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シドニー日記・職業生活編第8回 (2000年9月20日)

南インド・コネクション  

 シドニーは今、もちろんオリンピック真っ盛り。私も地元の人間に負けず劣らず思いきり盛りあがっています。会社帰りには毎日欠かさず公園の巨大スクリーンで数千人のオージーにまじって観戦してますし、土、日はほとんど朝から晩までオリンピック・スタジアムで過ごしています。でも、オリンピック情報は巷にゴマンとあふれているので、今回は全く違う話題でいきたいと思います。

1.バス通勤の友

 私の職場(IBM)は、最寄りの駅から5キロ離れた森の中という、おそろしく辺鄙なところにあります。交通手段がバスしかなく不便なので、社員のほとんど全員が車で通勤しています。こんな所までバスで通勤するのは老人か高校生か、よほどの物好きしかいないと思うんですが、実は私もそのうちの一人です。

 私たちバス通勤派はごく少数なので、皆すぐに顔見知りになります。第一、通勤に使えるバスなんて一日に数本しかないんですから、毎日毎日、行きも帰りも、常に知り合いと一緒になるわけです。顔を合わせれば当然、オリンピックとかメシの話題で盛りあがるわけです。

 バス通勤者は次の二つのグループに分かれます。一つはシティ在住者グループ。このグループは家の近くの駐車場が高くて借りられないため、電車・バス通勤を余儀なくされています(私のそのうちの一人です)。もう一つはインド人社員グループ、この人たちはインドIBMから派遣されてシドニーに来ているわけですが、滞在期間が半年程度と短いため車を買うわけにもいかず、バス通勤をしているわけです。人数は前者が5人に対し、後者は15人とずっと多い上に、皆インパクトの強い外見をしていてとても目立つため、私の乗る通勤バスは実質「インド人貸切バス」と化しています。

 私が帰りのバスに乗るのが大抵午後6時、早くて5時半なわけですが、バス停に行くと必ずインド人が数人固まって談笑しています。私がバス停に近づくと、必ず誰かが「ハイ、スズーキー」と声をかけてきます。それから、インド人特有の巻き舌の強い英語で、嵐のようなおしゃべりが始まります。さすがに毎日毎日こうやって過ごしているから、彼ら15人全員の名前と出身地を言えるようになるまで、長い時間はかかりませんでした。今ではすっかり仲良くなり、もっぱら彼らとつるむことが多くなりました。その中から、彼らの出身地である南インドのこと、そこでのIT産業の状況、シドニーで彼らインド人技術者が置かれている境遇について、興味が芽生えてきました。

2.南インドってどんな所?

 IBMインドから派遣されてきた15人全員が、南インドの出身です(全て男性)。南インドとはアンドラ・プラデシュ、タミルナドゥ、カルナタカ、ケララ、ゴアの5つの州からなる地域で、面積は65万平方キロと日本の約2倍、人口も2億人余りでこれも日本の約2倍です(下図参照)。中心都市はマドラス、その他にインドIT革命の中心地であるバンガロール、古都ハイデラバード、元ポルトガルの植民地で現在はビーチリゾートとなっているゴアなどがあります。

 南インド地域では、英語の他に主に4つの言語(テルグ語、タミル語、カナダ語、マラヤラム語)が話されており、これら全てがドラヴィダ系の言語です。世界史を学んだ人なら覚えているかもしれませんが、ドラヴィダ人とは古くからインドに先住していた人々で、紀元前1000年頃、中央アジア方面からやってきたアーリア人との戦いに敗れ、インド南部に追いやられたグループです。アーリア人はインド北部に居を構え、この地に絢爛たるインド文明を花開かせました。仏教もインド哲学も、ヒンドゥー教もカースト制度も、主にアーリア人の手によって、北インドの地で生まれました。その後現代に至るまで、インドの歴史の中心は常に北インドにありました。この国の主要な観光地であるデリー(首都)、アグラ(タージマハルがある)、ブッダガヤ(仏陀の生誕地)、バラナシ(ベナレス)、カルカッタなどはすべて北インドにあります。

 一見辺境に追いやられたような感のあるドラヴィダ人地域=南インドですが、現在ではこの国の経済先進地域になっているようです。実際統計などを見ると、南インド地域は都市人口比率や識字率も全国平均より明らかに高いことが分かります(特に、識字率が全国平均52%に対し、ケララ州の90%という数字が光ります)。私は10年余り前、1ヶ月かけてインドを旅したことがあるのですが、その時の実感では、南インドの方が北インドより明らかに暮らし向きが良さそうで、目を覆いたくなるような貧困も少なく、ゆったり穏やかに暮らしているという印象を受けました。

