今日、7月2日は、一年365日のちょうど真ん中の日だそうです。2002年も、いつの間にかもう半分経ってしまったんだなあ、そして自分も半年分、年齢を重ねてしまったんだなあと思うと、過ぎ行く時の流れの残酷なまでの早さの前に、呆然と立ち尽くすだけです。
今年の前半は、ヨーロッパ・日本旅行、ワールドカップ、家探し、コミュニティカレッジ・・・と、なかなか慌しい日々が続いていましたが、後半も新居の購入・引越し・改装、そして仕事の面でも大きな変化(転職もしくは異動)がありそうで、相変わらず忙しくなりそうです。そんな中で、ホームページのパワーアップ(移住相談の独立サイト化、ASP化、独自サーバー設置、英語サイト拡充等)だけは早めに行いたいので、なんとか時間をつくりたいと思っています。
そんな忙しいある日、読者の方からとても嬉しいメールをいただきました。内容も非常に興味深いので、かいつまんで紹介させていただきます。
本題の永住権、就職関連の進路について大変参考になりました。海外に出てきている者、殆んど誰でもそうだと思いますが、一大決心でこの世界に飛び込んできます・・・(中略)・・・そんな人々に、勇気と希望を与えてる素晴らしいサイトを無償で提供して下さる、まなちゃんさんには本当に頭が下がります。
聞いた話ですが、オージーはボランティア参加率が非常に高いらしいですね!というのも、オージー的考え方では、お金がが動いて成立するものより、奉仕の気持ちで働く事の方が大事なんだと。「人間として最も大事なのは、お金か!?それとも無償の奉仕の精神か!?」と深く突っ込んでいくと、なんか宗教的なお話になりますが、そもそもオージーは奉仕を優先するらしいです。
だから、オージーは仕事にルーズ、いい加減だと言われるのは、そもそもお金の動く仕事は大事だと思っていない(2の次でいいと思ってる!?)と言うところにあるらしいのです。それよりも、多くの困っている人達に、奉仕する事の方がもっと重要だと・・・(中略)・・・まなちゃんさんもそういう意味でオージー的考えの持ち主なのでしょうか?とふと思った次第です。
私がこのメールで興味深いと思ったのは、私のホームページ(Manachan's World)が奉仕の精神と結びつけて語られていることです。私はこれまで趣味でホームページを作ってきたわけで、誰かに奉仕することなど、これっぽっちも考えたことがなかったのです。それだけに、このメールの視点は新鮮でした。
実際にオージーが奉仕の精神を豊富に持っているのか(注1)、お金がからむ仕事は二の次でいいと思っているのかどうかは別として(注2)、また私のサイトが素晴らしいかどうかも別として(注3)、ここではひとつ、奉仕とかボランティアというテーマについて考えてみたいと思います。
(注1)私はシドニーという大都会に住んでるからでしょうか、そうじゃないと思うことの方が、正直言って多いです。
(注2)私はITという専門職の世界に身を置いてるからでしょうか、お金がからむ仕事を二の次にするような人は、身近にあまり見かけません。
(注3)素晴らしいサイトを提供する人より、それを読んで素直に「素晴らしい」と感動し、それを作者に伝えてくれる人の方が、もっと素晴らしいのかもしれません。
この世の中は、誰かが誰かのために何かをしてあげることにより成り立っています。そのうちの何割かは「仕事」と呼ばれ、お金が媒介になっています。たとえば私の仕事は、お客さんが業務を行うための仕組み(システム)を構築したり、技術的な質問に答えることです。そうした日々の仕事を通じて、困っている人(お客さん)を助けてあげてるわけですが、でも一時間いくらという対価をいただいているので、この行為自体は奉仕ともボランティアとも呼ばれません。
でもよく考えれば、私たちは仕事の他に、対価を伴わないいろんなことを、日々誰かにしてあげてるはずです。カゼひいた友人に果物を届けてあげたり、妹や弟の宿題を手伝ってあげたり・・・なんてことは、誰でもやってるでしょう。私自身も、例えば隣りに住んでるお姉さんが、道端でネコセンベイ(車にひかれてぺちゃんこになった可哀相なネコ)を発見して悲鳴をあげてる時にそれを処理してあげたり、おばあちゃんの買い物や荷物運びを手伝ってあげたり・・・なんてことは子供の頃からやってるわけですが、でもこういうのって、親切とは呼ばれても奉仕とかボランティアと呼ばれることは少ないように思います。
さらに続きます。私の父は職場に出稼ぎに来ている中国人の青年が好きで、よくご飯をおごったりタダで旅行に連れていってあげたりしましたが、こういうのは世話焼きとは呼ばれても通常は奉仕ともボランティアとも呼ばれません。私の母は他界した祖母や祖父が病床にあった時、持ち回りで身の回りの世話をしましたが、これは奉仕とは呼ばれてもボランティアと呼ばれることは少ないでしょう。町内の排水溝の掃除とか雪かきにしても同様です。逆に、留学生にホームステイ先を提供してあげたり、通訳ガイドを買って出たり、という類のことは、ボランティアとは呼ばれても奉仕と呼ばれることは少ないでしょう。病人や老人、交通遺児の世話あたりになって、はじめてボランティアと奉仕の、両方の称号が与えられるように思います。
