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まなちゃん語録 (2004/10/30更新)


 世の中には古今東西を問わず、ことわざとか名言集のようなものがたくさんあります。このコーナーではそれにあやかって、私が普段考えていることをオリジナル標語(まなちゃん語録)にまとめてみました。随時更新予定。

Don't worry about what others think of you. Their attention is always on themselves, not on you. (M.Suzuki)

(他人にどう思われるかと気にする程、他人は自分のことを思ってはくれない。)


(2001年1月21日)・・・私たちは往々にして、周囲の目を必要以上に気にするものです。例えば、「こんなことしたら(言ったら)他人にどう思われるだろうか」みたいに。ですが、自分が思うほど、他人は自分のことに関心があるわけではありません。自分がそうであるように、他人だって自分のことだけで精一杯なのですから。

 ですから、他人の目なんか気にせず、思う存分自分のやりたいように好き勝手やればいいと思うのです。


Make mistakes by your own method, rather than be successful by somebody else's method. (M.Suzuki)

(他人のやり方で成功するより、自分のやり方で失敗した方が良い。)


(2001年1月21日)・・・私たちの日常生活は、先人がすでに経験したことを追体験しているようなものです。例えば、会社の日常業務みたいに失敗があまり許されないことに関しては、先人がすでに確立した方法を使ってやらないと危なっかしくて仕方ありません。

 ですが、自分の一度きりの大事な人生に関してだけは誰かの真似というわけにはいきません。常に試行錯誤しながら、自分だけのオリジナルの物語をつくり出していかないと意味がありません。他人のやり方を真似して成功するよりも、自分だけのオリジナルのやり方で失敗した方が、自分の人生としてはずっと価値があると思うのです。その結果が仮に百戦百敗だったとしても、自分がこの世を去る時、「誰の借り物でもない自分の人生を精一杯生きたのだ」と誇りに思えることでしょう。


There's no such thing like an eternal view, Tokyo boy says.(M.Suzuki)

(「永遠の眺望なんて、そんなものはないんだよ」と東京の少年は言った。)


(2001年1月27日)・・・私たち夫婦は今シドニーで家を探しています。シドニー都心部ではもともとシドニー・ハーバーの眺望を売り物にしたマンションが多かったのですが、バブル景気による建設ラッシュですでに高層マンションが林立し、眺望どころではなくなってしまった物件も少なくありません。

 東京の近郊に育った私は、今のシドニーのような状況を幼い時から目のあたりにしてきました。住民が富士山や手賀沼の眺望を楽しむ間もなく、東京が恐るべき勢いで拡大してしまったからです。

 欲の塊である人間がつくる大都市で、大自然の眺望を望むとどうしても無理が生じてしまうんですねえ、というシニカルな都市住民のボヤキでした。


Bullshit resume makes you a great guy.(M.Suzuki)

(ウソ八百の履歴書は、自分を大きく見せる。)


(2001年1月27日)・・・私は27歳の時、全く未経験のIT業界へ転職するにあたって、なんとか採用してもらいたい一心で、履歴書や職務経歴書には「ウソ八百」を並べ立てました。例えばITに関係する業務経験が「1ヶ月」なのに「1年半」と書いたり、実際には本を一冊読んだだけなのに、習得した言語の欄に「C」とか「Visual Basic」とか書いたり・・・

 もちろん、私はこの履歴書がウソだらけだということを百も承知していましたし、貴重な時間をさいて私と面接してくれる方にも申し訳ないという気持ちも少しありました。なにしろ、「経験者」を期待して折角面接したのに、蓋をあけてみたらほとんど未経験者だったわけですから。また実際、こうした私の態度にあからさまに不快感を示す面接官もいました。

 しかし日本でもオーストラリアでも、「私は全く未経験なんですが、これから頑張ります」という人間を中途採用してくれる程、世の中は甘くはありません。私も何とか面接までこぎつけるために、良心の呵責を少し覚えながらも、ああいう履歴書を書かざるを得なかったわけです。今考えると、あそこまで果敢な態度で転職活動に臨まなかったら転職さえ果たせず、今の私もなかったように思います。

 さらに、履歴書にとても大きなことを書くと、実際の自分がとても大きな人間に見えてしまうから不思議です。今の自分の能力や経歴を多少過大評価してみると、それは「根拠のない不思議な自信」を産むものです。この種の根拠なき自信こそ、自らの人生に新たな地平を開くのだと私は思います。また世の中の人間の多くがこうした根拠なき自信に支えられて厚顔無知に行動するようになれば、今の社会の沈滞ムードなどいっぺんに吹き飛んでしまうと思います。