 南インド地域の主食は米です(北インドでは小麦)。特に、マサラ・ドサという、米を細かくすりつぶして、ホットプレートに薄く延ばして焼くクレープみたな食べ物が好まれています。食べる時はこのクレープをちぎってカレーとか、ココナツのサワークリームみたいなタレにつけていただきます。これが実に美味で、日本人の口にもよく合うこと請け合い。私は南インドを旅した時、来る日も来る日もこれを食べていましたが、全然飽きが来ませんでした。もちろん、南インドの人たちもこれが大好きで、「私はマサラ・ドサが好き」と言っただけで即友達になれます(保証します)。そういえば、彼らがバスの中で、「インドに帰ったら真っ先に食堂に駆け込んでマサラ・ドサを食べるぞ」と言っていたのを思い出します。故郷の味ですね。

3.南インドのIT産業はどうなっているの?

 南インドの都市、特にバンガロールには世界のIT巨大企業がこぞって立地してます。世界のIT産業の一大拠点といっても過言ではないでしょう。そのうちの一社であるIBMインドはバンガロールに本社を置き、インド随一の国際都市・ボンベイにほど近いプーネにデータセンターを設けています。今回シドニーに派遣された15人は、全てプーネで勤務しているスタッフです。

 南インドがITの拠点に選ばれた最大の理由は、何と言っても人材の質の良さ、豊富さ、そして賃金の安さでしょう。南インドは、いくつもの言語やプラットフォームに精通したIT技術者をものすごく豊富に抱えており、彼らの英語能力は申し分ない、それでいて人件費は先進国の5分の1程度で済んでしまうわけですから、アメリカをはじめとするIT多国籍企業がこれに目をつけないわけがありません。

 友人の話によると、IBMインドはほとんど全てアメリカ向けに商売をしているようです。アメリカのIBMがアメリカ企業相手のプロジェクトを受注すると、システム設計と開発・テストをすべてインドに丸投げしたり、またお客さんに納品した後の運用やカスタマー・サポートを、労賃の安いインドに発注したりするそうです。IBMインドは専らそういった下請けで食っているようです。アメリカ側からすればコストを安くあげられるわけだし、インド側にしてみれば仕事の報酬として米ドルが手に入るので、互いにとっておいしい話には違いありません。

 英語圏では、こうした国をまたいだ仕事の受発注や取り合いが広く行われています。私たちがシドニーで今やっているロータスノーツの開発・サポートの仕事は、もともとアメリカがやっていた仕事を取ってきたわけですし、今回インドから来た15人も、オーストラリアがやっていた仕事を引き取りに来たわけです(余談ですが、私たちのやっている仕事は世界のどこでもできる性質のものです。グローバルな視点に立った場合、この仕事をオーストラリアでやるメリットがよく分かりません。私たちの人件費はアメリカや日本よりは多少安くてもインド人の約5倍ですし、生産性もインド人より高いとは言えないからです。余程説得力のあるメリットを強調しないと、すぐインド、イスラエル、南アフリカあたりにもっていかれそうな気がします。)

 技術力も英語能力も高い人材を豊富に抱えた南インドが、これからも世界の英語圏のITの仕事を請け負って発展していくことは必至と思われます。世界経済の中で、今後注目すべき地域であることは間違いないでしょう。

4.シドニーのインド人技術者の生活はどうなっているの?

 彼ら15人はIBMインドの社員ですから、オーストラリアでの給料もすべてIBMインドが支払っています。彼らがインドで得ていた月給は約800豪ドル(52,000円)で、母国ではこれでも十分良い生活ができるわけですが、生活費の高いシドニーではこんな収入ではもちろん食って行けません。そこで海外手当が出るわけですが、それが手取りで月に約3,000豪ドルあり、インドの給料と合わせて3,800豪ドル(247,000円)、これで一般的なオージーIT技術者とほぼ同じレベルになります。

 彼らのほとんど全員がシドニーの郊外でマンションを借り、インド人同士で3人とか4人でシェアしています。給料レベルから言えば一人暮らしも十分可能でしょうが、彼らはシェアを選ぶようです。彼らはすぐ仲間とつるみたがる、とても寂しがり屋な人たちですから、一人暮らしをしている状況が想像できません。また車も買わず、ほとんど外食もせず、インド映画のビデオを借りたりして楽しむ、とても質素な生活をしているようです。でも、金曜日の仕事が引けると、皆で連れ立って南インドレストランでマサラ・ドサを食べに行くようです(次回は私も一緒に行きます。すごく楽しみです)。


 日本人が国際結婚してオーストラリアに移民する。現地でITの職場に入ったらインド人の技術者と仲良くなる・・・21世紀の幕開けを象徴する、とても印象的な情景だと思います。

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