新年(新世紀)に入っても、「シドニー日記」は絶好調。去年の年末頃からほぼ毎日のようにメールや掲示板に問い合わせや激励のメッセージをいただくようになりました。自分が一生懸命書いて発表した作品に対していろいろな方から反響が返ってくるということは、とても励みになることです。
特に最近は、すでにオーストラリアに移住された方か、もしくは移住を真剣にお考えの方からのお便りが多いようです。そういう方々にとって共通の関心事といえば、おそらく「オーストラリア人とはどんな人々か?」ということだろうと思います。どんな都市に住んでも、またはどんな仕事に就いても、誰でも移住すれば否応なく「オーストラリア人」と日常的に接することになります。肌の色も出身国も実に多様なオーストラリアの人間とうまく付き合っていけるかどうかが、移住後の生活をバラ色にするか、灰色にするかの鍵を握っていることは言うまでもありません。
私も、日々の生活の中で「オーストラリア人とはどんな人々か?」を考えることがよくあります。この場合、個人個人の性格のことを言っているのではありません。日本でもオーストラリアでも、個人の性格は実に千差万別ですし、また同じ人間でも性格は実に多面的ですから、個人に焦点を当てた場合、「日本人はこうで、オーストラリア人はこう」みたいな類型化は私の力量ではとてもできません。しかし、「職場の上司とどう接するか」とか、「ある状況に直面した時どう行動するか」みたいな「振る舞いのパターン」については、類型化や日豪比較がある程度可能だと思います。今回は、私がオーストラリアの職場でいろいろな人間と接するなかで、オーストラリア人と日本人の違いや共通点について、気づいたことをいくつか紹介していきたいと思います。
※この文章では、「オーストラリア人」とはオーストラリア社会で生活する人間、「日本人」とは日本社会で生活する人間と定義します。この分類で言えば、今の私自身も(日本出身またはアジア系の)オーストラリア人ということになります。
その1.叱らない職場
私はシドニーのIBMグローバルサービスに入社してすでに5ヶ月になりますが、この期間中、職場で叱られたことが一度もありません。その上、職場で誰かが叱られている現場を一度も目撃したことがありません。
私がなぜ叱られずに済んだのか???この期間中、私がロータスノーツ開発者として特に優秀な成績を挙げたという訳ではありません。むしろ言葉の問題もあり、日本で働いていた時以上にヘマやドジをやらかすことも多いですし、電話会議などでは冷や汗をかきながら何とかこなしている状態です(オーストラリアで働いている以上、英語はネイティブレベルを要求されることが多いのです)。それでも叱られないのは、オーストラリアの職場文化の中に、「叱る」という発想自体が非常に希薄だからかも知れません。
私はこれまで日本でまる6年働きましたが、自分自身が叱られたこと、または誰かが叱られている現場を偶然目撃したことは少なくありません。特に外資系のITコンサルティング会社で働いた3年間は、要求される仕事のレベルと自分の能力のギャップが大きかったこともありますが、職場の上司からよく叱られたものです。
※叱るといっても、今どきの職場はスマートですから、公衆の面前で大声で叱ることは少ないでしょう。むしろ叱られる側のメンツに配慮して、密室で静かに諭すように叱るのが主流だと思います。実際私もそうやって叱られてきました。
その会社では入社後2〜3年目になると、チームリーダーとして部下(新入社員)に作業指示を出す立場にまわります。私自身も入社3年目に(内心嫌々ながら)半年間チームリーダーを務めたのですが、同じチームリーダーの中には、部下を叱ろうとする人間が何人か出てきたものです。そういう人間は、例えば「あいつに仕事のやり方を叩き込む必要があるな」みたいなノリで、自分が新入社員の時にされたように、部下を密室に呼んで静かに叱るような行動を、自発的にやっていました。
※ちなみに私自身は叱ることも叱られることも大嫌いだし、新入社員の方が自分よりずっと優秀だったので、チームリーダーを務めた半年間、部下を一度も叱ったことがありません。いつもニコニコして、新入社員とつるんでばかりいました。実際、私はそういうキャラクターです。