When you are happy, praise yourself. When you are unhappy, blame yourself.(M.Suzuki)

(いま幸せなら、それは自分のおかげです。いま不幸なら、それは自分のせいです。)


(2001年2月3日)・・・ 残念ながら、私たちは自分の置かれている境遇を、100%思い通りにできるわけではありません。むしろ、思い通りにならないことの方が圧倒的に多いと思います。ですが、それをどう受け止めるか(認識)、それに対してどう生きていくか(選択)については100%自分の思い通りにできるはずです。実際、そうした認識と選択が、自分を幸せにもするし、また不幸にもするのだと思います。

 しかし世の中には、自分の置かれている境遇を他者(親、配偶者、会社、国家等)のせいにして、だから自分は不幸だと思う人も決して少なくないわけです。そういう人は、自分を抑圧している何かから逃げれば(もしくは排除すれば)幸福になれると思ったり、もしくは鬱屈した感情を心に抱きながら一生を送ったりするわけですが、こういう生き方では、決して自分自身を幸せにしてあげることはできないでしょう。不幸な心理状態を創り出しているのは他者ではなく他ならぬ自分自身なのだという理解からスタートしないと、幸せになる手掛かりさえつかめないでしょう。

 つまり、幸せになるのも、不幸になるのも、すべては自分次第だと思うのです。いま幸せなら自分自身を誉めてあげましょう。いま不幸ならば自分自身を見つめなおしてみましょう。


Our lives are always too short for procrastinators.(M.Suzuki)

(ものごとを先延ばしする人間にとって、人生はあまりにも短い。)


(2001年2月3日)・・・ 「人間の一生は、何ごとかをなすにはあまりにも短く、何もなさないにはあまりにも長い」という名言があります。但し、私の身の周りを見渡す限り、若いうちから大志を抱いてそれを実現しようという人間も、逆に若いうちから一生何もせずのんびり暮らしたいと願う人間も、どちらも決して多くありません。むしろ、私自身を含めて多くの人間は、自分の人生で何を実現したいのか(テーマ)がよく分からず、かといって何もしないのは退屈だから、「あれもやってみたい、これもやってみたい」と、数多くの選択肢の中で迷っているのが実状ではないでしょうか。

 今の世の中は、人生のテーマが簡単に見つかるほどシンプルな時代ではありません。私の場合も、テーマ探しだけで一生が終わってしまうかもしれません。ただ、いろいろなことに貪欲にチャレンジし、良くも悪くも多くの体験を積んだ方が、早い時期に人生のテーマに出会える確率が高くなるような気がします。逆に、「やってみたいけど、今はちょっと・・・」みたいな先延ばしを続けるのは、時間がもったいないと思います。人生は短いですから、あれこれ逡巡している間に瞬く間に歳月が過ぎ去り、気がついたら最期を迎えていたなんてことも十分ありうる話です。

 私はあと40〜50年くらいで終わってしまう人生を、優柔不断に逡巡しながら時間を浪費することなく、独楽鼠のようにいろいろなことに手を出しながら、慌しく生きていきたいと思っています。その中で、何か「これは」というテーマが見つかればラッキーだと思っています。


In Rome, doubt what Romans do.(M.Suzuki)

(郷に入れば郷を疑え。)


(2001年2月10日)・・・  「郷に入れば郷に従え」とは余りにも有名な言葉ですが、この言葉を日々実践しているのが私のように外国へ移住した人間でしょう。私も移住して以来、周りのオージーと同じように週末にはビーチに出かけ、一泳ぎした後は山盛りのフィッシュアンドチップスを平らげるようになりました???

 一方で、「なぜオージーはこうするんだろう」みたいな疑問を持つことも「ヨソ者」の特権だと思います。私はこの国に来て以来、地元の人間の挨拶の仕方、結婚の仕方、休日の過ごし方、お金の使い方、会社での人間関係から政治、経済、マスコミに至るまで、社会のいろいろな側面に興味や疑問を持ち続けてきました。そうしたことを地元の人間とは違った視点で考えてみるのも、移住生活の醍醐味でありましょう。

 また、「オーストラリアは自然に恵まれた生活大国でかつ福祉国家である」とか、「民主主義が確立した多文化社会である」みたいな「通説」に必要以上に縛られることなく(疑問を持ちつつ)、自分が実際に見て、実際に体験したことや、素直な生活実感から出発してオーストラリアやシドニーのことを考えてみたいと思います。そういう気持ちから、私の「シドニー日記」が生まれてきました。