これらを総合して考えてみると、@「奉仕」:身内や日本的な共同体(町内会、集落など)に対して提供する無償労働、A「ボランティア」:他人(身内や共同体の外側の世界にいる人間)に対して提供する無償労働・・・というニュアンスが強いように思います。また、ボランティアという言葉は、YMCAとか教会とかグリーンピースとか、どことなく西洋のにおいのする組織が主催する活動にぴったりくるのに対し、奉仕はもう少し泥臭い、日本的な団体とか、イエ制度・ムラ社会との親和性が高い言葉だと思います。
考えてみればおかしな話です。金銭的な見返りは期待せず、誰かに何かをしてあげる、という行為は一緒でも、その相手や主催団体によってそれを表現する言葉が変わってしまうのですから・・・さらに、ボランティア(または奉仕)であることとそうでないことの間には、明確な区別がありません。例えば、中国人青年の世話を焼く私の父の自発的行動も、もしYMCAや自治体あたりが主催する国際交流プログラムの一環ならば、名誉あるボランティアの称号が与えられるでしょうし、私が行ったネコセンベイ処理にしても、もし町内会が主催する清掃運動の一環であるならば、立派な奉仕活動として社会的に認知されるでしょう。要は、「親切・世話焼き」と「奉仕・ボランティア」との間には本質的な違いはなく、単にスタイルの違いと言ってよいのかもしれません。
私は何年か前、先輩に「ボランティアの経験はあるか?」と聞かれて、「特にありません」と答えてしまったことがあります。確かに、その当時はボランティアと呼ばれる世間体の良い活動は何一つしていませんでした(今でもあまりやっておりません・・・爆)。でも、ボランティアは呼ばれないのかもしれないけど、誰かにに親切にしてあげたり、便宜をはかってあげたことはたくさんあります。それらは、単にスタイルがボランティアと呼ばれるにそぐわないだけであって、本質的にはボランティアと変わらないのかもしれません。
私のホームページについてはどうか?もちろん、単なる個人の趣味としてやっております。でも、読者あってのホームページですから、読者が喜びそうな、もしくは役に立ちそうなコンテンツを提供していきたいと常に心がけています。その結果として、私の提供する情報や物事の見方が、特にオーストラリアへの移住を考える人にとって実際に役立っている、なおかつ直接の見返りは期待していない(注4)・・・そう考えると、これは一種のボランティアもしくは奉仕なのかな、とも思います。
(注4)但し、無償で情報を提供することが美徳とは思っていません。価値ある情報には正当な対価が支払われるべきです。そうでなければ人類の「知の発展」が阻害されると思うし、それに情報産業に携わる私の存立基盤が危うくなります。私がいま無償で情報を提供しているのは、まだまだ対価を請求するだけの価値がないと思ってるからです。
でも、金銭的・物質的な見返りは期待しなくても、精神的な見返りは大いに期待しているのかもしれません。少なくともこのホームページに関しては、私が与えるよりはるかに大きな精神的支えを、読者の皆様から与えてもらっていると、私自身は思っています。このところ、激励、質問、感謝のメールが毎日のように舞い込んできますし、また掲示板も落書き帖も連日賑わっています。それは作者として、この上ない大きな励みになります。
例えば、私の今やってる仕事は決して楽なものではありません。英語圏に暮らしてまだ2年余、今の英語力で高度な技術的職業をこなしていくこと自体、まだまだかなり無理があります。それを百も承知で日々がんばってるわけですが、でも言いたいことが相手にうまく伝わらなかった時、会議で沈黙してしまった時、相手のニュアンスが読み取れずにヘマをやらかしてしまった時・・・私の精神状態は時として、「負のスパイラル」に陥ってしまうことがあります。でも、沈んでいる余裕などありません。負のスパイラルを瞬時に断ち切って、正常な精神状態に戻らなくてはなりません。そこで活躍するのが、ホームページ掲示板であり、読者からのメールなのです。最近では、ちょっと落ち込みかけた時に、ちょうどいいタイミングで掲示板に嬉しい書き込みがあったり、激励のメールが届いていたりして、瞬時に元気を取り戻すことが多くなってきました。
ホームページを媒介として、世界中のいろんな仲間とつながっていられる、いつでもどこでも、励ましてもらえる。そんな幸福な関係を築くことができたからこそ、私は異国で、言葉の違い、文化の違い、制度の違いなど、さまざまな不利な条件にもかかわらず、地元の連中と対等にわたりあっていくだけの精神的なパワーを得て、日々元気に暮らしていけるのです。新居の購入、転職、子育て・・・私はこれからさらにどっぷり豪州の生活につかっていきますが、その過程でさらなる精神的支えを、皆さまから与えてもらいたいのです。「与えてもらいたい、だから与える」・・・私のホームページは、今のところそういう役割を果たしています。これは奉仕の精神、ボランティアの精神と同じものかもしれません。なぜならそれらは、誰かに「与える」ことによってより大きな精神的な満足を相手から「与えてもらう」、それが基本になってると思うからです。
最後になりますが、今後とも当ホームページのご愛読をお願いいたします。私なりの奉仕の精神で、良質なコンテンツを提供していこうと思います。
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