また職場の仲間のなかには、上司に叱られたことを自慢気に、嬉々として話している人間もたくさんいました。彼ら曰く、「俺は○○マネージャーからプロジェクトの進め方を随分叩きこまれたものだ」みたいに、あたかも恩師の薫陶を受けたが如く、誇りたっぷりに話しているのです。
このように、私の限られた職場体験からいえば、日本の職場では「新米の時は上司に叱られる」、「上司になったら部下を叱る」みたいな文化が確かに存在すると思います。そして、叱ること、叱られることは必ずしも悪いことではなく、部下の社会人としての自覚や成長を促す、善いことだと考えられている側面もあると思います。だからこそ、日本の本屋の店頭には、「部下の叱り方」みたいな本が山と積まれているのだと思います。
それをもっと掘り下げて考えれば、日本の職場では単に仕事の成果を期待されるだけでなく、仕事のやり方についても「こういう方法でやってほしい」と期待されることが多いのではないでしょうか。例えば職人の世界では、「かたちから入れ」とか、「身体で覚えろ」という言葉がありますが、それは仕事のやり方(かたち)を各自が覚えることによって良い成果を挙げていこう、そして仕事のやり方は言葉(マニュアル)を通じてではなく痛い目に遭いながら身体で覚えていこうという、非常に経験主義的かつ求道的な方法論だと思います。そうした職人的な方法論が、日本の近代企業にもまだ生きているのだと思います。実際、「叱る」内容の多くは仕事の成果に関することよりも、むしろ「仕事のやり方を叩き込む」みたいな、「かたち」に関することが多いように思います。
※「かたちから入る」とか「身体で覚える」という言葉は禅の伝統から発しているのかもしれません。禅の基本的な考え方は、特定の「かたち」(座禅、瞑想)を各自が体験することによって悟りの境地に達しようとするものですし、またその体験の過程では言葉や理屈を一切排する(禅問答)ものですから、まさに「かたちを身体で覚える」世界だと思います。
私がオーストラリアで働いてつくづく感じるのは、この国の職場文化は、「かたちから入る」、「身体で覚える」、「上司が部下を叱る」みたいな伝統とは全く無縁だということです。
確かに、どんな仕事にも「能率的なやり方」というものが存在します。そういうやり方を職場のメンバーが共有することが重視されているのは日豪とも同じですが、日本の職場では上司が部下に覚えさせる(叩き込む)ケースが多いのに対し、オーストラリアでは「知っている人が知らない人に提案する」ような形をとることが多いように思います。それは例えば、TipsとかLocal Knowledgeとか呼ばれるのですが、基本的には「俺はこういうやり方が能率的だと思うんだが、君もそうしてみてはどうかな。ただしやり方については君の自由だよ」というスタンスなのです。言いかえれば、「目標に達すればそれで良し、そこに至る過程(やり方)についてはどうでも良い」というのが、オーストラリアの仕事の基本的な考え方なのだと思います。
また、「身体で覚えろ」という言葉はオーストラリアの職場の辞書には恐らくないと思います。この国は基本的には、「言葉にならないものはゼロに等しい」という「ロゴスの国」ですから、仕事を進める上での必要事項についてはProject Control BookとかProceduresみたいなデータベースにすべて明文化されています(何しろ山のような分量なので、全部読破した人は一人もいないと思いますが)。そして、上司が部下に作業指示をする場合は、「Project Control Bookのここを参照しながら仕事を進めてくれ」みたいに、明文化されたリソース(書類)だけ与えてあとは部下のやり方に任せるというケースがほとんどだと思います。
※オーストラリアでも、「身体で覚える」ものはたくさんあります。例えばいまヨガとか太極拳(法輪功)みたいなものが大流行していて、本当にたくさんのオージーが「理屈抜き」で、必死に身体で覚えようとしています。但しそういうものは「東洋的」、「エキゾチック」なものだと思われており、仕事みたいなオフィシャルな場は完全に「西洋的」な「言葉」、「理屈」の世界です。