Your company is your good servant. You are not your company's good servant.(M.Suzuki)

(会社はあなたの良き召使いです。あなたは会社の良き召使いではありません。)


(2001年2月10日)・・・  私が7年前に大学を卒業した時、日本の終身雇用神話はすでに崩れかけていました。そして、一つの会社に長く勤めることが将来の給料・キャリアアップにつながるとも限らなくなってきました。実際、私はこれまで一つの会社に在籍した期間が最高で3年、いま勤めている会社は7年間ですでに3社目です。こうやって会社をポンポンと渡り歩く生活を続けるうちに、「自分の生活や将来のために会社を利用しまくって、必要なくなったらあっさりと辞める」というドライな会社観が形成されてきました。

 こういうスタンスをとった場合、会社もまんざら捨てたもんじゃないと思います。お金を得るだけでなく、職務能力・経験を得る、ネットワークをつくる、会社のリソースを使って大きな仕事をする、すぐれた人から刺激を得る等、自分の人生を豊かにする上で、会社の利用価値は非常に大きいものがあります。また、就職・転職にあたっては利用価値という基準で会社選びをしたいと思います。


Japan is something more than the land of Geisha, Australia is something more than the last of Kangaroos. (M.Suzuki)

(日本は単なる芸者の国ではない。オーストラリアは単なるカンガルーの国ではない。)


(2001年2月21日)・・・  当たり前の話ですが、この世に存在するものの何一つとして、一言で語り尽くせるものなどありません。例えば自分という人間ひとりとってみても、実にいろいろな面を持っている上に日々刻々と変化し続けていますので、たとえ何万語を費やしても説明し尽くせるものではありません。ましてや、私の移住先・オーストラリアはどんな社会かみたいな話になれば、もうどうしようもない程多面的なわけです。

 そういう複雑怪奇な物事を説明したり理解するのが面倒臭いから、人はステレオタイプというものをつくるわけです。例えば、「日本人は皆スーツを着て満員電車で通勤して、上司に媚びを売る会社人間だ」とか、「オーストラリア人は皆ビーチでビールをかぶ飲みする、太鼓腹の怠け者だ」みたいな、漫画的なイメージで語られたりするわけです。

 実際に外国に移住して生活してみれば、そういったステレオタイプというものがいかに馬鹿げたものであるかはすぐ分かるわけですが、自分も「考える葦」人間のはしくれである限り、安易なステレオタイプに走ることなく、物事を様々な面から考え、理解していきたいと思います。


The rules have many faces. Choose the one best fits you.(M.Suzuki)

(決まりごとは自分の都合いいように解釈すれば良い。)


(2001年2月21日)・・・  人間の世の中は法律、規則をはじめ、決まりごとに満ち満ちています。そして、そのほとんど全てが、何通りにも解釈できるものです。例えば、現在ある法律のほとんどに多数説(通説)と少数説が存在するわけで、つまりプロの法律家の間でさえも解釈の仕方が定まらないということなのです。

 そもそも、決まりごとというものは人間がより良く生きるために考え出したものです(中には多数者を犠牲にして少数者の利益のためにつくられた規則もありますが)。ですから、それらを自分の人生のために有効活用していくというのが本来の使い方のはずです。そして、その解釈は何通りも可能なわけですから、自分の都合の良いように解釈すれば良いと思うのです。

 逆に、決まりごとにはただ一つの解釈しかないと思い込み、疑問なしで従ったり、他人にも有無を言わさず従わせようとするのは、やや貧弱な発想だと思います。法律、規則は社会のために個人が従わなければならない義務というより、各個人が自分たちの生活を豊かにするためのツールだと思うからです。


Old graces shall survive by the mercy of the modern.(M.Suzuki)

(古き良きものは現代の慈悲により生き残る)


(2001年2月24日)・・・  奈良の法隆寺、姫路城、日光東照宮・・・日本には世界に誇る文化遺産がたくさん残っています。一方、戦後50年余りの間に無数の文化遺産や伝統芸能が開発・近代化のために無残に葬られてしまいました。このことから分かるように、古いものはその古さゆえに未来永劫に大事にされるわけではありません。後世の人間が価値を見出した時にのみ、もしくは後世の価値観にフィットした時にのみ、生き残ることができるのです。

 また、人間の価値観というものはコロコロ変わるものです。例えば能登の千枚田、瀬戸の段々畑みたいな「棚田」は、高度成長期には非効率的な時代の遺物として見向きもされず、その結果多くが消滅してしまいましたが、最近になってようやく「景観」という価値を持つようになって、お金を投じても保存すべきだみたいな時代になってきました。

