移動がやたら大変だった」、「物価がやたら高かくて途方に暮れた」といったコメントが次々と飛び出しました。私はちょっと不愉快だったけど、この種のコメントには慣れているので、とりあえずは聞き流しました。
その後、話題はいつしかシドニーに移りました。パトリックが「シドニーの暮らしはどうだい?」と聞いてきたので、私は「悪くないねえ。ビーチはあるし、フットボールは面白いし・・・ちょっと人が多いけどね」と答えました。そしたら彼は、「でも東京ほどひどくはないだろ!(not as bad as Tokyo)」と言ってきました。ここで私はカチンときました。お前なあ、俺がその東京の出身だと知っててそんなこと言うのか?東京は人が多くてゴミゴミしているのは認めるけど、それでも俺の大事な故郷なんだぞ。分かってんのか?私の口から、思わず次の言葉が飛び出しました。「ゴミゴミしてるのは、シンガポールだって一緒だろ!」・・・パトリックの表情が一瞬曇りました。彼は小声で一言、「ま、それはそうだけど」と言って、ムキになって否定することもなく、無難に話題を変えてきました。だいたい、否定できるわけがない。シンガポールも東京も、シドニーから見れば似たような過密都市なんですから。
私の一言によって、「ひとさまの故郷を悪く言うことがいかに愚かなことか」ということを、パトリックが学んでくれることを心より願います。
パターン3、英語お上手ですね!
私は、日本語を母語として育ち、教育もすべて日本語で受けてきました。したがって、英語の習得にはそれなりに苦労しましたし、移住して間もない頃は、オーストラリア人に「英語がうまいね」と誉められると、素直に喜んでいたものです。
しかし、移住してある程度日が経ってくると、「英語お上手ですね」と言われても以前ほど嬉しいとは思わなくなってきました。すでに私は、英語ばかり使う職場で2年以上働いているのです。英語だけ使っておカネを稼いでいるのです。英語なんて、できて当たり前。だからこれ以上誉められなくたって構わない、というのもあるでしょう。でもそれ以上に、オージーの口から発せられる「英語お上手ですね」という言葉自体に、「お前は俺たちネイティブとは違う、移民なんだ」という、いささか排他的なニュアンスを感じ取るからなのでしょう。
でも、私はまだ移住して2年半、その前に日本で30年も暮らしてきて、ここオーストラリアではまだまだ「外国人」「移民」というスタンスでいるから、まだ救われます。問題は、幼い頃からずっとオーストラリアで育ち、この国以外に母国を持たず、英語以外に母語を持たない私の妻でさえ(※彼女は北京語もできますが、それは大人になってから学んだものです)、アジアの顔をしているという理由だけで、ときどき「英語お上手ですね」と言われることです。しかも、仕事の場で・・・
例えば、妻があるフライトに常務した時のことです。スーパーバイザー(もちろん白人、男性)が、妻に向かってこう言いました。「あなたの英語すごい上手ですね。移民でこんなに英語がうまい人、私は初めて見ました」・・・本人にしてみれば、おそらく単なるほめ言葉のつもりだったんでしょうが、妻はこの一言でカチンときてしまいました。そこで、「いまの言葉、お世辞として受け取っておきます」と答えたところ、スーパーバイザーはちょっと不愉快な表情になり、向こうに行ってしまったそうです。
妻が憤慨したのも、私にはよく理解できます。この国で育ち、オーストラリア人としてずっと生きてきたのに、なぜいつまで経っても外国人(移民)として扱われなければならないのか・・・特に今のシドニーは誰がみたって、ヨーロッパ系、アジア系、アラブ系、南太平洋系、アフリカ系など、いろんな顔かたちをした人々が当たり前に暮らす、コスモポリタン都市のはずです。それなのに、未だに「オーストラリア人=白人」の図式から抜け出せない人がいる、そういう時代錯誤な頭の持ち主から、時折、無神経な(悪気はなくても)言葉を浴びせられる・・・とても残念なことです。あと、カブラマッタ(シドニー西郊にある、ベトナム系移民の街)の入り口には、「アジアへの日帰り旅行へようこそ」という看板がかかっていますが、そこにも「アジア人=よそもの」というニュアンスを感じとってしまい、いつも不愉快な気分になります。
以上、シドニーでの暮らしのなかで、遭遇する数々の失礼なコメントについて書いてきました。これらをまとめて考えると、一つの共通項が浮かびあがってきます。それは、「自分たちの内輪だけで通用するような言語感覚が、その外側の人間に対しても通じるはずだと勝手に思い込んでいる」ことです。
例えば、「お前の顔は醜い」、「お前の出身地は良くない」みたいなコメントが自然に受け入れられる文化圏で育った人間が、それが通用しない文化圏(オーストラリア、日本など)にやって来ても、相変わらずお国の言語感覚が抜けきれず、相手を傷つけてしまう。或いは、白人コミュニティの間だけで通用するような言語感覚を、アジア系住民に対しても適用してしまう・・・要はコミュニケーションの形態が内向きなんですよね。自分と異なる文化的バックグランドを持つ相手を尊重しつつ、互いが理解可能な言葉を積み重ねながら一歩一歩相互理解を深めていくという、普遍的なコミュニケーションスタイルには馴染めない人々なんでしょうね。
そんな人間に出会って、失礼なことを言われたら、どうすればいいか・・・結論から言えば、「不愉快だ!」とはっきり言った方がいいと思います。そうしないと、彼らは何も学ばないわけですし、またどこかで人を傷つけるかもしれませんから・・・オーストラリアで出版されているものの本には、直接怒るのではなく、ウィットに富んだ皮肉を使うのが望ましいと書いてありますが、それは双方が英語ネイティブの時にのみ使える戦術でしょう。私の場合、失礼な台詞を吐いてくるのはノン・ネイティブが圧倒的なのですから、彼らにも分かる明快な英語で「そんなこと言われて、俺はすごく不愉快だ。失礼だぞ!(Your comment made me very unhappy. That's rude!」などと言うようにしてます。無論、言い方はいろいろあるでしょうが、その場ではっきり言った方が、気分もすっきりするもんです。
あと、人のフリ見て我がフリ直せと言う通り、自分が普段そういう失礼でデリカシーに欠けた言葉を使ってないか、或いは人を見下したような態度をとってないかどうか、自己点検したり、家族や友人にチェックしてもらうことも必要かもしれません。とにかく、人にはとことん優しく、でも失礼な言動にはとことん厳しく、ありたいものです。
|