オーストラリアの職場は万事こういう感じで物事が進むので、「上司が部下を叱る」とか「特定のやり方で仕事をやらせる」みたいな土壌はほとんどないと思います。日本の職場文化、オーストラリアの職場文化、どちらも一長一短あり、今後互いに影響し合いながら変化していくと思います。ちなみに私にとっては、今のところオーストラリアの職場文化の方が心地良いです。
その2.上はスーパー働き者、下はお気楽極楽
一般的にオーストラリアの職場では、日本以上に各人の仕事を細かく明確に定義します。例えば私が今の会社にLotus Notes Developerという肩書きで採用された時、Job Description(業務定義書)という書類が渡され、そこには「あなたがやるべき仕事の内容はこれとこれ・・・(20種類くらいあるのですが)」みたいにきちんと定められています。そして実際に働き始めた後も、Job Descriptionに書かれたこと以外の仕事を命じられることはほとんど皆無です。
こうやって各人の業務内容を定義することには問題点もあります。実際の仕事では「誰の担当なのか判断できない」ような課題や作業が日々たくさん発生します。日本の職場の場合、そうした作業は「手の空いた人間にやらせる」ことが多いと思いますが、一人一人が決められたことしかやらない(ことになっている)オーストラリアではそう簡単にいきません。ちなみに私たちの職場ではそうした作業は、チームリーダーとかプロジェクトマネージャーみたいな「上の人」に回され、処理されます。
私自身面白いと思ったのは、日本なら新米にやらせるような雑用的な仕事までも、我が職場では「上の人間」がやってしまうのです。例えば、アフタヌーン・ティの当番決めとか買い物とか「ケーキを切る」とか後片付けみたいなことまで、マネージャーが率先してやるのです。そういえば、これまで何度も開催したクリスマス・パーティーの飾り付けとか、サンタクロースやトナカイのコスチュームの用意とか、ステージ・パフォーマンスなどは全部マネージャークラスがやりました。(「そんなことは新米にやらせて、マネージャーなら本業に専念しろよな」と、私はどうしても思ってしまうのですが・・・)。
こういう感じで、我が職場では仕事のウェイトが「上の人々」に集中することになります。何しろ普段の日常業務に加え、雑事の数々、さらに担当者不明の案件が、次々と彼らの手元に舞いこんで来るわけですから、我々下っ端の開発者が定時に帰った後、チームリーダーやマネージャーが夜遅くまで残って仕事を片付けることも少なくありません。さらには仕事を家に持ち帰って、土日も働くみたいなことも彼らにとっては珍しくありません。特に我々の直属のチームリーダーは、一日15時間、週80時間以上仕事をすることもあり、バブル期の日本の猛烈サラリーマンも真っ青の働きぶりです(彼の仕事の能率が良いかはまた別問題ですが・・・)。
オーストラリアという国はつくづく「労働者天国」だと思います。特にIT業界の場合、下の人間(開発者)は給料もまあまあ、仕事はラク、定時以前に帰っても誰にも文句を言われないのに対し、上に行けば行くほど仕事量もストレスも増え、その上激烈なオフィス・ポリティクスとかドロドロしたカネの問題など、数々の魑魅魍魎に悩まされることも多いと聞きます。こうした「下に優しく、上に厳しい」環境では、多くのオーストラリア人が「私は一生下っ端でいいや」と思うのも無理はありません。幸いこの国には、例えば50過ぎたおじさんが全然出世せず、20代前半のお兄ちゃんお姉ちゃんと同じ仕事をしていても非難されたり揶揄されることなく、少しも卑屈にならずに堂々と生きられる土壌があると思います。その一方で、人の上に立って苦労を重ねながら献身的な働きをするオーストラリア人もいるわけです。「スーパー働き者のリーダー」と「お気楽極楽の下っ端」の両者がいて、オーストラリア社会が機能しているんだと思います。
※ここで言う「下っ端」という言葉は組織の中で下に位置しているという意味であり、オーストラリア社会の下層にいるということではありません。職能給体系の確立しているオーストラリアではたとえ会社組織の中で一番下にいても、専門職として相応の給料と立場が得られることが多いです。だから、全然悲惨じゃありません。
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