 こうして考えると、時代を超えて後世に伝えられる文化遺産や古典のもつ生命力や価値は大変なものだと思います。私もこの一生の中で、何か後世に伝えることのできるような仕事をしてみたいものです。


Gays and Lesbians gather in Sydney, the God forgive this.(M.Suzuki)

(ゲイとレズビアンはシドニーに集う。神はそれを許す。)


(2001年3月4日)・・・  今週末、マルディグラ(Mardi Gras, ゲイとレズビアンの祭典)がシドニーで華々しく行われました。私も行きましたが、信じられない程のものすごい人で賑わっていました。彼らは遠くヨーロッパや北米から、このお祭りのためにはるばる南半球までやって来たのです。

 これは、シドニーという街にとってはものすごい快挙だと思います。何しろ、ゲイ・レズビアンという、新しい恋愛、家族形態を選択した全世界の人々の「首都」になったわけですから。まず、並大抵の国ではできないことだと思います。今のオーストラリアの社会がいかに自由で、新しい観念に対して寛容かを物語っていると思います。

 会場には、"God forgive Sydney"(神はシドニーを許す)という垂れ幕がかかっていました。ゲイ、レズビアンの人々も、キリスト教の家族倫理を心のどこかで気にしているのかも知れません。でも私は、以前の家族倫理がどうであれ、ゲイやレズビアン、そして全世界の移民を受け入れて社会を運営しているオーストラリア人の努力を、神は必ず許すと思います。


As the majority, people talk about your individuality. As a minority, people speaks on your nationality. (M.Suzuki)

(マジョリティなら、一個人として扱われる。マイノリティなら、一国民として扱われる。)


(2001年3月10日)・・・  私はオーストラリアの職場で働くようになって以来、「スズキ・マナブ」という一個人としてよりも、「日本人」として扱われることが多いです。誰かに会う度に「こんにちは」と声をかけられ、「スズーキサン」とさん付けで呼ばれることも多いです。そうして、私が日本人だということが一発でバレてしまうわけです(バレてもいいけど)。

 当然のことですが、私が日本にいる時は周りの大部分は日本人でしたから、「お前は日本人だ」なんて言われることはありませんでした。それがオーストラリアに来れば、所詮日本人は全国民の1%にも満たない「超少数民族」ですから、こちらの人々は私個人よりも、私の出身国の方に興味があるのでしょう(それに、日本って何かとインパクトの強い国ですから、尚更そうです)。

 私の場合、まだ移住して日が浅いし、「自分は外国人だ」みたいな感覚でいるからまだいいけど、私の妻みたいにオーストラリアで育ったにもかかわらず、アジア系の顔をしてるという理由だけで外国人扱いされたらイヤな気持ちだろうな。まあ我々アジア系の移住者としては、この国にまだまだ残る人種偏見を笑い飛ばしながら、気丈に生きていかなくちゃならんということなんでしょう。


A handful of little happinesses could be greater than a big success.(M.Suzuki)

(胸一杯の小さな幸せが、人生の大成功に勝ることもある。)


(2001年3月17日)・・・  今日は朝から五月晴れ、いつもと変わらぬ通勤の道中には、季節の野草が毎週のように衣替えをしている。海の方から心地良い風が吹いてくる。職場に行けば、楽しい仲間が笑顔で迎えてくれる。こうした何気ない小さな幸せっていうのは、地味だけど人生をとっても豊かにしてくれるものだと思います。

 一方、「せっかくこの世に生まれて来たのだから、何か大きなことを達成してみたい」という志もすばらしいと思います。私自身も、「一生で何か成し遂げたい」という気持ちがとても強いです。でも、その大志のために無数の小さな幸せを必要以上に犠牲にしたり、小さな幸せだけで満足している人を馬鹿にしたりするのはおかしいし、もったいない話だと思います。

 「胸一杯の小さな幸せは、人生の大成功に勝る」。実際オーストラリアにはこういう人生哲学で生きている人がたくさんいると思うし、また小さな幸せがその辺に惜しげなく転がっている国でもあります。この国の心地良さに触れてみると、「人生で何か成し遂げなくったっていい、自分の小さな幸せを後生大事にして生きていけるのだから」と思うこともよくあります。


My words may not be new ones for the human beings, but they are brand-new discoveries for myself.(M.Suzuki)

(自分で考えついた言葉は、人類にとっては新しいことじゃないかも知れない。でも、自分自身にとっては新しい大発見である。)


