Free Web Hosting | free host | Free Web Space | Web Hosting

21世紀の歩き方・第5回

世の中が変わる、自分を変える(2002/2/10)


おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し〜(平家物語)
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず〜(方丈記)

 古今東西、世の中というのは流転するものです。時の流れというものは止めることができず、いまという瞬間は永久に戻ってこない。自分も周りの世界も、一瞬先は元の姿でありえない。この流転し続ける世界に、限りある命を持って生まれてきてしまったところに、人生の儚さがあります。

 世界の流転というものは、瀬戸内の岸に寄せるさざ波のように徐々にやってくるのではなく、津波のように突如湧き起こり、どっかーんと轟音を立てて、生きとし生けるもの全てを洗い流してしまうような激しさでやってきます。私たちの人生というのは、波間に漂う小舟よろしく、時代の大波に呑み込まれて溺れてしまわぬよう、波涛をうまくとらえて乗っていかなきゃならない、危なっかしい曲芸のようなものです。

 特に、現代人の人生はたいへん慌しい。時代の大波が10年、20年に一度という短い間隔でやってきて、しかもその威力は全世界を覆い尽くすからです。例えば一昨年、私の祖母が85歳で他界しましたが、その一生で何度大波を経験したことでしょう。物心つくころには第一次世界大戦(1914〜18)、その後束の間の平和がありましたが、間もなく世界恐慌(1929)が起こって全世界に暗雲が立ち込め、まもなく狂気の第二次世界大戦(1939〜45)に突入。その後世界は資本主義と社会主義の二大陣営に分かれて長い冷戦期(1945〜91)を迎え、その間人類は恐るべき勢いで地球資源を食い尽くし、気がつけば地球温暖化と人口爆発で人類の存続まで危ぶまれるに至る。冷戦終結後はアメリカ発のIT革命が世界を席巻する・・・

 この間、日本も実に慌しかった。第二次大戦では国民の多くが戦争に駆り出され、敗戦後は未曾有の食糧危機と進駐軍の支配。いつの間に教科書もまるっきり変わり、これまで善だと思っていたことが一夜にして悪になるという価値の大転換を体験する。その後世界でも類例を見ない経済高度成長で国土が一変し、農村の人間がみんな都市に出て工場労働者やサラリーマンになる。やがて誰もがクルマに乗り、海外旅行にまで行ける時代がやってきて、バブルがやってきてみな踊り、それが弾けて今度は未曾有の不景気に突入。そんな激動の中で生涯を閉じたのです。

 現代人は一世紀に満たない人生で、これだけのことを体験してしまうのです。何という慌しさでしょう。いま生きてる私たちだって、これと同じかさらにすごい世界史的激動を今後何度も体験しなくちゃならんだろうと思います。世界の変化はますますスピードを増しているからです。



 ますます慌しさと激しさを増すこの世界にあって、限りある人生をどう生きるか、それは誰にとっても大きな関心事でありましょう。ある人は自分の肉体・生命を超越した何かにつながることによって精神の安寧を得ようとします。またある人はどんな時代の風雪にも耐えられる堅牢なものをこの世に遺そうとします。またある人は物事の移り変わるその一瞬一瞬を楽しもうとします。私はどちらかといえばこのタイプです。ようやく咲いたと思ったら一瞬にして散ってしまうソメイヨシノを愛でる心、それが私のフィーリングに合います。

 それだけなら良い。でもいまの時代の厳しさは私たち一人一人にさらなる試練を課します。それは、世の中の動きに合わせて自分自身を常に変えていかなくてはならないことです。変わり続けないと瞬く間に大波に呑まれて溺れてしまう。具体的に言えば、世の中が求める能力を身につけてそれを発揮できないと、やがて職を失い収入や生活改善の道が閉ざされてしまうのです。

 もちろん現代以前も、世の中が求める能力を身につけることは生きていくための必須条件でした。でも今の時代の厳しさは、一人の人間が現役で働いている期間内に、求められる能力の内容が何度も一変してしまうところにあります。例えばバブル崩壊直前と今とでは、たった10年しか違わないのに日本のホワイトカラーに求められる能力の内容(スキルセット)が全く変わってしまいました。現在ではまず英語力やITを使いこなす能力で「足切り」が行われ、その上で専門能力を持たなくてはそれなりの地位には就けなくなってきました。それまで英語力も問われず、ジェネラリストとして生きてきたサラリーマンが、急遽新しい能力を身につける必要に迫られたのは記憶に新しいところです。

