本当はやっちゃいけないんだろうけど、会社のコンピューターで日経新聞のサイトを見て、「やったぜ、株また上がった!」、「この調子で、あがれ〜あがれ〜♪」と、一人で悦に入っていた時、私の目に飛び込んできたのが長崎の幼児殺害事件のニュース。確かニュースヘッドラインの3番目、日銀の当座預金目標の次くらいという重大ニュースの扱い(通常、殺人事件は社会ニュースに載ります)で、私の「ごきげん株モード」がにわかにふっとんでしまいました。
「ま、よくある話さ」(って言ったら怒られそうですが・・・ま、当地でも殺人事件のニュースが結構多いもんですから、慣れちゃった)と思って半ば忘却に付していたところ、数日後、私のメールボックスに飛び込んできた小泉内閣メールマガジンのタイトルが「命の尊さ」(103号、2003年7月17日)。開けてみたら案の定、長崎の事件がとりあげられていました。時を前後して、私の仲間がやってるホームページの掲示板や日記にも、この事件がかなり頻繁にでてきました。日本ではかなり大きな社会的インパクトがあったことを、遅ればせながら実感しました。
数年前の酒鬼薔薇事件、西鉄バスジャック事件、そして今回の長崎の事件。これらを一列に並べると、「ますます低年齢化、凶悪化する少年犯罪」という、もっともらしいストーリーができあがります。そういう前提でものを考えると、「少年法を改正して、厳罰でのぞむべきだ」とか、或いは「子供とのコミュニケーション、学校教育や地域教育を強化すべきだ」みたいな、お決まりの結論が導き出されるでしょう。どちらも、いかにも大人が考えそうなことです。でも逆に、中高生くらいの少年の立場で考えてみるとどうでしょう?
これはあくまで想像ですが、仮に私が今の時代、中高生くらいの年齢の少年だったなら、多分「たまったもんじゃねえや」って思うだろうな。自分と同じ年代の少年が、日本のどこかで、たまたま事件を起こしただけで、世の中の大人という大人が大騒ぎして、やれ少年法がどうだの、教育がどうだの、ヒステリックに騒ぎ出す。自分とは全く関係ない人間が起こした事件なのに、そもそも事件を起こす人間なんて同年代のなかで本当にごく一部なのに、たまたま同じ年代だというだけでヘンな色眼鏡で見られる。自分は何も悪いことしてないのに、少年だというだけで、精神病患者みたいな扱いを受け、「人間改造」の対象にさせられてるような気がする・・・
「少年になった」私の想像は、さらに続きます・・・大人は事あるごとに「殺伐な世の中になった」と嘆くけど、その大人がそういう世の中をつくったんじゃないのか。少年犯罪が起こって恐ろしいと大人は言うけれど、実は大人が勝手に恐ろしがってるだけじゃないのか。今の子供は夢も希望も感じられないと大人は言うけれど、実は大人が勝手にそう思い込んでるだけじゃないのか。いずれにせよ、問題は大人の側にある。それなのに、少年犯罪が起こるたびに、自分たちが悪者扱いされて、少年法がどうのこうのとか言われる。なんだか、大人の手前勝手な欲求不満のはけ口にされてるような気がする・・・
いまの大人って、情けない。自分たちがまともな世の中をつくれなかったくせに、その責任も取ろうとしない。数年前、新大久保の駅で韓国人留学生がホームに落ちた酔客を助けようとして電車にはねられて亡くなった時、大人たちは「韓国の」。でも、子育てをしたのは一体誰なの?
だから不安になる。不安を
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