(2001年3月24日)・・・  生きていく中で、私たちは「世の中ってこうだよな」、「人生こんなもんだよな」みたいな処世訓めいたものをつくりあげていきます。そういう言葉っていうのは、恐らく世界のどこかで誰かがすでに言ったことなんでしょう。「すごいことを思いついた」と思っても、それは多分ニーチェとかキルケゴールみたいな人がとっくの昔に考えてたことなんでしょう。

 でも、それは人類全体にとっては新しいことじゃないのかも知れませんが、自分自身にとってはまさに新大陸発見に等しいことだと思います。他人がすでに言ったことを鵜呑みにするのと違って、自分が人生でいろいろな経験をしながら、自分の頭で考えついた言葉というのは重みが違います。

 自分の頭で考えた自分の言葉、それが自らの人生に新たな地平を開くのだと思いますし、それを自分の言葉で語ることができた時、はじめて人を動かすことができるのだと思います。


Sweet home is the birthplace of dozens of complaints, windy bush is the motherland of tonnes of gratitude.(M.Suzuki)

(暖かい家から不平不満が生まれ、暴風吹きすさぶ荒野から感謝の心が生まれる。)


(2001年3月31日)・・・  誰でも経験する反抗期、私もかつて激しく親に反発したものです。15歳位の子供が親に反発する時、その心の底には「どんなに反発してもこの家を追い出されることはない」という安心感があると思います。仮に親が、「我が家がそんなに面白くないなら今この瞬間出て行っていいよ」と突き放したとしたらどうなるか?その時本気で家を出ようという子供は滅多にいないでしょう。

 それと同じことが大人の場合にも言えると思います。不平不満を言い出したら止まらないという人は世代を問わずたくさんいるわけですが、そういう人ほど「組織や国家がいざという時に我が身を守ってくれる」と思っているものです。依存心の強い彼らがいざそういう所から放り出されたら、その瞬間途方に暮れるしかないでしょう。

 逆に、常に自分の力を恃み、運命を切り開いてきた独立独歩の人々の方が、不平不満よりも感謝の心で生きていると思います。自分の力で生きようとすればするほどその力不足が身にしみるわけで、その時自分を生かしてくれている人間同士のつながりとか、社会の枠組みみたいなものに対する感謝の心が生まれてくるからです。それはちょうど、荒野を彷徨っている時に人家の灯りを見つけた時の、感謝の心に似ていると思います。


When you got stuck, place yourself to another standpoint.(M.Suzuki)

(物事に詰まったら、角度を変えて見直してみよう。)


(2001年4月7日)・・・  世の中の物事というのは、川べりから橋を眺めているようなものだと思います。各人が同じ橋を見ていても、立っている場所によって見え方が違うわけです。場所を変えてみれば、同じ橋がまた別の姿に見えるはずです。

 私たちの日常生活で、物事に詰まってどうしても解決策が浮かばないということは時々あるわけですが、その原因は多くの場合、今自分が立っている場所からはよく見えないだけで、立っている場所を変えてみれば霧が晴れたように名案が閃くものだと思います。

 この考えは、いろいろな社会問題に適用できます。例えば日本の歴史教科書をめぐる近隣諸国との関係、この問題はお互いの国(韓国と日本)が自分のやり方で歴史を解釈するという立場にこだわる限り永久に解決不可能だと思いますが、ちょっと視点を変えて、例えば自分が西暦3000年頃の人間だったらどうだろうとか、直接関係ない第三国の人間だったらどうだろうかみたいに、今と違った立場に立って考えてみることによって、初めて解決への糸口が見つかるものだと思います。


You could be successful in abroad while you were not so at home.(M.Suzuki)

(母国で成功しなかったからと言って、海外で成功しないとは限らない。)


(2001年4月21日)・・・  以前聞いた言葉で、「母国で成功できない者が海外で成功できるわけがない」というのがあります。この言葉は「外国に行けば何とかなる」という安易な考えを戒める意図があると思いますが、私たちはこういう言葉にあまり縛られる必要はないと思います。

 そもそも「成功する」か否かは、何をもって成功とするのか、またはどんなテーマで成功を目指しているのかによって千差万別です。人によっては、目指すテーマが母国になくて外国にあるのかもしれないし、あるいはその人の性格自体が母国の社会にあまり向かなくてむしろ外国に向いているのかもしれません。

 私自身は、母国で成功しなければどんどん外国に出て挑戦すべきだと思います(もちろん周到な準備の上でですけど)。将来自分に子供ができたら、育つ国が日本だろうとオーストラリアだろうと、恐らくそのように勧めると思います。