 自分の能力の内容を変えるというのは実に大変な作業です。それは、自分という全人格的存在から一部分を抽出して、それを「機能化」する作業と言ってもいいでしょう。世の中には、機能化に向く人と向かない人がいて、後者にとっては、それは自分で自分の内臓摘出手術をするくらい大変なことだと思います。またその機能の内容は、いま世の中で求められる(誰かがその能力に対価を支払ってくれる)ものでなければなりません。

 私自身も、どちらかと言えば機能化に向くほうではないと思います。私はこれまで30年余りの人生で実にいろんな経験をしてきました。大学時代は建築、土木、引越からゴミ収集まで、肉体労働系のアルバイトは何でもやり、稼いだお金で世界各国を歩いたし、台湾に遊学して中国語を覚えたし、社会学で修士号をとったし、就職してからは理工学部の研究室で燃焼装置をつくり学会発表をやり、官庁営業から住民運動対応までやったし、その後外資系のITコンサルに転職して電力、保険、電機メーカー、大学、官庁などいろんな業界のIT化をお手伝いしたし、プライベートでは全国各地の農作業のお手伝いから留学生の下宿探しのボランティアをやったし、今こうやってホームページ作りを2年以上も続けているし・・・それでも、いま日本と豪州の企業が私に人並みの給料を払ってくれる根拠はただ一つ、ロータス・ノーツ開発者という「機能」に対してです。それはもちろん、私がこれまで身につけたことの中のごく一部でしかありません。別の言葉でいえば、私という全人格的存在が、たった一つの機能を切り売りして生きているのです(もっとも、仕事の場ではもっといろんな能力を使うわけですけどね・・・)。

 それでも、仕事があるだけ恵まれているのでしょう。世の中には、私などよりずっといろんな経験を積んだ人生の大先輩でも、いまの企業社会が求める機能を持たない(あるいは持っていても、もっと若くて給料の安い人が同等の機能を持っている)という理由で、仕事にあぶれている人がたくさんいるわけですから。



 また、いまの企業社会で通用する能力を身につけるためには、それなりの機会(教育と実務経験)が与えられる必要があります。いまどの業界・業種でも求められる仕事の質は決して低くないですから、いっぱしの仕事ができるようになるまでには、一定期間(少なくとも3年間?)の実務経験が必要だろうと思います。

 石の上にも3年、これまで経験したことのない領域で一人前の仕事ができるようになるまでの期間というのは、それはそれは苦しいものです。まずは就職活動をクリアしなくちゃ話にならないわけですが、実務経験がない(もしくは足りない)状態での就職活動は一般に困難を極めます。面接官から不愉快な言葉をぶつけられたり、不条理な思いをすることも一度や二度ではないでしょう。私はかつて、全く未経験のIT業界に転職活動した際、何度面接官を殴ろうと思ったことか、転職エージェントの担当者と何度喧嘩したことか、それだけの葛藤を経てようやく転職を果たしたのです。また転職してからも、現場が求める仕事がなかなかできるようにならない歯痒さ、同僚・上司からの冷ややかな目、そういった試練に耐えなければなりません。私も転職先のITコンサル(A社)では懸命に努力したのですが、能力が足りずわずか2年目にして肩たたきを食らった時の無念さ、勤務評定で最低点をつけられた時の挫折感・・・そういったものを乗り越えてきました。もっとも、若い時にこってりしぼられたおかげで今の私があるわけだから、それには感謝しなくちゃならないでしょう。

 新しい能力を身に付ける期間というのはそれだけ辛い思いをするわけだから、精神的な支えが絶対に必要です。具体的には心を割って話せる、自分の弱さをさらけ出しても温かく受け止めてくれる話し相手が必要です。私はA社での辛い3年間、良い友達はたくさんいたのですが、自分の弱さをさらけ出さないよう、悟られないようイキがっていたので、心を割ってまでの会話はできませんでした。今考えるとこれは失敗だったと思います。私の場合悩んだ時の話し相手は主に父でした。父はIT業界のことなど分かりませんが、企業社会で長年生きてきた分、私の悩みがよく理解できるし、適切なアドバイスもしてくれました。またアドバイス以前に、心に抱えた悩みというものは、誰かに向かって話しただけで気分がすっきりするものです。

 常に個人に変化を求める現代社会、その中で外科手術に耐えるような思いをしてまで「変わらなきゃ」と頑張っている人たちには、常に温かい心で接してあげようと思います。また縁あってこのエッセイを読まれている方々に対しては、是非とも温かい心で転職者(または転職希望者)を支えていただくよう、お願いいたします。もしあなたがそういう立場にあるならば、当サイトの掲示板、もしくはメールをご活用いただければ幸いです。私は、時代に生き残るために自分の人生を真剣に変えようと頑張っている人々を温かく励まし、支えるコミュニティづくりを目指しています。