People do not always live for bread, but bread is very important.(M.Suzuki)

(人はパンのみに生きるにあらず、でもパンは大事です。)


(2001年4月28日)・・・  今も昔も、人々はパン(つまりおカネ)のためだけに生きているのではありません。でも多くの人にとって最大の関心事といえば、やはりパンだったりするわけです。今でも、「何が一番欲しいか」と問われれば、多くの人が「おカネ」と答えるでしょう。私もおカネ欲しいです。

 このことは、組織の運営にも当てはまると思います。世の中面白いもので、企業にせよ国家にせよNGOにせよ、単にガツガツと利潤を追求するだけの組織は長期的に見ればあまりうまくいきませんし、かといって実利にこだわらず、精神的な理念ばかり強調する組織もあまりうまくいきません。

 今も昔も、基本的には人間の金銭欲、物欲を前提としながら、それプラス多くの人に支持されるような理念をうまくブレンドしているということが、成功する組織の基本条件なのでしょう。


Any soils in this planet can be your home.(M.Suzuki)

(地球上のどこでも自分の故郷になりうる:住めば都)


(2001年5月5日)・・・  明日、State of Originという、州対抗のラグビーの試合があります。今回はNSW(ニュー・サウス・ウェールズ州)対QLD(クイーンズランド州)戦ですが、シドニーに移り住んで一年、この土地に愛着ができたせいか、どうしてもシドニーのあるNSW州を応援してしまいます。

 去年のオリンピックでもそうでした。自分の生まれた国・日本を応援するのは当然でしょうが、同時にオーストラリアも応援してました。競泳のリレーでアメリカと僅差で競り合い、オーストラリアが勝った時は、周りのオージーと共に自分のことのように喜びました。

 人間不思議なもので、多少嫌な思いをしても、たいていは自分の住む土地に愛着を覚えてしまうものです。世の中には「左遷」、「島流し」みたいな言葉がありますが、「どこでも住めば都」という自然で素朴な感情を大事にして、移り住んだ土地を自然なかたちで好きになっていけば、どこへ行っても人生が楽しくなるように思います。


The green grasses in the neighbor's yard makes your garden greener.(M.Suzuki)

(他人の青い芝生は、自分の庭の芝生を青くする)


(2001年5月13日)・・・  古今東西を問わず、「他人の芝生は青く見える」のは真実のようです。他人の庭でよく手入れされた芝生の青さに感嘆するあまり、自分の庭を嘆くことに終始したり、また他人に対して自分の庭はつまらないと吹聴してまわるのはバカげたことですが、でも他人の芝生の青さに触発されて、自分の庭をより青くしようと努力するのならば、それはとても意味あることだと思います。

 私の大学時代の友人の多くは、すでに社会の各方面で中堅としてバリバリ活躍しています。彼らの活躍ぶりを見聞きすると、私も大いに触発されるところがあります。それを良い刺激として、自分の人生をより実り豊かなものにしていきたいと思います。


It is not necessary to change. Survival is not mandatory.(W. Edwards Deming)

(変化しなくても構わない。サバイバルは必須条件ではない。)


(2001年12月9日)・・・  「変わらなきゃ」という言葉に象徴されるように、現代社会は激烈な競争社会で、人々にはサバイバルするために常に変化し続けることを要求する世の中です。私自身も、ビジネス社会でのサバイバルやオーストラリア移住・就職を実現するために常に変化し続けてきましたし、結果的にはそれでよかったと思っています。

 でも、「変化が善、サバイバルが善」という前提に立って、変化しない人やできない人のことを負け犬扱いする人が増えると、世の中ギスギスしたものになるんじゃないでしょうか。世の中、「変化しろ、サバイバルしろ」と叫ぶ人はたいてい強い立場にいる人で、それ以外の人々の境遇や気持ちをいまいち理解できないケースが多いですから、なおさら自省が必要だと思います。

 ビジネス社会や学歴社会でサバイバルできなくても、それが人生の終わりじゃない。そもそも一人一人の人生は違うのだから、「勝ち組」や「負け組」なんてものがあるわけじゃない。競争でサバイバルできなくとも人間として暖かい目で迎えられる、そんな世の中にしていきたいものです。


Peaceful mind is the source of peaceful world.

(豊かな世界は豊かな心から始まる)


(2001年12月17日)・・・  「世の中、殺伐としたニュースが多すぎる」、「近頃、いい話なんて一つもない」なんて思っている方、それを口に出す前に、わが心を振り返ってみましょう。実は殺伐としているのは、いじけているのは世の中じゃなくて自分自身の心ではないでしょうか?

 私たちは誰でも、「心の目」で世界を見ています。寂しい心で世界を眺めれば寂しい風景しか見えないし、逆に豊かな心で眺めれば希望に満ちた楽しい世界が見えるものです。また面白いことに、豊かな心で生きている人は相手の心も豊かにし、身の周りの世界をどんどん心豊かなものにしていくことができます。

 豊かな心とは、どんな逆境にあっても、自分の心が発するプラスのエネルギーにより、常に光や希望の世界が見えている状態だといえます。また、常にそういう心でいるためには、エネルギーを外界から補給する(現世的な成功を得る、他人に誉められる等)だけはなく、内面から補給する(自分を愛する・肯定する、自分の生命を超越した何かとつながる等)必要があると思います。

 何だか和尚さんの講話みたいになってきましたね。でも何も仏門に入ってなくても、豊かな心で生きることは誰にとっても必要なことだと思いますし、自分も是非そうありたいものです。



Every successful new start needs somebody's warm-hearted support.(M.Suzuki)

(人生の新たな挑戦に必要なものは、本人の勇気と、周りの暖かい応援である。)


(2003年1月2日)・・・  新たな商売をはじめる、未経験の仕事に転職する、あるいは海外に移住する・・・これまで慣れ親しんだライフスタイルを大きく変え、新たな環境で新しいことにチャレンジするのに要するエネルギーは並大抵のものではありません。私自身も未経験のIT業界への転職、オーストラリアへの移住、現地での就職など、自分の人生を大きく変える選択を何度もしてきたので、その大変さは身に沁みています。

 かけがえのない人生、より自分らしく生きるために、あえて一歩踏み出した人々。彼らの勇気とチャレンジ精神は大したものです。ただ本人の勇気だけで、新しいことを成し遂げるのは非常に難しいこともまた事実です。多くの場合、周りの暖かい視線や声援があって、本人が常に勇気づけられてこそ、チャレンジを成功に導くことができるのです。世の中には、勇気を出してチャレンジする人間を冷笑したり、足を引っ張ろうとする者もいます。それは、人間として絶対にやっちゃいけない、軽蔑すべき行為だと私は思います。

 各人がいろんなチャレンジを果敢に試みて、互いに励ましあう、うまくいったら素直に祝福する・・・そんな暖かい、活力あふれるコミュニティをつくっていきたいものです。


When he's got different point of view, don't defend yourself. Learn his point to strengthen your view.(M.Suzuki)

(自分と違うものの見方は、自分の見識を豊かにする)


(2003年3月10日)・・・  人間誰しも、育つ環境も違えば受けた教育も経験も違う、そんな中で当然ながら、見解の相違というものが出てきます。国・地域、世代、階層、性別等が違えば、なおさらそうです。

 世の中にいろんなものの見方がある、だから面白いのです。自分とは違う立場に立ち、自分ができなかった経験をしてきた人の意見、それはいかに自分の意見と違っても、貴重なものです。そこには、自分のものの見方を客観化・相対化し、見識を豊かにするヒントが含まれているはずです。

 そのためには、2つの条件が必要です。「自分と違う意見は、自分の見識を豊かにする」という前提に立つことと、「誰にでも分かる言葉・理屈を使う」ということです。ここでやっちゃいけないのは、「自分の立場を守るために、相手の意見を否定する」ことと、「内輪でしか通じない言葉で話す」ことです。

 世の中には、残念ながらそういう例が実に多い。例えば、日・韓・中の歴史対話がうまくいかないのは、お互いが「内輪の言葉」で話し、「自分の立場(歴史観)を守ることに汲々としている」からではないでしょうか。ここでお互いが、「相手の歴史観は、自分の歴史観を豊かにする」という前提に立って、史実に基づいて検証していけるのならば、将来、互いの立場を超えた「東アジア共通の歴史観」らしきものが生まれる可能性があるのに、現実がそうなっていないのは実に残念です。

 何はとまれ、私はホームページ等を通じて、いろんな方のいろんな意見に出会えることを楽しみにしています。自分のものの見方を、もっと豊かなものにしていきたいからです。


It's not the best performing people, but most caring ones, would make differences in your life.(M.Suzuki)

(最も優れた人ではなくて、最も気遣える人こそ、誰かの人生に変化を起こせる)


(2003年3月14日)・・・才能ある人が努力して、ある分野で頂点を極める。グラミー賞、ノーベル賞、国民栄誉賞・・・素晴らしいことです。でも、そういうトップを極めた有名人がいくら活躍しても、それは我々の人生にとって、結構どーでもいいことだったりします。実際、3年前のグラミー賞受賞者の名前なんて、普通忘れちゃいますもんね。

 逆に、自分の人生のいろんな局面で親身に相談に乗ってくれた人とか、一緒に泣き笑い、同じ釜の飯を食った仲間の名前は、何年経っても忘れるものではありません。自分の人生にとって本当に大事なのは、そういう人たちの存在なのだと思います。

 いくら優れた人が素晴らしい栄誉を手にしても、それは多くの人にとって単なる「情報」に過ぎません。情報はその時点では価値があっても、時間が経てば必ず陳腐化して、生命を失います。逆に、誰かの人生の大事な局面で、真剣に語り合った仲間、共に一生懸命生きた仲間の姿は、「情報」を超えた独自の生命を持ち、心のなかで末永く生き続けます。

 私は、別に頂点を極めなくてもいい。その代わり多くの人の心のなかで、単なる情報としてではなく、人生に影響を与えた印象深い人間として記憶されるような人間でありたい、と思っています。また当サイトも、単なる情報を超えた何か・・・多くの人に心から共感してもらえて、末永く生命を保ちつづけられるような何かを、お互いに提供し合える場にしたいと思っています。


A man's success is also measured by how he treats his partner.

(男の成功は、パートナーをどこまで大事にするかによっても決まる)


(2004年4月25日)・・・ 先日、オーストラリア前首相のポール・キーティング氏の離婚騒動が話題になりました。報道によると、キーティング氏は23年間連れ添った妻に対して、一方的に離婚を宣言しただけでなく、離婚に先立つ半年も前から、弁護士を雇うなどして、秘密裏に離婚準備を始めていたそうです。そして突然の離婚宣告。もちろん、妻に一言の相談もなく・・・彼女は、「突然、ナイフで刺されたような気分だ」と語っていた。

 この報道が事実だとすれば、一体、キーティング氏のような人物を、「成功した男」と呼べるのでしょうか?確かに彼は、一国の首相になり、政治家としては頂点を極めたのかもしれないが、外面はともかく、プライベートでは大事なパートナーとこんなに「汚い」、「あくどい」別れ方をしたのだとしたら・・・もちろん、愛した人と別れるのは一緒になるよりずっと大変だし、辛いし、嫌な思いをたくさんしなくちゃならないものだけれど、その辺の感情問題をきちんと処理して、お互いの人生を尊重しながら「きれいに別れられる」ことが、「成功した男」の一大要件なのではないでしょうか。

 「男の成功」といえば、往々にして仕事やお金の領域で測られることが多いわけですが、「よき父親」、「よき家庭人」であることは、「よき仕事人」、「よき経済人」であるのと同じくらい大事なことだし、重視されるべきものだと思います。


Having good days is good, but do not take it for granted.

(調子が良い時は、それを自分の功績と思わないこと)


(2004年10月30日)・・・ オーストラリア経済は相変わらず絶好調で、現職のハワード首相が四期連続して選ばれるほど、いま国民は現状維持を望んでいます。昨今の世界情勢を考えれば、これほどマクロなレベルで悩みの少ない国も珍しいと思います。

 ですが、思うのです。いま景気が良いことって、そんなに「エライ」ことなんでしょうか?仮に「エライ」としても、それは今の政府や経済人、一般国民が優れているからなんでしょうか?確かに、そういう面も多少はあると思いますよ。ですが客観的にみれば、それはフェアで公平な制度を作ってくれた先人たちの努力の賜物であったり、或いは国内外の様々な要因が作用した結果、たまたまオーストラリアに「時代の風」が吹いて、そのおかげで潤っている面の方が大きいと思うのです。

 昨今のオーストラリアでは、この好景気がいつまでも続くような幻想に満ち溢れ、与党政府や御用学者がいつも新聞紙面に出てきて、現行政府の経済政策を賞賛する、プロパガンダもどきの論説が氾濫しています。「自惚れるな!」と言いたい。先人達や国際情勢への感謝の心を忘れ、キリギリスのように歌い狂うこの国の指導者やその取り巻き連中は、近い将来、必ず痛い目に遭うと思います。

 物事がうまく回っている時、それを祝福するのは良い。でも、それを100%自分の功績のように考えるのは間違いです。自分の功績20~30%くらいに考えて、あとは素直に先人達、隣人達に感謝するのが、正しい判断を下す秘訣だと思います。

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